光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

2006年11月

ce55cd00.JPG最近、
2歳になる我が娘は、
私が『ダメ!!』というと、
ワンワン泣き出し、
止まらない。。。
少しほっておいて、
なぜダメなのかを説明しながら
違う遊びや他に興味を持たせるようにしていると
そのうちに笑顔になり、
さっきまでの事をコロッと忘れたかのように遊びだす。
それが、
父親に『ダメ!!』といわれると、
言いあいをしたりすることもあるが、
それでも泣き喚いたりはしない。
暫くすると、
また新しく遊びや興味のあるものを探し、
その場を離れていく。
“いつも『いいよ』と言っていると、
『ダメ』といわれたときに
何とかすれば大丈夫なのでは?
と考えて、
しつこく頼んだり、
泣いたりするんだよ”
という夫の言葉に、
かなり真剣に考え出した私。

総務庁統計局『世界の統計2005』によると、
人口千人当たりの離婚率は
一位 ロシアで5.30
二位 ベラルーシ 4.71
三位 米国 4.19
と続き、
二十二位 日本 2.30
五十七位 ブラジル 0.60
となっている。

ブラジルの離婚率の低さに驚いたが、
私達が行っている保育園でも、
結婚している両親というのが少ないことに気づく。

32世帯中
両親が結婚している 16%
結婚していないが同居している 34%
片親 34%
片親が恋人と同居している 16%

日本でも未婚率が進み、
ある資料では
20〜29歳の女性54%、男性69.5%
と示されていた。

同じ家の中で、
父親と母親の役割があり、
男と女という性別の違いが
家庭の中にあるという事は
子どもにとっても大きな意味を持つのではないだろうか。
だからといって、
片親家庭はいけないといっているのではない。
子どものモデルとして
両親が愛情と信頼で結ばれている姿は、
子どもの望ましい人格形成に欠くことのできないものではないだろうか。
物的な豊かさよりも、
心が豊かであるほうが、
子どもに良い影響を与えることができる。

両親の離婚、再婚は子どもに大きな影響を及ぼす。
これは否定できないことだと思う。
子どもにとって何が一番の幸福かと考えたら、
やはり両親が仲のよい、円満な家庭で育つことだと思う。

私達の活動には
保育園を卒園後、
“プレ・エスコーラ”
という識字教室に通うことになっている。
というのも、
ブラジルでは保育園や幼稚園といったものがきちんと確立されていないこともあり、
ほとんどの子どもは
一年生に入学する前に学校生活に慣れるために・・・
と、
こういった教室に通うのである。
公立の学校にも必ずこういった教室があり、
場所によると
5歳クラス、
6歳クラス、
といった風に2年間通う場合もある。

現在、
ブラジルの教育法が改正され、
今まで義務教育8年生だったのが、
9年生となる。
そこで、
7歳で1年生に入学していた子ども達は
6歳で1年生に入学することになり、
一年早く小学校に入学することになる。
しかし、
内情を見てみると、
今まで『プレ・エスコーラ』として行っていたカリキュラムが
一年生に摘要されるだけで、
9年生になるといっても、
一年早い早期教育・・・というよりは
今まで義務化されていなかった6歳児への教育が
義務教育に組み込まれるといった方が
正しいのかもしれない。

私達の活動では
このプレ・エスコーラはとても大切な役割を果たしており、
保育園までシュタイナー教育を取り入れているために、
その後、
公立学校に行った際に
子ども達が教師の対応や
カリキュラム等に
スムーズに馴染めるように
今までの教育方針と同時に、
公立学校のカリキュラムにも沿う形で
子ども達にワンクッション置くための
準備の一年間でもある。
今回の教育法改正によって、
どうなるものかと不安であったのだが、
結局は、
この村にある分校の
附属教室として、
今までどおりに
私達がプレ・エスコーラを担当することとなった。
ただし、
子ども達は
公立の一年生に通っているという
手続きを
アラカチ市に行うことになる。

一昨年から私達の活動に参加している子どもも
市に登録することで、
市からの援助金を受け取る権利が出来ると共に
私達の活動にも
教材と食材の支援を
頂けるようになった。

この方法でうまくいくのかどうか。
子ども達の授業進行状況や、
様々な変化に
どうやって対応していけるのか。
まだまだ課題はたくさん残ってはいるが、
公立学校の一学年を担う活動として
今後、
新たに歩んで行く事になるのだ。

d1f75913.JPGある日本人と話していたときのこと。
ポルトガル語では
Conhecer(コニェッセー)=(身を持って)知る
saber(サベー)=(知識として)知る
という、
2つの“知る”がある。
これはブラジル人らしく、
知識として知っているのと、
体験や経験から、
身を持って知るという事は
意味合いが違うという
表れなのではないか。
そんな話をした。
それを聞いたとき、
私は、
『そういえば、そうだね』
と、
いやに納得してしまった。

ブラジルで暮らすようになり、
余りに当たり前に使い分けていく中で、
それら一つ一つを
きちんと考える事をしなくなってきていたのだろう。
この2つの“知る”
の話は、
わたしにとってある、
“気づき”
でもあった。
日常当たり前のように暮らしていると、
それに対して
深い意味や、
なぜ?
という疑問を持つことが少なくなってくるように思う。
ただ、
こういった些細な疑問の中に、
実はとても大切なことが
隠されているような気がしてならない。


近頃、
こうやって気づかされることが、
私にとってとても大きな力となり、
活力となっているような気がする。
当たり前と思っていること、
日常の中に埋もれている疑問、
そんなことに耳を傾け、
考えていきたい。
こういった日ごろの疑問、
ふと立ち止まって、
一緒に考えてみませんか?

現在、
私達の保育園では、
来年度プレ・エスコーラに行く子ども達の保護者との面談を行っています。
毎週一組を呼び、
来年度プレ・エスコーラに行く事、
なぜそういう結論に達したのかという事を、
発達状態や、
子どもの描いた絵、
日々の遊びや
ほかの子ども達との関係、
様々な事を伝えながら話していきます。
保育園の先生からの言葉、
プレ・エスコーラの先生の言葉・・・
しかし、
本当に伝えたいことは、
私達の活動は
シュタイナー教育を取り入れており、
年齢別による発達ではなく、
個々の発達状態、
そのリズムや時間、
それを一番大切に考えていること、
プレ・エスコーラに行っても、
文字の読み書きや計算を教えるのではなく、
文字や数字と親しみ、
それらと交わることで、
自らが発見していく。
そのプロセスをお手伝いするに過ぎないこと。
子ども達の力を信じ、
その子ども自らが、
文字や数字の世界を発見していく事。
暗記やコピーを覚えても仕方がない。
文字一つ一つ、
単語一つ一つの意味を知るためには、
時間がかかっても、
自らそれらに対する興味が湧き、
自ら疑問を持ち、
その答えを捜していく事。
そんな事を分かりやすく、
保護者に伝えていきます。

先日、
ある保護者との面接がありました。
長女がすでに私達の活動に参加し、
小学校に通っているということもあり
その弟である私達が現在預かっている長男に対しても、
とても理解のある方々でした。
私達の教育方法や、
カリキュラム、
子ども達への接し方などにも理解を示してくれており、
私達も幾分か
肩の力を抜いていたところもありました。
私達の言葉が終わった頃、
父親が、
『私達の子どもがこの保育園で幼児期を過ごせたことは
本当に素晴らしい体験であったと思う。
ただ、
娘はプレ・エスコーラまで通い、
その後、
私立の学校に通ったのだが、
周囲の子ども達が簡単に出来るような
黒板の文字を写すことさえも、
彼女には難しかった。
一定の時間内に、
全ての問いに答えていくこと、
それらの質問を写す事、
それすらも彼女は出来なかった。
おかげで、
今でも月に何度か学校に呼ばれ、
家庭でもっと、
子どもに勉強を教える時間を
作ってくれといわれている。
だから、
長男には
プレ・エスコーラから
私立に通わせようと思う。
ブラジルも学歴社会。
入試なんか意味がないと思っていても、
それに通らなければ大学にもいけない。
子どもにあわせてと言うけれど、
そんな事を言っていたら、
どんどん周囲の子ども達から後れを取り、
私達の子どもは、
落ちこぼれの烙印を押され、
将来、
よりよい仕事につくことも難しくなるだろう。
私達は親として、
子どもに出来る限りの事をしてあげたい。
だからこそ、
できる限り今のブラジルの教育方針である、
早期に文字の読み書きや計算が出来る
そういう状態に
してあげたいと思う。』

これらの言葉は私にとって、
かなり衝撃的でした。
この家族は、
この村の中でもかなり恵まれており、
公立の学校ではなく、
私立の学校に子どもを通わすことが出来るほどです。
周囲にあわすため、
社会がこうなのだから、
学歴社会、
資本主義、
早期教育・・・

私達が避けていきたいと思っている、
守っていきたいと思っている子ども時代。
しかし、
そうしなければ将来がないと、
そこに無理やり、
押し込んでしまう。
確かに、
親として、
私も理解できることはたくさんある。
でも、
それでもやはり、
私にはショックであり、
どんなにこの自然の中で、
ありのままの子どもを育てる
その子どもを信じ、
その力を信じ、
共に育てていくという事に取り組んでも、
違う道を選ぶ人がいるのだという事を
痛感させられた出来事だった。

私が住む小さな漁村、“エステーヴァン村”。
ここには小学校の分校がある。
1〜3年生まで7〜10歳までの子ども達20名を預かり、
ひとつの部屋で一人の教師が毎日7時〜11時まで授業を行っている。
3学年同時進行の授業は、
子どもにとっても、
教師にとっても簡単なものではない。
5年前、
学年ごとに授業が出来ないかと、
市の教育局に掛け合ったことがあった。
その翌年、
午前に1年生、
午後に2年生、
といった具合に、
分けて授業が行われた。
しかし、
各学年の生徒数が少なく、
一クラスとして授業を行うことが困難であり、
20人以下の場合、
分校を存続することすら
難しいというはなしになった。

そして現在、
1〜3年生合同で、
午前中に授業を行っているのである。

ブラジルは休日が多く、
一週間通して授業が行われることが
本当に少ないように感じる。
もしかしたらカノアだけなのかもしれないが、
なんだかんだと、
教師も
会議やら
授業計画やらで欠席し、
子ども達は
学ぶ意欲を失くしていき、
生活リズムも狂っていく。
そして、
学校に行かなくなっていく・・・
という悪循環へと繋がっていくのだ。
そのため、
最近では
担任教師が休む場合、
臨時教師が担当することとなった。
しかしこの臨時教師。
高校をやっと出たばかりの人で、
普段は大人の識字教室を
夜間に担当している。
日中に子ども相手に仕事をするとなると、
なぜか暴言ばかりを吐き、
暴力的になる。
つい先日も、
定規片手に授業を行い、
休み時間をなくし、
教室に子ども達を閉じ込め、
そのおかげで子ども達は
いつも以上に大騒ぎし、
手が付けられなくなってしまったという。

教師として、
子どもの前に立つのならば、
最低限守らなければならないルールがあり、
接し方や
教え方を
常に学ぶ姿勢が必要である。
臨時教師だからといって、
こういった事を怠っていいのだろうか?
ブラジルの学校教育というものに
今まで以上に疑問を感じた
そんな出来事だった。

70b28789.JPG私がブラジルに長期滞在するようになったのは
“モンチ・アズール”
という、
サンパウロのファヴェーラで行われている活動に参加するためだった。
学生時代、
3週間という短い間だが、
ここの保育園で実習させてもらった。
言葉も何も分からなかった私だが、
それでも、
子ども達がボロボロの服を着て、
鼻水をたらし、
栄養状態が悪いにもかかわらず、
エネルギッシュで、
心開かれた、
そして、
何よりも、
きらきらと輝く目をした彼らに
惹かれたためだった。
卒業後すぐにそこでボランティアをしたいと思ったのだが、
モンチ・アズール住民協会から
(欅藥里箸靴篤本できちんと経験をつむこと
△△訥度のポルトガル語を話せるように語学教室に通うこと
という2点を申し付かった。
そのため、
2年という短い間ではあるが
私立の保育園で働き、
ポルトガル語教室に通い、
やっと、
モンチ・アズールのボランティアとして受け入れてもらったのだ。
当時のボランティアは
様々な技術を持った人がたくさんきており、
楽器を演奏できたり、
電子技工士、
情報処理、
調理師、
社会福祉士、
などなど、
それらの技術をファヴェーラの人々に伝える
この活動のために役立てるという事が
ボランティアにとっての大事な使命であったような気がする。
それから約10年の歳月が流れ、
モンチ・アズールでのボランティアの立場は
どちらかというと、
モンチ・アズールという場所で
自分を成長させる、
いわば、
『モンチ・アズール大学』に通っている
といった方が近い存在になった。
この活動が成長し、
異なる使命を持ち始めた
その象徴なのかもしれない。

カノアでは、
まだまだボランティアの人々から学ぶことが多くある。
様々な視点から、
その技術から、
疑問から、
私達はよりよい活動をしていくために、
住民達と共に
学び、
考え、
実践していくのだ。

ボランティアの意味。
それはその人にとって、
その場所にとって、
様々な意味合いがあるのだと思う。
その事について、
今一度考えてみたい。
そう感じている今日この頃です。

3f49bb7a.JPG11月10日(金)。
遠足に行きました。
年に2度行われる遠足。
毎年パスコアの時期(3、4月)と、こどもの日に出かけます。
今年はこどもの日である10月12日に遠足にいけなかったため、
一ヶ月遅れの遠足となりました。

毎回遠足に行くとき、
どこに行こうかと思案します。
子ども達が疲れないように、
移動時間は1時間以内。
場所も日陰が十分にあり、
食事が出来る場所があること。
トイレや水の確保・・・

今回はアラカチ市内の
“Mirande das Ganboas”に行きました。
宿泊施設などが完備された、
レジャー施設で、
プールや公園などもついています。
壮大な自然の中で育っている子ども達。
そんな子ども達にとって、
プールというのはなかなか行く事の出来ない場所。
現在私達の活動にボランティアとして関わっている
2人の日本人ボランティアも一緒に行ったのですが、
なぜプールにわざわざ行くのか?
と疑問を抱いたようです。
壮大な自然の中で、
その自然を生かした遊び、
活動をしている方がどれだけいいか。。。
確かに私達はそう考えます。
しかし、
カノアの子ども達にとって、
人生に何度とないこの機会に、
プールに行くというのは
人生の思い出に残る、
心に刻まれる一日となるのです。

子ども達にとってどれが一番いいことなのか?
意見は分かれる所だと思います。
私の一存であれば、
自然の中を探検したり、
といった事を希望するでしょう。
ただ、
現地の教職員、
保護者にとってみると、
こういった機会に子ども達を
プールやレジャー施設など、
普段することも、体験することも出来ない場所に
連れて行く事を強く望むのです。

子ども達も、
またとないこの機会を
思う存分楽しんでいました。
プールに入り、
元気に滑り台を滑る。
プールに入りたくない子ども達は
公園で遊ぶ。
そんな子ども達の元気な声や、
笑顔を見ていると、
ここに遠足に着てよかったと、
感じるのでした。

セアラ州都フォルタレーザで開催された
第2回セミナー『言語の発達調査と子どもの教育のために』
という、
セアラ大学が主催のセミナーに参加してきました。
私達が住む場所では、
なかなか講座や講演会など、
現場の先生達が知識を高め、
向上していくための場がありません。
そんな中で、
急遽このようなセミナーがある事を知り、
共に働いている2人の教師と私の3人で
このセミナーに参加してきました。
2日間の連続セミナーで、
朝の8時から夜の8時半までと
長丁場なのですが、
それぞれ現場で生かすことの出来るようなものを・・・
というテーマが並んでいたため、
全ての講座に参加したい!!!
と思ったほどです。
私は残念ながら仕事などの関係で、
1日目の基調講演のみの参加となってしまいましたが、
他2人の教師が
この機会を多くの学びの場とした事を
心から願って止みません。

基調講演の中で、
私が書きとめたことがあります。
それを少し紹介させてください。

基調講演『教育学の調査と実践』
ベルナルド シャロット博士

教育現場をよりよくするために、
その場を調査するものにとって、
何よりも大切に考えなければいけないことは
教育とは
人間と社会、提案という、
全てのものが一体となって成り立っているものであるという事である。
教え、
受ける
という立場を常に取っていると、
私達は本当の目的を失いがちである。
教師が何らかの問題にぶつかったとき、
その障壁を乗り越えるのは
問題の根源である
生徒自身の“意思”であり、
私達が何を言おうが、
何をしようが、
生徒がどのように感じ、
どのように考え、
どのようにしていきたいと思うか。
という事をきちんと把握でき、
それを尊重することがなければ
クラスで生じている問題は
何も解決できないだろう。

私達は
学校の構造や、
その組織を改革し、
教育の現場を
よりよくしようと試みることが多くある。
しかし、
その現場の教師や生徒が
きちんと理解し、
よりよい方向に向かっていかなければ
どんなに構造や組織を変えても
よい方向に向かっていくとは限らないのである。

そして私が重要であると考えるのは、
学校というのが
ただ授業をし、
教え、
学ぶだけでなく、
“憩いの場”
でなければならないという事である。

常に生徒と向き合い、
問題点や
解決方法、
あらゆる事を検討していくという事に対し、
グループで取り組んでいくという事が必要である。
目の前の教師だけに頼るのではなく、
必ず
一緒に考え、
取り組むグループがあることが
教育現場をよりよくし、
教育というものを
きちんと伝えていく機会にもなるのではないだろうか。



以前行った講演会で
大好評だったブラジルの“かえるの歌”。
せっかくなので、
皆さんにもどんな歌なのか、
お教えいたします。

※ただ楽譜をブログに書き込めないので、分かりずらいとは思うのですが・・・

“O SAPO(オ サッポ)”

o sapo nao lavar o pe
(オ サポ ノン ラヴァ オ ペ)
nao lavar o porque nao quer
(ノン ラヴァ オ ポルケ ノン ケー)
ele mora la la
(エリ モラ ラ ラ)
lagoa no la no
(ラゴア ノ ラ ノ)
pe
(ぺ)
porque nao quer
(ポルケ ノン ケー)
mas que chure
(マス キ シュレ)
ta saindo no seu pe
(タ サインド ノ セウ ペ)

<日本語訳>
“かえる”

かえるが足を洗わない。
洗わない。
だって嫌だもん。
かえるはあっちの沼に住んでいて、
足、嫌だよ。
だけど臭い。
あなたの足から出てるよ!!

<音符>

ソドドソラソミ
ソドドソラソファ
ソシシソラソ
シシソラソ

ソラシド
ドソドレ
ミドミドソソド

※楽譜が欲しいと言う方、ご連絡ください。FAXかメールの添付でお送りできます。

ffeaaf0e.JPGカノアにボランティアが来た。
日本人の彼女は
今年の4月からモンチ・アズール住民協会でボランティアとして関わっており、
今月からカノアでボランティアとして働いてもらうことになった。

本当は
11月1日に到着するという事だったので、
11月2、3日と私達の活動を見てもらい、
翌週から働いてもらうことになっていた。
しかし・・・
11月1日にサンパウロ空港の完成質で問題発生。
何十機もの飛行機が離着陸できず、
かなりの遅れが出ていた。
彼女の乗った飛行機も
予定よりも3時間遅れたらしい。
フォルタレーザの空港に到着する頃には
カノア・ケブラーダ行きのバスがなくなっており、
フォルタレーザで一泊。
そして、
よく2日にカノアにやってきた。
しかも・・・
11月2日は休日。
そして、
11月3日も連休となり、
結局カノアの活動を今週見せることは不可能となった。
でも、
まずはここの気候や雰囲気に慣れてもらい、
村人や子ども達と知り合ってもらう。
それだけでも
とても有意義な時間が過ごせるはず。。。

気さくな彼女は
とてもアフリカが好きなこと。
子どもが好きなこと。
音楽が好きなこと。
日本人でありながら、タンザニアの音楽を習っているため、
それをカノアの子ども達に教えたいという事・・・
色々な事を話してくれた。
最低限のルールや、
この土地の決まり、
そういったことは必ずある。
でも、
思う存分、
子ども達の中で
自分を出し、
やりたい事をやってもらいたい。
そういう挑戦の出来る場所、
そして、
そこから何かを見つけ出してもらえるのなら、
私達は本当に嬉しい。
さて、
これから子ども達との日々が始まる。
一体どんなことが起こるのだろうか?

ちなみに、
彼女の名前は“マユミ”
私の名前も“マユミ”
村人達は
『1号、2号でいいじゃない?』
なんていうけれど、
やはりそれでは・・・
子ども達は早速呼び方を考えているらしい。
どんな名前になることか。
好ご期待!!!

子ども達にもぜひ、
観光地にやってくる、
お金を落としていく人だけが外国人なのではなく、
彼らと話をし、
交流してくれる、
そんな人たちもいる事を
ぜひ知ってもらいたい。
それがカノアの子ども達にとって
とても大切なことであると思うから・・・

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