光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

2012年08月

8月23日(木)
エステーヴァン村に住むひとりの女の子が息を引き取りました。
わずか2歳。

この女の子は多くの障害を抱えていました。
若い母親は妊娠がわかった途端、
堕胎のために
あらゆる薬、お茶を飲みました。
しかし、
流産できませんでした。

「すでにお腹の中で生きている命を粗末にしてはいけない。
私が育てるから」

という実母の言葉により、
若い母親は産むことを決心した。
それから数ヵ月後、
妊娠6ヶ月で出産し、
超未熟児で水頭症。
骨の変形異常なども見られ、
生後3ヶ月になるまでに3回もの手術を行った。
それでも、
この女の子は“生きる”力がとても強く、
成長、発達に懸念があったにもかかわらず、
小さい体で乗り越え続け、
びっこを引きながらも歩くようになり、
言葉を話すようにもなっていた。
その姿を見てか、
若い母親も強い愛情を抱くようになり、
リハビリなど、
懸命に我が子を支えはじめていた。

単なる風邪。

みんなにとってはそうかもしれない。
しかしこの女の子にとっては致命傷ともなり得るものです。
そして今回。
風邪が長引いていたと思っていたら、
嘔吐を繰り返しはじめ、
病院に担ぎ込まれた時には既に危篤状態でした。

たった2歳。
それでも、
彼女の姿、
懸命に“生きている”様は、
多くの人々の心に残っていることでしょう。
多くの人が諦めていた、
それを一つ一つ乗り越えていく。
そんな彼女から私たちが学ぶべきことはたくさんあります。
さらには、
若い母親による、
望まない妊娠のリスクと現実。
こうしたことに対して私たちは一体何ができるのでしょうか?
今こそ考え、行動しなければならないのかもしれません。

今日から日曜日まで、
彼は村の伝統ダンスのメンバーを率いて、
"POVOS DO MAR"という文化交流をテーマにしたイベントに参加するべく、
下記参照(ポル語表記)↓
http://www.sesc-ce.com.br/index.php?option=com_content&view=article&id=447:sesc-recebe-inscricoes-para-2o-encontro-povos-do-mar-&catid=3
出かけていきました。
5日間のパパの不在。

今朝長女は、
「パパがいないってことは、
朝誰が私をスクールバスまで送ってくれるの!!」
と一言。
そして次女。
「パパがいないってことは、
誰が朝、焼きたてのパンを買ってきてくれるの!!」

この二人の言葉に言葉の見つからない彼。
それにしても、
「パパがいなくてさみいい」
とかではなく、
なんて現実的な子ども達!!
朝に弱い私を知り尽くしている娘たち。
これらの言葉、
私に向けられているような気がするのは、
気のせい???

ブログネタ
なでしこジャパンに「おめでとう」のメッセージを! に参加中!
私はブラジルに住んでいます。
今回のロンドンオリンピックも、
ブラジルのテレビで観戦していました。
なでしこジャパンの決勝戦。
ブラジルの解説者は
一様に
「日本は正確なパス回し、
そしてこのチームワークの良さ。
本当に素晴らしいですね。
これほどまでに日本のレベルが上がってきている。
W杯で優勝するだけありますね。」
と、
褒め称えていました。

確かに負けてしまった。
銀メダルの獲得。
それでも、
ここまで世界に認められるチーム。
本当にすごいです。
だからこそ、

“おめでとう!!”

と言いたいです。

9月9日開催のJangada(帆船)のレースに向けて、
着々と準備を進めている村の漁師たち。
年に一度の、
漁師のための、
漁師による、
お祭り。

どこに行っても、
今はこの話で持ちきりです。

先日、
レース開催担当者数名は、
日本で言う、
「海上保安庁」
にレース開催許可を貰いに行ってきました。
もう第14回目を迎えるこのレース。
しかし今年は、
今まで以上に規定が厳しくなっており、
安全保障の観点から、
  1. Jangadaには必ず「ライフジャケット」の着用、もしくは装備
    最低5〜6隻の船の援護(ライフジャケット、浮き輪等の救命道具を装備のこと)
    レース中にはJangadaの後ろを必ず船で追跡
    トランシーバーの着用

を求められました。
この村では、
漁は全て、Jangadaで行われます。
それ以外の船を所有している人はいません。
そのため、
近隣の漁師で船を所有している人から貸してもらう必要があり、
尚且つ、
全ての参加者および援護の船に装備するだけのライフジャケットも用意する必要があります。
それでも、
なんとかこれらの基準をクリアーしようと、
レース開催担当者は奔放しています。
これらの基準を満たすことができなくとも開催は可能ですが、
その際には
海上保安庁、警察、消防などは一切現場に向かわないと通達されています。
さらに海上保安庁からの一言。
『現在、
漁師の免許を所有するためには、
小学校6年生以上の学力を有すものと定められている。
既に長年の漁師経験のあるものは例外とするが、
今後は一切の例外は認められない。』

漁師の存在、
Jangada(帆船)での漁、
これらはこの地域の伝統文化といえるものです。
確かに安全の観点から、
ある程度の規定が設けられるのは仕方がありません。
でも、
一方的に、
突然、
こうしたことを突きつけられることはおかしいのではないか。
なぜ、
事前に漁師に対してこれらの規定に関する説明がないのか、
講習会などが存在していないのか。
矛盾ばかりではありますが、
これが現実です。
ある漁師はこう嘆きます。

「既にイセエビの収穫量が減り、
漁師として生きていくことが難しくなってきている。
俺ら漁師に”もう漁師なんてやめちまえ”っと言っているとしか思えない」

8月12日(日)
ブラジルでは「父の日」でした。

上の娘は
朝、
「これパパにプレゼント。
買ったんじゃなくて、
私が作ったんだけど・・・」
と言ってプレゼントを渡すと、
恥ずかしそうに私の後ろに隠れて、
彼がプレゼントを開ける様子を見ていました。

たくさんの手紙、
(しかも自分と妹の名前が書いてある)
パパの絵、
(似顔絵ではなく、パパの大好きなサッカーの絵)
そして、
キーホルダーに色鉛筆。

小学校2年生になり、
お手紙も上手に書けるようになりました。
もらった彼も、
本当に嬉しそうで、
娘ふたりをぎゅっと抱きしめていました。

そして夕方。
家族揃って砂丘に登り、
風景を楽しみ、
走り、
遊びました。
こうした家族での一時が、
本当に「幸せ」を感じさせてくれます。

私には、
彼の姉のところに
姪っ子が二人いる。
上の子は、
我が家の次女と同じ年。
なんだかんだと喧嘩をしているが、
それでも、いつも気になる存在のよう・・・

先日、
いとこの家の前を通った時、
娘達が、
「遊びに行ってもいい?」
と聞いてきた。
私は、
「今日はやめておこうね」
と、答えた。
「なんで?」
と聞く娘たちに、
ちゃんと返事ができなかった。
どうやって言ったらいいのか、わからなかったのだ。

義兄(彼のお姉さんの夫)は、
以前麻薬の売買に手を染め、
一時期義姉は娘を連れて知人宅で過ごしていたことがある。
その後、
施設に入り、
改心した義兄を再び姉は家に招き入れた。
しばらくはよく働き、家族の面倒を見ていた。
”本当に改心したのだ。”
と、
誰もが思ったほどだった。
しかしここ1ヶ月ほど、
義兄の行動に変化が現れ始めた。
”えっ、もしかして?”
と思いつつ、
黙っていたのだが、
義兄が自分の娘を連れて麻薬を買っている現場を見てしまった。
本当にショックだった。
私の娘と同じ年の姪っ子。
何も知らず、
「パパは病気だから薬を買ってるの」
と答えた姪っ子。
何といったらいいのかわからなかった。

自分の娘たちには、
こうした現実を見せたくない。
一緒にしたくない。
その思いが、
“いとこの家に行かせない”
ということになってしまった。

すごく寂しいことだけど、
どうしようもない。

2012年7月30日。
サンパウロでプロ試験を受けていたDanielがカノアに戻ってきました。
戻ってきたということは、
テストが不合格だったことを意味しています。

7月19日にカノアを出発し、
バスで2日半かけて現地入り。
その後、
合宿をしながら、
全国から集まった参加者と練習していました。
何度もテストが繰り返され、
不合格になった時点で家に戻るように通告されます。
最終テストまで残っていたからこそ、
カノアに戻ってくるのが遅れたのですが、
それでも、
最後の最後で不合格。
本当に悔しかったようです。
しかし、
他の地域から集まったすごい選手たちと一緒に練習できた事は、
大きな刺激だったようです。

これから、
またこういった機会があるかもしれません。
いつの日か、
本当にこの小さな村から、
サッカー選手が飛び出す日が来るかもしれない。
その日が来ることを願って。

私がこの村を初めて訪れたのは、
もう12年も前のこと。
当時は言葉もわからず、
とにかく、
そこで「生きる」ことだけで精一杯だった。
そして、
この村で保育園を設立することになり、
長期滞在することが決まったとき、
尊敬する『ウテ・クレーマー』さんから
言われたことがある。

“小さな村で暮らし、そこで活動するということは、
自分の生活、
苦楽を共にするということ。
彼らと同じ目線でいることを、
彼らと同じ生活様式でいようと努力することを
決して忘れてはいけない”

始めの頃、
それは難しいことではなかった。
自分の生きてきた環境とは全く異なるところで生きるためには、
彼らのように生活すること、
彼らの目線でいなければ生活できなかったから。
しかし時が過ぎ、
私も結婚し、家庭を持ち、子どもが生まれた。
仕事の関係もあるけど、
我が家は固定電話、インターネット完備。
村の中では異例だ。
それでも、
“村の人と同じ目線で”
ということだけは、
忘れずにいようと今でも努力している。
難しいこともたくさんある。
でも、
彼らの考えていること、
今抱えている問題がわからなくては、
活動すら成り立たない。
村の中にいながら、
それでも“日本人”であり続ける私は、
いつも一歩外から見ているイメージだ。
この“一歩”が、
本当に大事だと、
最近痛感している。
私だから見えること、
感じられることがあるからだ。
でも、
それは村の人が気づき、
取り組んでいくべき課題だと思わなければ、
この村に必要のないものでもある。

『彼らと同じ目線でいること』

いつも心の中で自分自身に問いかけ続けている。

7月29日(土)、
この週末は、
カノアに40000人の観光客が来ているとニュースで流れたほど、
たくさんの方で賑わっていた観光地。
そんな夜に、
私たちの音楽プロジェクト、
“Music for Canoa”のメンバーが、
最近一緒にセッションを組んでいるバンドと一緒に
演奏しました。

本当にかっこよかった!!!
まだまだ人前での演奏に慣れていない子もいましたが、
それでも、
こうした機会をこれからも設けていってあげたいですね。
頑張れ!!

Music for Canoa!!!!!
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