光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

2012年09月

9月29日は『聖ミカエル』の日です。
今年は一足先に、
今日、
子ども達の劇の発表を行いました。
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聖ミカエル祭は、
心の悪と戦う勇気を持ち、
自分自身が持つ光を見つける・・・
そんなメッセージが込められています。
子ども達には、
ドラゴンと戦い、
姫を助ける、
というストーリーの中で、
勇気を持つ大切さ、
誰にでも、
輝く光を持っているということを
お話や歌、劇を通じて伝えていきます。

この日、
家族を招いての発表会。
子ども達の姿はいつも以上に素敵でした。

最後にみんなに渡したメッセージを、
皆さんとも共有したいと思います。

"Temos que olhar para frente com absoluta enquanimidade para com tudo o que possa vir.
E temos que pensar que tudo o que vier nos sera dado por uma direcao mundial,
plena de sabedoria."
〜Rudolf Steiner

“私たちのもとにやってくる全ての物事に対して、確かな心を持ち、前を見つめていかなければならない。
そして、それら全てに対して、世界を見つめながら考えていく必要がある。
それが、確かな叡智なのである。”
〜ルドルフ・シュタイナー
※私の日本語訳なので、ご了承を・・・

2年ほど前、
アラカチ市保健局と、
地元の大学と共同で、

『市内の保健所に遊びスペースを!!』

というプロジェクトを企画した。
その年、
2箇所に遊びスペースを設けることができたが、
その後、
活動はストップしてしまった。

そこで、
UNICEFの後援を受け、
再び一歩を踏み出すことになった。
その時、
“遊びの大切さ”を広めるために、
セアラ州内すべての市で遊びリーダーを育成し、
活動をしていることを知った。

「アラカチ市内でそんな話聞いたことがない」
というと、
「いや。活動しているよ。会って話してみるといい。」
と言われ、
やっとこさ連絡を取ることができた。
そして今日、
彼らの活動に参加してきた。

活動拠点はなく、
市内の広場や公園、
学校などを巡回しながら、
定期的に“遊び”を広める活動をしているらしい。
なかなか面白い取り組みで、
カノアの保育園とも共同で何かできるのでは!?
と、
今は頭がフル回転。

こうやって輪が広がっていくんですよね。
さて、
彼らと一緒にどういう活動をしていこうか???

http://www.facebook.com/aracati.crescebrincando

※念の為、保健所内の遊びスペースの件も忘れていませんよ!!!

この記事を読んで、 「そうだよなぁ〜」 と、 当たり前のように思った。 確かに、 突然生活から電気がなくなれば、 私たちは右往左往し、 日常生活もままならないかもしれない。 それほど、 私たちの生活にとって、“電気”は大きな役割を占めている。 でも、 でも、 考えてしまう。 これ以上は必要ない。 と。 当たり前から一歩下がって、 見つめてみる。 やはり今、 私たちにはそれが必要なんだと。 ↓

私が住んでいる、
ブラジル、セアラ州というところは、
サンパウロ等とは異なり、
日本人や日系人が少ない地域です。
特に私が住んでいるカノアには、
現在、
私と娘たち、
JICA日系社会青年ボランティア
の合計4人しかいません。

私がここで活動始めた当初から、
村の人たち、
特に子ども達は、
日本人の旅行客を見ると、
「まゆみの友達?家に連れて行ってあげるよ」
と、
我が家に連れてきます。
全く知らない人たちなので、

「あっ、はじめまして」

という自己紹介から始まります。

今日も一人、
南米を旅しているという人が我が家にやってきました。
村であった人たちに、
「日本人か?ここにも日本人が住んでるぞ」
と言われ、
わざわざ我が家まで訪ねてきてくださったのです。
しかも、

「村の人たちが、ここには40人の日本人が住んでいるって言ってたんですけど、
本当ですか?」

って聞かれました。
一体どこの情報なのやら・・・

でも、
異国の地で、
同じ日本人に会えるというのは、
知らない人とはいえ、
嬉しいものです。
これが本当に知っている人だったら、
もっと嬉しいのですが・・・
まぁ、
そういう場合は事前に連絡がありますよね。

9月15日(土)、フォルタレーザ(セアラ州都)にて、
「日本語スピーチコンテスト」が開催されました。
昨年は地方大会だったのですが、
今年は州大会。
この州大会で上位3位までに入った人が
サルバドールで開催される地方大会への出場権を取得することができます。

我ら“エステーヴァン日本語講座”からも、
3人が州大会に出場しました。
私自身はもっぱら陰ながらの応援団長なのですが、
“エステーヴァン日本語講座”は、
JICA日系社会青年ボランティアの真野さんの指導により、
週2回の授業を行っています。
実は私、
この子ども達の実力というものを正直知りませんでした。
当日、
練習を行っている場面に立ち会わせてもらい、
その時に初めて、

「この子達、こんなに日本語を話せるようになったんだ」

と驚いたほどです。
私は今回審査員として参加したので、
どうなることかと心配しつつ、
公正な判断をするために、
緊張しながら審査員席に座っていました。

1〜3番目はエステーヴァン日本語講座の生徒たちです。
初めての場で、
1番目に話すCassioはとても緊張していたことと思います。
それでも、
滑舌よく、
会場の人々を見ながら、
上手にスピーチすることができました。
その姿を見て他の審査員たちも驚いていたほどです。
2番目はIsabel。
練習の最後まで、文章を忘れたり、つっかえたりしてしまっていたため、
どうなることかと心配しましたが、
途中で何度かカンペを見る場面はありましたが、
最後まで話しきりました。
そして3番目はMarisa。
彼女は文章はきちんと話せるのですが、
イントネーションが強く、
日本語を聞く私たちとしては、
なかなか単語を聞きづらい・・・のです。
それでも、
最後の質問にもきちんと答えていたので、
ほっとしました。

今回は州大会ということもあり参加者が少なかったのですが、
なんと、
エステーヴァン日本語講座のCassioが3位入賞を果たしました!!!!!
その声を聞き、
ここまで指導してきた真野さんは目に涙をため、
信じられない様子です。
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一人で1年間、
この日本語教室を指導してきてくれた真野さん、
本当に素晴らしい生徒を育ててくれてありがとう!!!
これからも継続していかなければと、
私も心に誓いました。
まだ残りの任期があります。
この生徒たちがどこまで成長してくれるのか、
陰の応援団長として、
本当に楽しみです。

最後にもう一度、
Cassio、
本当におめでとう!!!

しかし。。。
残念ながら地方大会への出場条件として、
16歳以上というのがあります。
彼は現在13歳。
残念ながら出場権を4位の人に渡すことになりました。
それでも、
彼が16歳になった時、
全国大会!?に行くのも夢ではないかもしれません!!!!

ブログネタ
自分が成長したと思うのはどんなとき? に参加中!
同じ場所で、
同じ人たちと一緒に、
住む。
生きる。
活動する。(仕事をする)

何年かすると、
「こういう時はこうすればいいんだな。」
「こういう時はこの人、こう思ってるんだよな」

と、
経験の中から理解できることが出てくる。
それは、
他の人を傷つけない、
効率的に行動する、
という意味では、
本当に素晴らしいことだと思う。
それによって、
その人自身を生かした活動ができたり、
生きることが幸せなんだと、
感じてくれることもあるから。
でも、
それが全てではない。
自分では、
「あぁ〜またか。」
と思っていたことでも、
実はその人が全然違う気持ちでいることも有り得る。

そんなことに気づいてから、
私はこう思うようになった。

“知っていることでも、学び続ける。”

例えば同じ本を何度も読んでいると、
毎回新しい発見があったりする。
違う見方をすることもある。
これって、
人生にとっても同じことだと思う。

「あぁ〜もう知ってるや」

と思えば、
それ以上得られるものはないけど、

「まだ知らないことがあるかもしれない」

と思えば、
新しい事実を発見することもある。

言葉で言うと簡単だが、
それを実行に移すのはなかなか難しい。
それでも、
私はいつも、
こう考えるようにしている。

『知っている、と思わない』

私たちの保育園は、
3〜5歳児が一緒のクラスにいる、
異年齢クラスである。
クラスの中に発達の異なる子ども達がいることで、
難しいこと、
できない事があるのではないかと思われる方もいるかもしれない。
昨今、
日本でも異年齢クラスが注目されている。
というのも、
兄弟のいないひとりっ子や、
地域の中で異なる年齢の子ども達と接したり、
遊んだりする機会が減ってきているためである。

異年齢でいるということは、
発達も、
ルールなどの理解力も、
運動能力も異なる中で、
一緒に遊ぶということである。
それでも、
子ども達はそれぞれの能力を的確に読み取り、
役割を決め、
上手に遊んでいる・・・
という姿を目にすることは多いのではないだろうか。

今日、
職員会議の場で、
保育士の一人がこんなことを言っていた。

「今年のクラスは本当に団結力がある。
遊んでいても、
見守ったり、
応援したり、
手伝ったり、
その場に応じてみんなが対応している。
この間も、
4歳の子どもが水彩画を完成させた時、
クラスのみんなが拍手をした。
“どうしたの?”
と聞くと、
“この子はいつも紙を破いてしまうのに、
今日は紙が破れていない。
すごくキレイな絵だよ。”
と、自分のことのように嬉しそうに話してくれた。
こういう時、
クラスの子どもは互いに支え合いながら生きているんだと、
本当に嬉しく思ったんだ。」

こういう話を聞くと本当に幸せな気持ちになる。
”よし、これからも頑張ろう!!!”
って気持ちになる。

子ども達に感謝です。

とっても面白い、
というか、
ためになるテストがあります。
私自身試してみたのですが、
これが意外にも結構当たっていてびっくりしました。

人生に迷っている人、
今の自分を見つめ直したい人、

お勧めです。
進路に迷っている人にもいいかもしれません。

サイトはこちら↓
http://inspiira.org/

ただ日本語はなく、
英語とポルトガル語のみです。
ぜひお試しあれ。

昨年、
当時8歳の子どもが、
自ら進んで地域の男性とわいせつ行為に及び、
”お菓子”を買ってもらっている・・・
という話が私たちのところに届きました。
実はこの女の子、
私たちの学童教室に通ってきているのです。
家族と話してみても、
埒があかず、
その女の子自身も、
悪びれた様子もありません。
「身体でお金を稼ぐ。」
と、
簡単に言ってのけるのです。
でも、
話を聞いていくと彼女にとってそれは、
親に甘えておもちゃを買ってもらうのと同じレベル。
「売春」
ということの意味すらもわかっていないようでした。
彼女自身も
「悪いことしちゃったのかな。」
と一言、その後は売春の道から遠ざかっていました。

そして今日、
また同じ男性と、
同じ理由(お菓子を買ってもらう)ために、
わいせつ行為に及んだことがわかりました。

”大人のこの男性にこそ問題がある。”

と、みなさんは思うかもしれません。
しかし実は、
彼自身は知的障害を持ち、
アルコール依存症でもあり、
お風呂にも入らないような人で、
楽しいことをさせてくれている…という意識しかないのです。
どちらかというと、
この女の子に持ち金を取られてしまう、被害者でもあります。

こうしたことは私たちが中途半端に介入すると問題が悪化する恐れがあります。
そのため、
然るべき行政担当者に連絡をし、
対応をお願いしました。

この女の子。
彼女一人でこんなことを思いついたのでしょうか?
違います。
姉、
いとこ、
いつも一緒に遊んでいる人たちから学んだことなのです。
こうした連鎖はどうやったら止められるのでしょうか?
私たちにできることはどんなことなのでしょうか?
他人である私たちにできることは限られています。
家族が対応しない場合は特に難しい問題です。
それでも、
何もできない自分が腹立たしくてなりません。

昨年、
短大の特別講義を行った際、
呼んでくださった先生からいただいた一言が、
ずっと頭から離れませんでした。

「子どもや保育のことを話してくれる専門の先生はたくさんいる。
あなただからこそ伝えられることがあるんじゃない?」

当時、
私は自分自身がカノアの保育園を立ち上げてから
学び、気づいたことを
一人でも多くの方々に聞いて欲しいと思っていました。
日本で忘れがちなこと、
そんなことに気づかせてくれるカノアでの活動は、
日本人だからこそ、
日本の皆さんに返していくべきだと強く感じていたからです。
ただ、
私にしか伝えられないことって、
実は違うことなのかもしれない。
そんなことを考え始めました。
保育経験も少ない未熟な私が、
ブラジルという地で保育園を立ち上げる。
そのために多くの人が力を貸してくださり、
助言をくださいました。
いろいろな園での実習や研修もさせていただきました。

始めは3年のつもりで保育園の立ち上げを行った私。
しかし、
その後も必要に応じて教室の開講、
プロジェクトの立ち上げ、
地域行政との連携など、
気づいてみれば既に12年が経っています。
この地域には幼児教育という物自体が存在しなく、
グローバリゼーションの急速な訪れに戸惑う小さな子どもを持つ親たちの希望で、
自宅の一室からスタートした活動。
確かにはじめは、

「子どもにご飯を食べさせてくれる、便利な場所」

という理由から保育園に子どもを連れてくる人が少なくありませんでした。
数年前からブラジルは、
公立の小学校における4歳からの幼児教育部門を義務化させました。
カノアには、私立の幼稚園も開園しました。
行政サービスの一環として、
生活保護世帯に対する、乳幼児受け入れ事業も始まりました。
幼児教育のなかった地域に現在、これだけの受け入れ施設が整備されています。
それでも、
保育を専門的に学んだ人はほとんどいません。
専門家の養成は急務です。

私たちはといえば、
保育園は子どもを受け入れるところ。
ならば当然家族も受け入れるべき。
そうなると、家族の生活の向上の手助けを考慮する必要が出てくる。
ということは、
地域を巻き込み、共に活動していく必要がある。
そのために、
“保育園”を基盤として、
地域の生活向上に取り組んでいます。

私たちは一人で生きてはいません。
家族がいて、
その周りには大勢の人がいます。
保育園というのは、
小学校などの学校教育よりも、
家族、そして地域との距離が近い分、
手を差し伸べやすい環境にあります。
どこまでが保育園の仕事で、
どこからが家族がするべきことか。
毎日のように議論することです。
答えはありません。
それでも私は、
私たちの活動がここで行われている意義、
私が日本人としてここにいる意味を
探し続けていきたいと思っています。

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