光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

2013年07月

現在、
JICA草の根技術協力事業において実施している、
「コミュニティーネットワークの創設」。
地域住民、教師や看護師といった専門家、
保健局、教育局、社会福祉局といった、
垣根を乗り越え、
みんなで

「乳幼児期」

の重要性、
その保護のために、
地域レベルで活動していくネットワークの創設を目指しています。
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今日、
その会合があったのですが、
前回に引き続き、

「Gestor(主(あるじ))」
「Familia(家族)」

この2つの言葉の意味、
そのあり方に対する考えを聞き、
改めて感心しました。
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「Gestor(主(あるじ))」
というと、
市長といった、
政治の長をまっさきにイメージする人が多いのですが、
この言葉、
家族の主人、
プロジェクトの責任者、
団体の代表、
全ての人のことを指す言葉だと、
その共通認識を確認しました。

「Familia(家族)」
とは、
両親に子ども
だけではなく、
祖父母と孫、
シングルマザーやファザーと子ども、
同性のパートナーとその子ども、
その全ての形を思い浮かべる必要がある。
その共通認識も確認されました。

シンプルな言葉なのですが、
その言葉をどう捉えるか。
それを議論している場にいた私は、
客観的に聞きながら、
このネットワークの形を改めて感じ、
とても嬉しくなりました。
この想いを持ち続けつつ、
事業に精進していきたいと思います。

先日卒業式が行われ、
その翌々日、
謝恩会が開催されました。
この謝恩会、
今回卒業した3人が企画、出資、運営したもので、
エステーヴァン村の3分の2の人が出席するほどの、
盛大なものでした。
この謝恩会、
何が素晴らしかったというと、
彼女たちは、
自分たちだけではなく、
既に大学を卒業した人たち、
今、在学中の人たち、
その全ての人たちのために開催したというところです。

私が保育園を設立しようと思った13年前、
高校卒業した人が村にはたった5人しかいませんでした。
それが昨日、
卒業した3人を含む、
8名が大学を卒業し、
5名が在学中。
ということは、
13名が大学在学もしくは卒業したことになります。
これには本当に驚きました。
そして、
胸の奥が熱くなるのを感じました。

今回卒業した3人の家族がそのお祝いの言葉を送ったのですが、
中でも、
涙が自然と目に溜まる、そんな場面がありました。

彼は、
長男で、
大麻常習者で、
アルコール中毒者でもあります。
漁師として一応働いていますが、
しらふでいることのほうが少ないです。
そんな彼が、
妹に向かって送った言葉。

「俺は長男だけど、
5人いる兄弟に尊敬されるようなことは何もできなかった。
間違ったことばかりを教え、見せてきたと思う。
でもそんな中、
妹は、
その持ち前の頑張りと強い意志で、
高校を卒業し、
今、
大学も卒業した。
俺にとって妹は、
こんなこと言ったこともなかったけど、
唯一尊敬でき、自慢の存在だ。
他の兄弟たちが、
彼女の背中を見て、
これからの人生を歩んでくれることを強く願う。
本当におめでとう。」

この村は、
まだまだ難しいこともたくさんあります。
でも、
少しずつ、
変わってきている。
そんな気がした瞬間でした。

2013年7月19日(金)。
この日、
私たちと一緒に働く2名が、
晴れて大学の卒業を迎えました。
Formatura_Flaviane, Patricia
ブラジルでは、
小学校の教師は特に、
大学卒業資格を持っていない人がまだいます。
それでも、
「全て教職に関わる人は、
大学卒業資格を持つこと」
ということが義務化され、
その猶予期間もわずかになってきている今日、
働きながら、
大学に通学している教師がまだたくさんいます。

2人の晴れ姿を見て、
本当に嬉しかったです。
日曜日、
感謝の気持ちを込めたパーティーを
村で開催するそうです。

ここから、
おめでとうを言いたいと思います。
そして、
彼女たちが大学を続けることができるよう、
奨学金を支援してくださった皆さん、
本当にありがとうございました!!!

長い間、みなさんご迷惑をおかけしました。
2013年2月28日の当ブログでお知らせしておりました、
当団体のHP一時停止の件ですが、
本日、
正常に運営されていることを確認いたしました。
ご不便をおかけしまして、
申し訳ございませんでした。

今後ともどうぞ、
「光の子どもたちの会」を
よろしくお願いいたします。

「光の子どもたちの会」の公式HP、
http://criancasdeluz.org/

お父さんはエステーヴァン村出身、
お母さんは南フランス出身。
そして息子は、
南フランスで生まれ、
そこで育ちました。
年に一度、
1ヶ月ほど、
この村に滞在する。
それが生まれてからずっと続けてきたことでした。
そして両親は、
いつか、
この村に移住し、
ここで、
人生を歩んでいきたい。
そう願っていました。
2年前、
その思いを実現するべく、
南フランスの小さなショップをたたみ、
この村へと移住しました。
男の子、
12歳の時でした。

家ではポルトガル語。
会話は問題なかったので、
学校でも問題ないものだと、
両親は思っていました。
しかし、
学校の授業がわからない。
ついていけない・・・
それだけでなく、
毎朝通学途中に見る、
酔っぱらいや売春婦。
麻薬で昏睡状態の人・・・
1年が経ち、
学期末の試験は赤点。
休み返上の補講を受けました。
それでも、
進学はかないませんでした。
ブラジルには、
留年制度があるのです。

男の子は、
学校で授業を聞かなくなりました。
いつも友達と騒いでばかり。
だから、
両親もしょっちゅう学校に呼び出されるようになりました。
学校では、
言語に対する補助もなければ、
教師は彼を教室の外に出して厄介払いするばかり。
その内、
不登校になりました。

14歳の誕生日を迎え、
両親は、
男の子と話をしました。
彼は、
授業がわからないことよりも何よりも、
見たくもない現実、
怖い世の中を目の当たりにしたことが、
大きなショックだったと語りました。
フランスに帰りたい。
男の子の願いはただひとつ、
ここを出ることでした。

そして両親は決意しました。
南フランスで、
また一からショップを立ち上げ、
生活の基盤を移すことを。

男の子はカノアが嫌いなのではありません。
年に一度、
これからも来たいと思っています。
でも、
ここに”住む”ことは嫌でした。

両親は、
きっかけは、
学校の受け入れ態勢だったのではないかと言います。
そうかもしれないし、
そうではないかもしれない。
でも、
14歳の男の子にとって、
ここでの暮らしは耐え難いものになっていたことは確かです。
彼らは今月末、
フランスに旅立ちます。

あと数日で、
長女は9歳になります。
なんだか驚いてしまいますね。

9歳というのは、
「メタモルフォーゼ(変身)」の年齢とも言われます。
なぜでしょうか?

体が少しずつ、
子どもから大人に変わり始めます。
考え方も、
今まで気づかなかったことに気づくようになります。
「なんで私だけ?」
と、自分と周囲の違いに驚き始めます。

では、
我が家では・・・
最近、
些細なことで泣くようになりました。
先日、
テレビにブラジル大統領が出ていたのを見て、
「この人誰?」
から始まり、
「どうやって選ぶの?」
「誰が選ぶの?」
と質問が次々に現れ、
最後には、
「選挙なんて責任のあること、
やりたくないよ。
行きたくないよ。
投票なんてやだよ!!!」
といって、
大泣き;;;
自分が18歳になったことを想像して、
この泣きっぷり。
驚いたというか、
微笑んでしまいました。

あぁ、
こんなことにも気づくようになったんだなぁ〜

一日一回は泣いている娘。
そこまで泣かなくてもいいのにと思うのですが、
これも成長の一貫と思い、
寄り添っていこうと思っています。

子どもは知らないうちに、
大人の階段を登り始めるんですね。

2013年6月30日。
とうとう、
出発の日がやってきました。
彼女は部屋で荷造りを・・・
と、
みなさんは思われるでしょうが、
なんと朝4時半起きで、
5時からの
『聖ペドロ』=漁師の守り天使
のお祭りでの演奏のため、
家にはいませんでした。(笑)
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出発の時間。
見送りに来た人みんな、
なぜか、
「Ate logo !!(またすぐね)」
と言っています。
今まで何度も国内旅行をしていた彼女。
だからこそ、
今度もまた、
数日したら戻ってくる・・・
そんな気が、
みんなしていたのです。
“もう日本に帰ってしまうんだ”
と、
頭ではわかっていても、
来週には笑顔で
「ただいま!!」
と言いながら家に帰ってくるのではないか。
実は今でもそんな気がしています。
(日本に無事到着したとの連絡を受けたにもかかわらず・・・)

なぜなのだろう?
考えてみると、
それだけ、
彼女はこの村の住民の一員だったのだ。
そう思えてなりませんでした。

彼女はまた新たなスタートにたちました。
そして、
今までの経験を踏まえ、
人生を歩んでいくことになるでしょう。

彼女は最後の報告書に、
「豊かで幸せな人生とはなんなのだろうか?」
ということを、
自分の見解を交えて書いていました。
ここでの経験が、
これからの彼女の人生に
何かしら残すことができていたとしてら嬉しい限りです。

さみしいけど、
応援したい。
そんな複雑な気持ちの中、
このブログを書いています。

帰国前日の送別会、
実は、
誰まで呼ぶか、
相当悩みました。
そこで、
子ども達とは、
授業最終日にお別れ会をしているし、
毎日砂丘に連れて行っていた子ども達とは、
やはり最後のお別れも砂丘のほうがいい。
音楽プロジェクトに参加しているみんなとは、
演奏と、
最後に焼きそばを振舞ったということで、
招待する必要ないと判断。
これで、
ざっと100人くらいは削減できました。(笑)
残りは、
日本語教室の生徒たち、
一緒に活動を共にした、
保育園や学童教室の教職員、
そして、
彼女の生活を支えてくれていた、
女性グループの皆さん。
ということで、
約30人が集まり、
送別会を開くことにしました。
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涙涙のお別れではなく、
楽しく、
ワイワイと、
いつものように賑やかに!!
ということで、
それぞれが料理を持ち寄り、
まずはお腹いっぱい食べてから、
日本語教室の生徒たちの発表会。
「上を向いて歩こう」
を生演奏&合唱。
そして、
日本語スピーチコンテストに向けた作文を日本語で披露。
中には涙を隠しきれない人もいましたが、
楽しい時間を過ごすことができました。
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2年前、
私たちのところに、
JICA日系社会青年ボランティアが派遣されてきました。
短期間でのボランティアの受け入れが多い中で、
継続的で、
地域に根ざした活動を行っていくためには、
最低1年の活動継続がなければ
続きません。
長年の希望が叶い、
私たちは、
長期ボランティアを受け入れることができました。
そして本日、
彼女はカノアを旅立ちました。

昨日、
お別れ会がありました。
でも、
ここで紹介したいのはそのお別れ会のことではなく、
(お別れ会については次回報告しますね)
彼女が行った、
“バザー”
です。

いらなくなったもの、
日本には持っていけないものを、
あえて“バザー”という形にして売る。
彼女は、

「本当に欲しい人が持っていてくれた方が、
大切にしてくれるから」

と言ってましたが、
私は、

『なんでも無料で与えるのではなく、
少ないお金でも、
払ってもらうことが必要だ』

と、
スタッフのみんなから言われ、
日本から届いた古着等のフリーマーケットを行っていることを思い出しました。

安くてもいい。
みんなが本当にほしいものを、
大切にしたいものを、
ぜひもらって欲しい。

その気持ちは、
私たちが絶対に忘れてはならないものです。
その思いを、
引き継ぎ、
自然と実行してしまう彼女。
そんな彼女がここ、カノアからいなくなることは、
未だに信じられません。
こういう行動一つ一つが、
地域の人々の胸に刻まれることでしょう。

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