光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

2016年08月

≪第11回 ブラジル料理教室 / Aula de comida Brasileira≫

日時:2016年9月4日(日) 13:30〜16:30
Data: dia 04 de Setembro, dom. as 13:30 - 16:30

場所Local:ライフコミュニティー西馬込
東京都大田区西馬込二丁目20-1
life community Nishi-magome, cozinha (terreo)

交通アクセス:都営浅草線西馬込駅南口徒歩1分
※改札向かいにある虹の壁が目印です!
Estacao de Nishi-magome, saida oeste
Metro de Toei-Asakusa a pe 1minuto
Endereco: 20-1-1,nishi-magome,ota-ku, Tokyo
TEL 03-3778-2581

参加費(Valor):¥1500
メニュー:ごはん、サラダ、キビ、肉の鍋煮込み、コーンケーキ
Cardapio: Arroz, Salada, Kibe frito, Carne de panela e Bolo de fuba
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持ち物:エプロン、三角巾、マスク
Propriedade: avental,bandana,mascara

講師:平塚エレナさん
Professora: Sra. Helena Hiratsuka
*エレナさんblog:http://saudade-brazil.cocolog-nifty.com/blog/

連絡先:坂井春菜
Contato: Haruna Sakai
E-mail canoa@hotmail.co.jp
Cel 090-7424-8913

*食物アレルギーのある方は必ず事前にお知らせください。

★リコーダーを提供してくださる方募集中!★
ソプラノリコーダーの寄付を受け付けています。
使っていないリコーダーをお持ちの方、ぜひ料理教室の際に持って来てください。
楽器以外に、衣類、文房具なども受け付けています。
サイズの大きい物に関しては、ご相談ください。


皆さんにお会いできるのを楽しみにしています☆


光の子どもたちの会スタッフ一同

2016年8月27日。
エステーヴァン村のサッカー場で、
「ミニオリンピック」
が開催されました。

ブラジルでは8月に父の日があるため、
父親サッカー大会など、
体を動かしながら楽しめるイベントを企画し、
8月に実施しています。
今年はリオオリンピックがあったこともあり、
サッカー大会ではなく、
日本でいう運動会のような、
”ミニオリンピック”
を開催することに決めました。

16時開始を予定していたのですが、
来たのはたった2組。
”男親”
をこうしたイベントに呼ぶのは、
本当に難しいのです。
16時半まで待って、
まずは準備体操。
次第に子ども、
その家族がやってきて、
たくさんの人が参加する中、
5つの競技を行いました。

なるべく子どもとと大人、
一緒に楽しめるようにと企画していたので、
下は2歳の子どもから、
70代のおばあさんまで、
家族みんなで楽しめた一日となりました。

親子の関係が希薄なっている、
対話がない家族が増えている…
日本と同じような問題が、
ブラジル、
しかもブラジル人からも地の果てと言われるような、
この小さな漁村でも起こっています。
だからこそ、
家族みんなで体を動かして楽しめる。
そんなイベントにしたかったのです。

最後には勝ったチームに手作りのメダルと貝殻の船をプレゼント。
来年もまた、
来年と言わずに今年中にも、
こうしたイベントを開催したいですね。
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私が住むカノア・ケブラーダ地区には、
様々な伝統が残っています。
その中には、
少し前まで失われる寸前だったものが、
数年前からまた、
大切なものとして、
継承されていくようになったものがあります。
その一つに、

「Danca de Coco(ヤシの実のダンス)」

というのがあります。

漁村のこの村で、
大人の遊びとして、
行われてきたもので、
10数年前まで、
忘れ去られていた踊りでした。

私たちの活動の中に、
「伝統文化の継承」
というものがあります。
保育園や学童教室の中で、
村の高齢者に話を聞いたり、
実際に体験したりして、
昔の生活、
遊び、
などを子ども達に知ってもらうというものです。

2003年、
Danca de Cocoという踊りがあることを知り、
今でも歌い、踊れるという方を呼び、
子ども達と共に踊り、
歌いました。
子ども達はその歌を1ヶ月、
いやそれ以上歌い、踊り続けました。
そこで、
週に一度、
この踊りを教えてもらう日を、
学童教室に取り入れたのです。
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あれから13年。
当時保育園に通っていた一人の男の子、
Tomaz(トーマス)。
彼は今、
このグループの中心的な存在となっています。
それを誇りに思い、
ある発表の日、
彼は自分が子どものころに初めて知り、
好きになり、
背中を見ながら覚え、
今では自分が子どもたちに教えている。
それがあまりにも嬉しい。
涙を流しながらその話をしていました。

今回第6回目を迎えた、
「Encontro SESC Povo dos Mar」
というのがあります。
セアラ州沿岸地域の伝統文化を集め、
互いに思い出し、
学びあおうというものです。
エステーヴァン村のDanca de Cocoも、
第1回目から参加しており、
今回もまた、
参加しました。

私は初めて参加させてもらったのですが、
子ども達の興奮、喜び、
村人たちのスピーチ…
本当に素晴らしい時間を過ごさせてもらいました。
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Danca de Coco。
このグループには今、
下は5歳〜35歳までの人が参加しています。
時にはそれよりも上の年齢の人、
昔を思い出して踊る70代のおばあさんもいます。
こうした活動が、
これからも続いていくことを願って…

2014年、
ブラジルの大都市では、
水問題が深刻化し、
水量制限が実施されるほどだった。

ブラジルにはアマゾンの大森林があり、
国の水源の81%がそこに集中しており、
アマゾン川のみの排水量の内たった1%が、
サンパウロ市全ての水使用量の1000倍あると言われている。

ブラジルは資源のとても豊富な国で、
水や森林だけでなく、
石油もあり、
それだけに、
国民はずっと、
これらの資源に限りがあるとは考えてこなかったのではないか…
とさえ、感じられることがしばしある。

この水不足は、
サンパウロを中心とする南東部地域、
干ばつが続く北東部内陸地域が一番深刻であると言われている。

私が住むカノア・ケブラーダ地区も北東部に位置するが、
沿岸地域であること、
豊富な水脈があることで、
水不足とは縁がないと思われてきた。
しかし、
今年に入り、
水不足がかなり深刻となってきたのだ。

現在ではブラジルの国全体の90%の家庭に水道が整備され、
蛇口をひねれば水が出る状況になったと言われているが、
逆にそれが水問題を深刻化しているのである。

カノア・ケブラーダ地区に配給されている水のすべては、
環境保護地域として指定されている、
エステーヴァン村の水脈から水をくみ上げ、
分配しているものなのだが、
このくみ上げ装置に問題があり、
先月からほぼ毎日、
水が配給されない時間がある、
もしくは、
何日も断水となっている。
この装置は老朽化しており、
それを新しくする必要があるのはもちろんだが、
配管の接続部分や水圧の管理、
電力管理など、
基本的な制限装置が現実的ではないことも、
装置が機能しない大きな要因となっている。
この装置が止まると、
くみ上げられた水が行き場を失い、
噴水のようにあふれ出し、
海に向かって流れだす。
その量は、
水不足だと問題にしているのがまるで嘘のような量なのだ。
そして、
水は海に流れていき、
各家庭に分配されず、
断水となってしまうのである。

近年、
カノア・ケブラーダは一大観光地として名高くなり、
多くの観光客が訪れる町となった。
今はちょうどハイシーズン。
それにも関わらず、
断水が3日以上(場所によっては2週間以上)続いたことで、
住民と商店主がデモ行進を行い、
昨日(8月18日)、
セアラ州水道局とアラカチ市整備局及び観光局の代表との会議が、
カノア・ケブラーダ地区にて開催された。

水というのは生きるために必要なもの。
だからこそ、
ブラジルを見ても、
沿岸及び河川付近に町が作られ、
発展していった。

水はまだそこにある。
でも、
それは永遠にあると言えるのだろうか?
そうではないだろう。
人口が増え続け、
供給が間に合わなくなるのは目に見えている。
だからこそ、
今、
私たちに何ができるのか?
それを考えなければならない。
なぜならば、
このエステーヴァン村は、
「子孫に村を残したい」
という気持ちのもと、
観光地化に反対し、
環境保護地域となり、
今でも住民達が守っている場所なのだから。

8月14日。
8月の第2日曜日は、
ブラジルの「父の日」です。
我が家では、
6月の第3週に、
日本の「父の日」としてお祝いをし、
8月にもまた、
ブラジルでお祝いをします。

父の日というのは、
母の日に比べて地味な印象があります。
母の日は地域挙げてのイベントが盛りだくさんで、
学校や保育園でも、
お母さんを招いてのイベントが必ず開催されます。
しかし、
父の日となると、
「どうする???」
と考え込んでしまう始末。
それでも、
サッカー好きのブラジルならではですが、
毎年、
私の住むこのエステーヴァン村では、
”父の日サッカー試合”
が開催されます。

我が家では、
義理の父母の家に友人が宿泊していたこともあり、
みんなでシュハスコを食べてのお祝い。
食べて、飲んで、また食べる(笑)
とても楽しい1日となりました。
そして、
義父に用意したプレゼントを娘たちが渡すと、
家じゅうの人たちに見せ、
とても喜んでくれました。

いつも最後の砦として、
娘たちに接してくれている彼。
いざという時の”父”頼み(笑)
これからも健康第一に、
笑顔で毎日楽しく過ごしていきましょう!!

いつも感じていることですが、
私はとても、
人との出会いに恵まれていると思います。
例えその出会った人とどんなに大変なことがあろうと、
その人との出会いは、
なくてはならなかったものなのだと、
心から思えることばかりです。

私自身保育士ということもあり、
ブラジルの地の果てと言われるこの地、
カノアで保育園を運営していくために、
たくさんの教育関係者の力添え、
協力や支援がありました。
しかし、
畑違いでもある保健医療に関わることは、
簡単なものではありませんでした。
そんな時、
温かく迎え入れ、
笑顔で抱きしめてくれた二人がいました。
それは、
アラカチ市民病院のDST/AIDS部署で働く、
Dione(看護師)とDra. Magdaでした。
この二人がいたからこそ、
私は保育園だけでなく、
様々な地域に向けた活動を行えることができたし、
何か困ったことがあれば、
誰に相談すればいいのか、
悩むまでもありませんでした。

しかし、
時が過ぎ、
Dra. Magdaは持病の腰痛の治療のため、
手術をし、
昨年から車椅子の生活となり、
リハビリを続けていました。
少しずつ良くなっていく姿をみながら、
病院の彼女たちの部屋で会える日を、
楽しみにしていました。
そんな中、
今日、
8月14日、
先週脳梗塞で倒れてから5日目、
Dra. Magdaは、
残念ながら帰らぬ人となりました。

この悲報が信じられず、
すぐにDioneに確認したところ、
彼女は脳梗塞で運ばれた日から寄り添っており、
事実だということが分かりました。

大切な人の死。
大変な時、
つらいとき、
助けが欲しいときにいつも手を差し伸べてくれた人。
いまだに信じられませんが、
今は心からお悔やみを申し上げます。
※真ん中の白衣の人がDra. Magdaです。
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昨日、
アラカチ市中心街に向かう乗り合いバンの中で、
カノア・ケブラーダ地区でソーシャルワーカーとして働いている人に、
ある住民が相談をしていました。
彼女は、
2年ほど前から、
叔父の介護をしています。
叔父には子どもがいますが、
精神異常や精神薄弱と判断され、
介護できる状態にないと評価されました。
そこで、
今までも食事など、
身の回りの世話をしていた姪が、
正式な後見人となり、
介護をしていたのです。
しかし、
数ヶ月前、
転んで足を怪我し、
十分な治療を受けられなかったこともあるのですが、
寝たきりとなってしまいました。
もともと頑固で、
一筋縄ではいかない人であっただけに、
家に入れるのも僅かな人だけ。
誰でもが介護のお世話ができる状態ではありませんでした。
その姪が、
住み込みではないと介護できないと判断されたことで、
自分は家庭があり、
叔父の家に住み込むことはできないと、
後見人を解消。
別の人になってもらえるように申し立てを行いました。
が、
その別の人というのがいない。
子ども達はダメ。
孫たちにはそのような責任を負わすことは難しい。

一昔前は、
親戚誰もが必要な人に手を貸し、
子育てや介護を行ってきました。
といっても、
1980年代まで、
ブラジルの平均寿命は62歳。
近年になり平均寿命は伸びはじめ、
2015年には75.2歳となりました。
日本人からしてみたら驚く数字ですが、
だからこそ、
今、
ようやく、
「老人介護」
ということが問題になり始めてきたのです。

今後、
こうした高齢者問題は増え続けていくでしょう。
私の住む、
この小さな村でも、
その兆しが見え始めています。

2013年よりJICA草の根技術協力事業として実施してきた、
「地域子育て支援ネットワーク」が、
「CERTIFICACAO DE PRATICAS INOVADORAS NOS MUNICIPIOS CEARENSES – 2016」
を受賞!!
この賞は、
幼児、青年、女性、高齢者、障害者に関し、
革新的な活動を実施し、
公共政策の強化に貢献した事業及びその事業が実施されている市へ贈られる賞で、
NGO である、
”APDMCE(セアラ州内の市の発展のための協会)”
によって与えられます。
この協会は、
市民の啓蒙のための本の配布や、
高齢者福祉分野で働く人材の教育等、
様々な社会的事業を実施しています。
NGOではありますが、
セアラ州内の市長の配偶者が歴代の会長を務め、
州や市と協力しながらセアラ州184市中100市(2014年時点)と広範に活動しています。

授賞式にはネットワークのメンバーと参加しました。
それぞれが今までのこと、
そしてこれからのことに思いを馳せ、
共にトロフィーを受け取りました。

2016年度からは、
カノア・ケブラーダ地区だけではなく、
市内の6地域にもこのネットワークを創設する予定です。
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JICA草の根技術協力事業として、
「ライフスキルトレーニング」の
トレーナー養成を実施しているのですが、
本日、
2016年8月8日、
第1回目が無事に開催されました。

ブラジルでは、
参加者リストを作成し、
その数が50名だとすると、
実際に参加するのはその半分程度と言われています。
今回、
20名の参加者+@
の名前がリストにあったのですが、
2名を除き、
全ての人が参加してくれました。
腰を痛めて参加できず、
本当に残念だというコメントをくれた人。
こうしてみると、
ほぼ100%の参加率だったと言えます。
本当によかったです。
安心しました。

第1回目は「自分を知る」ことがテーマです。
ライフスキルとは何か?
ということを学ぶ中で、
まず一番初めにするべきことは、
「自分を知ること」

学校の教師である参加者たちは、
積極的に参加し、
意見を述べ、
議論し、
賛同し…
本当にすべての工程において気持ちよく、
スムーズに進めることができました。
いつもなら、
「もうお昼だから…」
と、
退席者がいてもおかしくない状況なのに、
最後まで、
名残惜しむかのように、
それぞれが抱き合って、
帰路につきました。

これまで準備し、
やっと始まった第1回目。
これが本当のスタートと言えます。
さて、
これからが本番。
気を引き締めて、
頑張ります!!!
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2016年8月5日。
ブラジル時間の20時より、
開会式が行われ、
リオ・デ・ジャネイロ、オリンピック2016が、
開始されました。

ブラジル国内は大統領への弾劾裁判などの政治不信、
経済不況、
治安悪化など、
国民の多くはオリンピックどころではない!!
と、
憤っている感じすらありました。
私が住む田舎町では、
大規模なデモもなく、
“オリンピック”だからという歓迎モードもなく、
淡々とした日常があるのみでした。
2016年10月2日市長選挙があることもあり、
市民の関心は市長選挙に向けられており、
まるでオリンピックなど存在しない…
そんな雰囲気でした。

ただ、
お祭り好きのブラジル人。
開会式をテレビで観戦しようと、
今までオリンピックの”オ”の字も口にしなかった人たちが、
みんなテレビの前に座り、
開会式を待ちました。
我が家は義父母の家で、
10人ほどの家族が集まって観戦。
大人から子どもまで、
この日を待っていたかのような姿に、
私は苦笑い。
ただ、
開会式の開始が20時ということもあり、
各国の選手団入場が始まり、
聖火の点灯まで、
なんと、
夜中の12時までかかるという、
なんとも長丁場でした。
ということで、
私は21時半に早々と引き上げ、
日本の選手団が入場したのを確認し、
娘たちを寝かすことに。
娘たちはベットに入ったとたんに就寝。
それでも、
本当にブラジルで、
オリンピックが始まったということを、
この日、
この開会式で、
ようやく感じ取れました。

さて、
開催期間中、
どんなことが待ち受けているのか。
ただでは済まないブラジル。
でも、
多くの人たちが、
このブラジルという国を知り、
集まり、
少しでも思い出に残るようであってほしい。
盗難にあった…
という思い出ではなく、
楽しかった!!
と言える思い出を…

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