光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

2017年09月

乳幼児期は五感を育てる時期。
だから、
ピアノを習わさなければ!
クラシック音楽を聞かせよう!

と、
私たち大人は、
今、
身近にないものを、
子ども達に与えようとします。
でも、
五感の中の“聴覚”を育むとき、
果たしてすぐに楽器を習わせる必要があるのでしょうか?
確かに、
ある子どもがピアノに興味を持ち、
自分から触れ、
音を奏で、
そしてピアノを弾くようになる…
ということはあると思います。
でも、
例えばここ、
カノアの保育園において、
子ども達の家には楽器はありません。
近所のお店に楽器を売っているところもありません。
音楽は近所から聞こえる騒がしいものばかり。
では、
子ども達は音と触れ合っていないのでしょうか?
いいえ。
耳を澄ますと、
たくさんの音であふれています。
その音を、
自らの体で表現することもできます。

「目を閉じて。
何が聞こえるかな?」

そう私が言うと、
子ども達は静かに目を閉じ、
耳を澄まします。
そして私が聞こえない音まで、
さらには、
一つの音から物語を紡ぎだしたりします。

保育園では、
日常的に歌を歌い、
それに合わせて体を動かし、
1日の中にたくさんの音が奏でられています。
さぁ、
明日はどんな音が聞こえるかな?
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私たちが実施している、
「ライフスキルトレーニング」
教師へのトレーニングから、
その教師が自らの学校にて生徒に対する授業を実践する、
新たなステップへと入っています。

今日、
小さな学校での授業。
9年生(中学3年生)が対象でした。

始めは緊張しているのか、
静かにしていた彼らですが、
教師の語り掛けに応えるようになり、
途中からは自分の意見を述べ、
友達と話し合い、
それをまた周囲に伝えるという、
素敵な授業となりました。

この授業の最後。
ある生徒が言った言葉に、
授業をした教師は、
涙ぐんでしまいました。

「僕たちは、
いつも色々なことで悩み、
苦しんでいるけど、
今日、
僕たちが今、必要としていることを、
一緒に学ぶ機会を作ってくれ、
本当に感謝しています。
自分を知り、
自分を信じていくことで、
自信が持てるようになり、
生きていくことが楽に、
楽しくなっていくと思います。
そして、
友達や家族、
周りにいる人全ての人に対して、
同じような気持ちを持ってもらえるように、
自分に何ができるのか、
考えていきたいです。
先生、
いつもそばで見守ってくれていてありがとう。
先生、
僕たちが必要としていることを知っていてくれて、
ありがとう。」
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先日、
突然メールで連絡があり、
私たちの活動を見学し、
もし時間が取れれば、
教師たちに対して講座を開くこともできる…という。
彼女自身のことは知らないが、
彼女の仕事、
それらをサイトで見ていたこともあり、

“あの人が直接話をしてくれるのならぜひ!!”

と、
教職員にも話をし、
急遽勉強会を開くこととなった。

テーマは、
『1年のリズムにおける、行事』

私たちは1年の中で、
その季節に応じて、
ブラジルは宗教的な祝日も多くあるため、
そういった祝祭など、
それらを取り入れ、
1年の活動計画を立て、
毎月の活動が決定されていく。
中には、
特に私にとって宗教的な祝祭に関しては、
深いところまで理解できていないことも多く、
それらに関しては、
担任教師に任せていることが多々ある。
そんな中での今回のMileneの訪問。
今までよく理解していなかった部分を補ってもらうべく、
私はこの勉強会を個人的にとても楽しみにしていた。

彼女の話は、
まず、
心と体、
そのバランスについてから始まった。
一見、テーマとはあまり関係なさそうな話。
しかし、
1年の流れ、
その中に位置する季節や行事について話している中で、

「なるほど。
だから導入部分で心と体の話をしたのか」

と、
納得することがたくさんあった。

子どもは保育園に通う1年の中で、
私たちが準備した環境を通して、
多くのことを学んでいく。
それは部屋の飾りつけや使う道具、
教師の立ち振る舞いだけではなく、
季節やその時の行事にも大きく左右されることがある。
ブラジルでは年度始まりが1月のため、
クリスマスを過ぎ、
正月を迎え、
カーニバルを終え、
もしくはその少し前に新学期が始まることとなる。
例えば、
カーニバルの前に新学期が始まるときと、
後に始まるとき。
これによって、
子どもの心の動きや、
周囲の環境は大きく異なる。
カーニバル前に新学期が始まるときは、
子どもはいつも以上に落ち着かず、
家族や周囲もカーニバルを迎えるために騒がしく、
とてもじゃないが、
何か活動を取り入れる状態にはならない。
そのため、
保育園内では、
できるだけ静かな環境の中で過ごせるよう、
教師は準備を進めていく。

今回の勉強会の中で、
自分の考え、感じていること。
自分の立場。
そして、
他人の考えや感じていること。
その立場。
一人一人異なっていることは当然あり、
それこそが人間の面白みともいえるのだが、
その中で、
自分の今の状態、
バランスを考えてみると、
「おっと、
これが足りなかった。」
「あつ、
ちょっと重すぎるかな」
など、
それができるかできないかで、
社会の中での生き方が大きく変わっていく。
そんなことを強く感じることができた。

バランスを取ること。

これは意識しないとできないことで、
簡単な時もあれば、
それを実践するのが難しいときもある。
でも、
一番大切なことは、
いつも自分に問いかけることではないか?
今回の学びは、
そのことであったように思う。
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小学校入学前。
子ども達にはさみやナイフを使わすということ。

「危ないから!」

と、
そういったものに触れさせることのない家庭もあるかもしれない。
でも、
私たちはあえて、
3〜5歳児の異年齢クラスの中で、
はさみやナイフを使います。
といっても、
突然ある日、

「ハイ」

と渡すのではなく、
そこに至るまでは、
きちんとプロセスがあるのです。

例えばナイフ。
ブラジルは食事をするときにフォークとナイフを使います。
しかし子どもには危ないからと、
小学校入学前まではスプーンのみという家庭もあります。
でも、

“危ない”

ということを知らずに、
大きくなったからと大人が判断し、
使っていいというのは少し変ではないですか?

私たちはまず、
週に1度、
給食づくりのお手伝いやお菓子作りをする、
“料理の日”
において、
給食のスープの野菜を切る…
といったことから、
少しずつナイフを使っていきます。
この時は教師が少数の子どもに対して、
見守りながら使用します。
全ての子どもがきちんと使い方、
人への渡し方、
片付け方、
洗い方などを学んだ後、
給食をフォークとナイフで食べる日がやってきます。

幼いころからはさみやナイフに触れ、
指を切ったりと、
危ない、
痛いということを学び、
それを大切に扱うことを知っていると、
大きなけがをしないものです。
これは今までの保育園での体験に基づいています。

今日、
後期になって初めて、
フォークとナイフを使用して給食を食べました。
子どもの真剣な顔。
また一つ、
成長を感じられる場面でした。
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我が家には2人の女の子がいますが、
今日は二女の話を少し…

二女はただいま小学4年生。
年齢の割に夢想家で、
落ち着きがなく、
そのくせ人見知りで、
慣れると人懐っこい。
まるで犬のような娘です。
その笑顔にいつも癒される私は、
ついつい甘くなりがち。
それでも、
大きくなるにつれ、
長女ほどではないにしても、
自己主張が強くなり、
反抗的になることもしばしば。
それでも、
嬉しいことでも、
悲しいことでも、
言葉と体で表現してくれるので、
親としてはとってもわかりやすく、
安心できる存在でもあります。

そんな彼女。
いつからか、
将来の夢が“保育士”に。
私と同じ道を歩んでくれるというのは本当にうれしい話。
そして先日、
突然こんなことを言い出しました。

「ママがおばあちゃんになって、
仕事するのが疲れちゃったら、
私がママに代わって保育園の園長先生になるよ。」

目に涙がたまるほど嬉しい言葉。
しかし一つ気になることが…

“ママがおばあちゃんになって”
とは、
どのくらいの年齢を想定しているのだろうか?
すると、
先日一緒に旅をした方の中に、
80歳になる方がいたのですが、
その人を想像して言ってくれたらしい。。。
ってことは、
私が80歳過ぎないと継いでくれないのか(笑)

それでも、
娘のその言葉。
とっても嬉しかったです。
でも、
もう少し早めにお手伝いを始めてくれると嬉しいなぁ〜
というのは望みすぎですかね???
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