3d29c43d.JPG先日、
ある家族のことで、
共に働いているスタッフの何名かが激しい憤りを見せました。
自分達が確かに正しい事をしている時でも、
常に相手の立場を考えて
行動したり、
言動したりする必要があります。
しかし、
彼らにはそんな事を考える余裕も、
意志もなく、
ただただ怒りを表していました。
その日の夕方、
ある村人と話していたとき、
こんな事を言っていました。
『この村に住んでいる多くの人は、
この村を出たこともなく、
旅行といっても、
同じ気候、
同じ文化、
同じ生活様式を持った人々との交流が
唯一の経験だろう。
貧しくても、
何とか寝る場所があり、
食べるものがあり、
今まで生きてこられた彼らには
その根本が揺らぐという事が
どんなに辛いことで、
不安なことであるのかという事が
分からないのだろう』

この日、
私はバイオグラフィーの講演録を手に取りました。
そして、
20代での経験が、
その後、
どれだけ重要となってくるのか、
改めて感じたのでした。
その一部をご紹介させて下さい。

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21歳のときに訪れる重要な問いは、
「私は誰なのか」
という問いです。
この年齢は様々な事を体験する年齢です。
私達は経験を通じて、
自分を発見していきます。
小さな子どもが口にものを入れたり、
しゃぶったりして、
自分で確かめて世界を体験するように。

世界を体験するためには
インターネットなどのバーチャルな体験ではなく、
実際にそれを体験する、
生きてみるという事が大切です。
よその国、よその場所を知るとき、
同時に自分の持っている、
自分の国の事を深く知ります。
様々な価値観の違いという体験をします。

何でも欲しいと思います。
色んな勉強をしたり、
色んな仕事を体験してみたい、
いろんな人に会いたいと思うようになります。

若い人たちにとって、
世界を体験すること、
やってみること、
失敗することはとても重要なことです。
小さな子どもが歩けるようになるまで何回も転び、立ち上がるように、
そういう様々な経験、
失敗、
成功の経験を経たことのない若い人は
自分で生きる、
自分の独立した人生を歩くことが出来なくなってしまうのです。

自分で自分を評価することができない、
傷つきやすい、
浮き沈みが激しい、
そういう年齢です。

この時期が終わりに近づくと、
それまでの経験を秩序立てて置き直す作業をするときがやってきます。
それまでに様々な事を体験してあればあるほど、
豊富な財産を持っている事になります。
それまでに得た経験が少なければ、
どの体験が自分と本当に関係のあることなのか、
本当の自分とは何なのかを探すチャンスも減ってしまいます。

若いときに様々な体験をするという事は、
私達の魂、心にとって、
とても大切な栄養なのです。
私達はそれを材料として人生を生きていく事になります。