お父さんはエステーヴァン村出身、
お母さんは南フランス出身。
そして息子は、
南フランスで生まれ、
そこで育ちました。
年に一度、
1ヶ月ほど、
この村に滞在する。
それが生まれてからずっと続けてきたことでした。
そして両親は、
いつか、
この村に移住し、
ここで、
人生を歩んでいきたい。
そう願っていました。
2年前、
その思いを実現するべく、
南フランスの小さなショップをたたみ、
この村へと移住しました。
男の子、
12歳の時でした。

家ではポルトガル語。
会話は問題なかったので、
学校でも問題ないものだと、
両親は思っていました。
しかし、
学校の授業がわからない。
ついていけない・・・
それだけでなく、
毎朝通学途中に見る、
酔っぱらいや売春婦。
麻薬で昏睡状態の人・・・
1年が経ち、
学期末の試験は赤点。
休み返上の補講を受けました。
それでも、
進学はかないませんでした。
ブラジルには、
留年制度があるのです。

男の子は、
学校で授業を聞かなくなりました。
いつも友達と騒いでばかり。
だから、
両親もしょっちゅう学校に呼び出されるようになりました。
学校では、
言語に対する補助もなければ、
教師は彼を教室の外に出して厄介払いするばかり。
その内、
不登校になりました。

14歳の誕生日を迎え、
両親は、
男の子と話をしました。
彼は、
授業がわからないことよりも何よりも、
見たくもない現実、
怖い世の中を目の当たりにしたことが、
大きなショックだったと語りました。
フランスに帰りたい。
男の子の願いはただひとつ、
ここを出ることでした。

そして両親は決意しました。
南フランスで、
また一からショップを立ち上げ、
生活の基盤を移すことを。

男の子はカノアが嫌いなのではありません。
年に一度、
これからも来たいと思っています。
でも、
ここに”住む”ことは嫌でした。

両親は、
きっかけは、
学校の受け入れ態勢だったのではないかと言います。
そうかもしれないし、
そうではないかもしれない。
でも、
14歳の男の子にとって、
ここでの暮らしは耐え難いものになっていたことは確かです。
彼らは今月末、
フランスに旅立ちます。