光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

カテゴリ: 人生

2019年7月8日より、
“ほいくis”にて、
コラムの連載を始めました!

幼児教育に関わる、
保育士や幼稚園教諭、
その他子どもに関わる仕事をしている人、
保護者などを対象としています。
が、
私は、
ブラジルでの事なども書いていく予定です。
興味のある方はぜひ、
見てください!
感想もお待ちしています。

私たちはどうしても、
未来を見据えて、
中期的、
長期的に計画し、
その展望を考慮し、
人生を歩んでいます。
確かに、
こうした準備がなければ、
上手くいかなくなることも多くあることでしょう。

でも、
人生全てにおいて、
今を大切に生きるより、
未来のために無理をする必要があるのでしょうか?
今を犠牲にしなければ、
未来を切り開くことはできないのでしょうか?

計画することも大切です。
目標を持つことは重要です。
それでも、
“今”というこの瞬間を、
きちんと大切に思い、
感じ、
生きていくこと。
それを大切にしてほしい。

娘が中学3年生となり、
高校受験の真っただ中。
自分自身のこと。
今のこと。
将来のこと。
たくさん話しています。

「今日よければすべてよし。
明日は明日の風が吹く。」

ブラジルでは多くの人がこの言葉を座右の銘とします。
それを心に常に持ちながら、
生きていきたいものです。
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ブラジルで、
良くされる質問に、

「あなたは、何?仏教?」

というのがあります。
その背景には、
ブラジルでは、
カトリック教徒が大半をしめ、
それぞれが何かしらの宗教を、
自分で持っているからです。

私はいつも、

「どれかと言われると難しいけど、
祖母から言われていた、
『どんなものにも命がある。
だから、
いつも“ありがとう”という、
感謝の気持ちを持っているのよ。』
ということを、
大事にしてるんだ」

と、答えます。

正月には初詣。
お盆にお彼岸。

私の生活の中には、
神社とお寺が同じ様にあります。

先日、
日本では神仏習合といって、
神道と仏教が混ざりあって再構成され、
千年以上信仰されていて、
明治以降に、
神道と仏教が分かれた…
ということを知りました。

だからこそ、
私達の生活の中には、
今でも、
同じ様に根付いているのだと、
納得したのです。

どんなものにも感謝の気持ちを忘れない。

私の根っこには、
この思いが一番、
強くあるのかもしれません。

6月8、9日。
私は久しぶりに、
清里の清泉寮に行きました。

10年近く前、
この場所で行われた同じ集まり、
「エデュカーレ全国読者交流会」のために、
私はこの地を、
小さな長女とともに訪れました。
そして今年。
この時期に日本にいることが珍しい私は、
嬉しさのあまり、
募集と同時に参加希望のメールを出していました。
そして今回は、
小学6年生となる次女とともに訪れました。

2日目。
「ぐうたら村」
と名付けられた保育者のための場所で、
娘と共に森や田畑を散策。
霧雨が降り、
視界は数メートル先が見えないほどの霧。
そんな中でも、
娘もうきうきと楽しそうに、
生物や植物の話を聞いていました。

そこで聞いた汐見先生の話。
『レイバーとは、
人が生きるために必要な行為。
ワーク = 作品とは、
より価値のある、より良いものにしていく行為。
アクションとは、
行動を実際に行うこと。
昔、
小さな村を出て、
より良いものを作ろうと集まった人たちは、
都市(city)を作った。
自分達で、
皆のために必要なものを議論し、
作っていく場所。
今までの、
半年間閉ざされても生きていける場(community)とは異なる、
知らない人たちが集まり、
目的のために創り出していく。
それこそが、
アクションである。
そして、
今の私達には、
このすべて、
レイバー、ワーク、そしてアクションが必要なのだと。
社会とは、
知らない人と生きなければいけない場所と定義できる。
その中で豊かな社会を保てるのは、
せいぜい人口最大6万人程度であるだろう。
とすると、
今の社会は、
とっても生きづらく、
困難が多い社会であるといえるのだ。』

私たちは今、
どんな世界を子どもたちに残していきたいと考えているのだろう?
次女のわくわくしたその好奇心の塊を、
興味津々のその目を、
失わずにいられるように。
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私には、
人生の「師」と仰ぐ人たちが、
何人かいる。
いつも、
ここぞというときに出会い、
話をする中で、
心の迷いや、
もやもやを晴らしてくれる、
一種の「光」を照らしてくれる人たちである。
一番身近なところだと、
私の母親。
ブラジルでも、
いつも連絡を取っているわけではないのに、
ここぞというときに出会い、
助言をくれる人がいる。
そして、
今日であったのは、
“保育士”としての大先輩たち。

保育士としても、
親としても、
人生の先輩としても、
経験豊富な人たち。
そんな人たちと思いのたけを話し合い、
そこからヒントをもらい、
道が開けてゆく…

私は、
本当に周りの人たちに助けられているなぁ〜
と、
心から思う。

今日、
自分でも気づかなかった思いを吐き出し、
“光”
を届けてくれた大先輩。
本当にありがとうございました!!
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次女の小学校からのお便りに、

「挨拶は、
心と心を通わせる、
“はじめの一歩”です。」

と書いてありました。
校長先生の言葉です。

ありがとうとは、
漢字で書くと、
“有り難う”。
「めったにないこと」
という意味です。

こんなによくしてもらえることなんて、
めったにないことだわ。
だから、
ありがとう!
と伝えないと。

という風に考えると、
分かりやすいかもしれません。

挨拶の言葉には、
それぞれに大切な意味があります。
こうした“意味”を考えながら、
挨拶の大切さを学ぶというのも、
一つの方法かもしれません。

皆さんもぜひ、
いつも何気なく使っている挨拶の言葉、
その意味を考えてみてください!

「「家族支援カウンセラーR」とは、 一般社団法人家族支援メンタルサポート協会(通称:かしめん協会)が認可している資格であり、 孤育て、離婚、不登校、ひきこもり、虐待などの家族問題について、 心から共感し寄り添うことのできる、 実践的なサポーターである。 そして、 これらの苦戦する家族に対して、 いつでもどこでも気軽に相談できる解決重視型のカウンセリングによる支援をめざす、 新しいカウンセラー資格です。」 私自身、 保育士として、 日本やブラジルにおいて、 子ども達とその家族に接している中、 実践的なカウンセリングの必要性を感じることは、 数多くありました。 自分でも知らない内に、 こうしたカウンセリングを実践していることも、 しばしばありました。 「家族支援カウンセラーR」を取得したことで、 今まで以上に、 家族に寄り添って、 いけたらと思います。 IMG_20190426_180902_160

先日、
娘二人と共に、
初、奄美大島に行ってきました。
以前から行きたいと思っていた場所。
2泊3日という、
短い時間ではありましたが、
楽しんできました。

到着2日目。
マングローブのカヌー体験が一番の目的。
しかし、
問題がおき、
参加時間をずらすことに。
バスに乗っていると、
運転手の方が
「観光で来られた方?」
と聞くので、
手をあげた私達。
すると、
現地ガイドに早変わり。
奄美大島のこと、
たくさん教えて頂きました。

「予定外のことがあると、
思わぬ嬉しいこともあるもんだね」

と、娘達。

旅をするときには、
予定は未定。
その場で、
そこの雰囲気を味わい、
楽しむことが一番です!
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私がブラジルに行くきっかけとなったのは、

「世界の子どもって?」

という疑問を持ったからです。
そんなことをお話しすると、
必ず、
「では、日本と世界の子どもの違いって何ですか?」
という質問をされます。
今までは、
「日本も世界も、
子どもは子どもなのだということを知りました」
と、
答えていました。

これってどういうことなのだろうか?

先日、
写真家の田沼武能氏のお話(読売新聞2019年3月23日夕刊)を読んでいて、
「働く子ども、
満足に食べられない子ども、
裕福な家庭の子ども、
学歴競争にさらされている子どもなど、
世界中にいろいろな境遇の子どもがいます。
でも、
「遊びたい」という気持ちと、
遊びから社会のルールなど多くのことを学ぶことは、
どの国の子どもにも共通しています。」
とあり、
感銘を受けました。

子どもを通して人間を学ぶ。
その中心は、
「遊び」
にあるのだと。

遊びたいと思える、
遊べる環境があることが、
どんなにも大切なものであるか、
改めて感じさせてくれました。

日本語には、
話し言葉として同じ“音”のものは、
たくさんあるのだが、
その言葉一つ一つの意味に、
大きな違いがあるものがある。

「きく」

もその一つではないだろうか。

「聞く(hear)」は、
相手が一方的に話していることを「聞く」ことを意味する。
ラジオやコマーシャルを聞いたり、
駅でのアナウンスを聞いたり…
こういった場合の「きく」である。

「聴く(listen)」は、
相手の心情や立場を推し量りながら、
「深くきく」ことを意味する。
話を聴く、
意見を聴くなどといった行為は、
“傾聴”していることを表す。
私の仕事において、
「きく」
というと、
この「聴く」を示すことが多い。

最後に「訊く(inquire)」とは、
疑問に思ったことや、
関心のあることを、
当事者に尋ねてみることを意味する。
真意を訊く、
本音を訊く、
事実を訊くのように、
知りたいことに対する質問として投げかける行為を意味する。

こうしたことを分かったうえで、
使い分ける必要があるのだ。
ぜひ皆さんも、
気にして使い分けてもらいたい。



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