光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

カテゴリ: 子ども

子どもの疑問に答えていく。
そんな面白いサイトがあります。
私も少し、
お話をさせてもらっています。
ブラジルの子ども達の絵も登場するかも!?
お楽しみに!!
お時間のある時にぜひ


https://questionary.jp/interview/vol-1-%e3%83%96%e3%83%a9%e3%82%b8%e3%83%ab%e3%83%bb%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%86%e3%83%bc%e3%83%b4%e3%82%a1%e3%83%b3%e6%9d%91/

私は保育士だが、
20年前に「気になる子」としてとらえていた子ども達。
現在では、
「発達障害」もしくは「可能性がある」
といわれる子ども達が増えてきている。
確かに、
現場感覚でも、
同様である。
それは日本に限らず、
カノア保育園のあるブラジルでも同じである。

2022年に文部科学省が公表した
「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」
の結果は、
私たちに
「やっぱり」
「そうか」
と肯定でもあり、
今後の教育の在り方を考えていく大きな材料となったといえるのではないだろうか。

「学習面や行動面に困難さがあるなど、
発達障害の可能性のある小・中学生は8.8%、11人に1人程度在籍している(一部抜粋)」

35人学級であれば1クラスに3人。
特別支援学級に入る児童生徒数もこの10年で倍増。

そんな中、
児童精神科に対しても、
待機児童がいるという。
個人的には衝撃だった。

「児童精神科で専用病棟を持っている病院は少なく、全国で40棟余り(一部抜粋)」

確かに、
こうして考えてみると、
待機児童が出てしまうことにもうなずける。

1.医者以外の関連職業の方たちが、もっとコミットできるような連携体制が必要
2.発達障害と疑われる子どもなら指示の出し方を変えるなどの方策を提示
3.地域の協力が必要
4.発達障害のある子どもたちが拠り所とする場所を築いていく

保育士としての私に何ができるのか。
常に考えながら、
目の前の子どもと楽しく過ごしていけたらと願っている。

下記より抜粋


私が愛読している、
「エデュカーレ」。
そこにはいくつものヒントやアイデア、
それだけでなく、
ふと思い出させてくれるものに出会うことがあります。

「保育において方法は大事なものだが、
それが特徴となれば、
目標や理念が失われる」

本当にその通りだと思いました。

アリストテレスは言いました。
「方法は、
目標・理念の実現に接近するための手法で、
ほかにもあることが本質である」

方法は目標到達のための材料で、
目標自体もまた、
今それが一番大切であるかを考えなければいけません。

私がカノア保育園の話をすると、

「原点を思い出させてもらえる」

とよく言って頂くのですが、
そのための対話を、
ぜひたくさんしていきたい。
そう感じている今日この頃です。
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“HSC”という言葉を聞いたことはあるでしょうか?
昨今、発達障がいなどの理解が深まっていますが、
それでも、
あまり耳慣れない言葉かもしれません。
それでも、
「生まれつき敏感な気質を持つ子どもHSC(Highly Sensitive Child)は、約5人に1人いる」
と言われています。

私は保育園で働いていて、
確かにこうした特性のある子どもを目にする機会が多くなったような気がしています。

「HSCは誇るべき長所でもある」

なぜでしょうか?

それは、
「物事の観察力に優れ、変化に機敏なHSCは、集団の不協和音をいち早く察知できる」
からです。
それを記事の中で「炭鉱のカナリア」に例えて説明しています。

「カナリアは人より早く毒物を察知してさえずりを止める習性から、
かつて、炭鉱労働者にとって一大事を未然に防ぐ大事なパートナーでした。
この話はクラスの中のHSCに置き換えることができます。
もしHSCがクラスでの居心地が悪いと感じていたなら、
それはクラスの環境自体に異常があるサイン」(下記記事より一部抜粋)

このことを知っていると、
彼らは、
教育者である私たちにとって、
助けてくれる存在となるのです。

下記の記事で一番わかりやすく、
そして、
取り組むべきこと。
それは、

「『強い口調』『せかす口調』を改善する」

当たり前のようですが、
自分では気づかぬうちに…
ということがあります。
だからこそ、
肝に銘じて子どもと一緒に過ごしていきたいと思っています。


毎年発表される、
幸福度ランキング。
残念ながら日本はいつも、
ワーストから数えた方が早い位置にいます。
この幸福度。
最近よく聞かれる、
「ウェルビーイング」
のことを日本語に訳したものであることをご存知でしょうか?

「ウェルビーイングとは、
誰かにとって本質的に価値のある状態、
つまり、
ある人にとってのウェルビーイングとは、
その人にとって究極的に善い状態、
その人の自己利益にかなうものを実現した状態である。
( ウィキペディアより)」

幸せというものが人それぞれによって異なるのと同じで、
幸福度で示されるものも、
その人によって異なるということです。
そんな中、

「自己肯定感が学校の成績に大きく左右されるのは日本的な特徴ともいえます。(下記サイトより一部抜粋)」

「もちろん、学力が高くなくても自己肯定感が下がらない子どももいます。
サッカーが得意とか、絵が上手だとか、友達がたくさんいるとか。
そうした多様な子どもが多様なやり方で自己肯定感を高めることができるといいのですが、
日本はどうしても、勉強ができるかどうかということに左右されてしまう。
学力重視・学力偏重の傾向は指摘すべき点だと思いますね。(下記サイトより一部抜粋)」

日本はどうしても、
幸せを考えるうえで、
“学力”
というものが大きな物差しとしてあることは、
間違いありません。
それでも、
学力以外で幸せに感じられる、
それが本来人間的であると言えるのではないか。
と、
個人的には思ってしまうのですが…

「そして、学力や友達関係が悪くなる1つの大きな要因が経済的な格差です。(下記サイトより一部抜粋)」

「子どもが、自分の好きなことを自由にできる環境を整えることが重要です。
これは、経済的に厳しい家庭のお子さんが、経済的な理由によって進学や部活動などといったことを諦めてしまうことを解消するということもありますし、
経済的に余裕のある家庭のお子さんでも、
受験勉強のために遊ぶ時間がなくなる、スポーツができなくなる、自由時間がなくなるといったことを減らすことも含みます。
子どもが一人の人間として、子ども自身の考えや意見が尊重され、
その子の人生に反映される社会を大人は用意するべきです。(下記サイトより一部抜粋)」

私は保育士として、
いつも環境を整えることの重要性を伝えています。
それは、
保育の現場だけではなく、
大人として、
私たちが家庭や地域においても考えなければならないことではないかと強く感じています。

“子どもが自分の好きなことを自由にできる”

すべての子どもにとってそれが可能となった時、
日本の“幸福度”も高くになるのかもしれません。

カノア保育園のある小さな漁村、エステーヴァン村。
8月は「風の季節」といわれています。
この季節。
私が娘たちと出かけ、
帰宅する途中にある、
目の前に海が広がる素敵な場所にくると、
砂嵐が起こり、
身体中に当たる砂は、
本当に痛く、
娘たちと一緒に走り抜けていました。
この季節になると、
子どもたちは、
凧揚げやシャボン玉を楽しみます。
今では当たり前のような行う、
シャボン玉。
実は歴史は古く、
始まりは16世紀の欧州であるとか。
日本でも、
江戸時代にシャボン玉で遊ぶ姿が見られたそうです。
江戸時代に石鹸が貴重であったことから、
木の実やタバコの茎などを焼いて粉にして、
水に溶かして泡立てて使っていたそうです。

シャボン玉。

ふと思いだし、
一人お風呂場で楽しんだ私でした。
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コロナ禍となり、
私がブラジルに戻ることができず、
早くも2年以上が過ぎ、
村の状況も変わるなか、
「カノア保育園」
は今、
これからを見直していく時期となっています。
続けていくの?
形を変えるの?
村の人達は必要としているの?
何が必要なの?
悶々とする日々が続いています。
そんな中、
私と共にカノア保育園を作り、
支えてくれた
"Tia Eva"
が、
村を訪れ、
客観的に今の状況をみて、
指導し、
抱きしめ、
伝えてくれています。

静かな風が、
また吹き始めた。
新しい風が、
吹き始めた。

そんな気がしています。
どうか、
村の子どもたちが笑顔で、
楽しく、
子ども時代を過ごせますように。
皆さまのご支援、ご協力のほど、
よろしくお願いいたします。
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子どもが初めて歩いた時、
その先で転んでけがをしてしまったらどうしよう?
と、
先回りして危険を回避する。
私たち親が日常的に行っていることではないでしょうか。
それでも、
転んだとしても擦り傷程度で済むのならば、
ただ見守り、
歩いている姿を眺めている。
そんなことができるかもしれません。
人生において絶対ということはありませんが、
失敗をしないようにと先回りしすぎていては、
子ども自身が失敗や間違いから学ぶ機会を奪ってしまうことになります。

「人間は求める結果を得られなかったときに、
別の幸せを見つけることができます。
だからこそ前に進めるのです。
レジリエンス能力の高い人は、
困難や失敗を成功のきっかけとして捉える力、
ポジティブな視点に変える力があります(下記サイトより一部抜粋」

人生何度も曲がり角があり、
失敗したことで選ぶ道もあることでしょう。
その先に実は、
自分が思い描いていたような幸せが待っていることもあるかもしれません。

困難を乗り越える力。
ポジティブな視点に変える力。
ぜひ子ども達に身につけてほしいですね。


昨日、
高橋べんさんのコンサートに。
いつもは子どもの声と笑顔に溢れるコンサート。
コンサート会場を出ると、
勇気と元気をもらえる歌。
昨日は子どもの参加がなく、
大人だけでしたが、
だからこそ胸に訴えるようなプログラムとなっていて、
改めてべんさんのファンになりました。
そこで久しぶりに
井上さく子さんに出会い、
たくさん話をしました。
会いたいときに、
話をきいてもらいたいときに、
なぜか出会い、
ゆっくり話ができるというのは、
とっても不思議。
これこそが、
人とのご縁。
だから、

人の縁って面白い

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「メディアリテラシー教育」

という言葉を昨今よく耳にするようになってきました。
ただ、
どのように自分の子どもに伝えればよいのか?
どうすればその意味や重要性が分かってもらえるのか。
なかなか難しい問題です。

「交通事故が怖いからといって、
車を使うなという規制は間違っていますよね。
それと同じで、
すばらしいインターネットという道具を、
情報の“交通安全”を身に付けて事故なく乗りこなす教育が必要」
(下記参照より一部抜粋)

「動物たちが描かれた4枚の紙芝居を自由に並べて、
子どもたちにお話を作ってもらう。
結果として出来上がるものは、
全員同じ素材を使っているのに、
順番もストーリーもバラバラになるわけだが、
これにより編集作業で内容が変わること、
伝え手によって描き方が異なることを、
子どもたちは体験的に理解できるという。」
(下記参照より一部抜粋)

これには目から鱗が落ちるようでした。
自分体験としてもらうことで、
理解できるようになる。
すぐにでも実践で使えそうだと感じた方法です。

小学校、中学校、高校、大学。
それぞれでどのように伝えるべきかは異なるとは思いますが、
自分事として捉えることができるようにすることが、
大切だと強く感じました。

「真偽を気にせず情報を拡散する学生」

という言葉にはハッとさせられました。
フェイクかどうかではなく、
面白いかどうかが基準となってしまう。
一度立ち止まることをぜひ、
してもらいたいですね。

下記参照↓

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