光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

カテゴリ: 子ども

私たちの住む村には、
娯楽といわれるものがあまりありません。
その代わり、
大自然が周囲に存在し、
私たちの生活を豊かにしてくれています。
ただ、
10代になるころには、
子ども達はその自然だけでは満足できなくなり、
多くの子どもは
麻薬や売春など、
他の道へと歩んで行ってしまいます。
その中で10代の子ども達にとって楽しく、
興味深く接することのできるもの。
その一つが、
スポーツです。

この村にはサッカーとサーフィンの2つが特に強く、
子ども達向けの教室もあります。
今日、
ブラジルの子どもの日を祝して、
子どものためのお祭りが、
海岸で行われました。
その中でも大きな目玉が、

“サーフィン大会”

でした。
6歳以上が出場するこの大会。
昨年に引き続き、
2度目の開催です。
今回は村の人が協力し合い、
とても充実したものとなりました。

子どもの中にはサーフィンに出合ったことで、
人生が変わったという子がいます。
中には、
州の大会に出場するほどの腕を持つ青年も出てきています。

『子どもが子どもらしく、
子ども時代を幸せに過ごすためには?』

私の人生の課題です。
ある子どもにとってそれは、
サーフィンやサッカーといった、
スポーツとの出合いなのかもしれません。
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10月12日。
ブラジルでは子どもの日です。
近年では、
市場主義が謳歌し、
残念ながらその意味を忘れ、
クリスマスのように、

“プレゼントをもらえる日”

と考えている子どもがほとんどです。
だからこそ、
私たちは、
この日だけではないのですが、
子ども達にたくさんの体験をさせてあげたい。
経験をさせてあげたい…
と、
強く願っています。

今年はまだ「子どもの日」のための遠足は実施していないのですが、
先日、
保育園の教師たちは、
素晴らしい1日を計画し、
実行してくれました。
保護者の中には

「こんな小さな子どもには無理だ」

と、
子どもを抱え、
登ってしまう人も多いのですが、
なんのその。
子ども自身は教師よりも早く、
力強く、
砂丘を上り、
森を探検し、
1日を満喫しました。

“自分たちの住んでいる村には何があるのだろうか?”

自然しかない。
そういう人もいるかもしれません。
でも、
その自然の中に、
多くの生命が息づいており、
それによって私たちの生活は成り立っています。

子どもの好奇心旺盛なその心に、
その輝く目に、
また一つ光をともした、
そんな1日でした。
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私たちの保育園では、
毎週一人の子どもを選び、
その子どもの姿、体の特徴、
歩き方から振る舞い、
人との接し方や遊び方など、
細かく観察し、
その子どもについて話し合うということを、
とても大切にしています。
いつも目立つ子どもだけではなく、
全ての子どもを、
あるがままに知るということは、
日々の保育の中で重要なことだからです。

先週は「サフィーラ」という、
一人の女の子を観察し、
その子について話ました。
その子を妊娠し、
生まれるまで、
そしてその後保育園に来るまでを母親から聞き、
そういった背景についても、
話していきました。

彼女には7人の兄弟がおり、
(2人は養子に出されたため、彼女との接点はない)
曽祖父母の家で暮らしています。
兄弟全ての父親が異なり、
彼女の兄弟皆が、
曽祖父のことを「お父さん」と呼んでいます。
母親自身も生まれてすぐに祖父母に育てられたため、
母親の生まれ育った家にそのまま住んでいることになります。
母親が長男を出産したのは17歳の時。
村の伝説にもなっている話なのですが、
村を散歩している途中で陣痛が来て、
なんと、
砂の上に産み落としたのです。
その長男。
現在22歳ですがとっても元気です(笑)

一家は貧しく、
叔父叔母いとこなど、
合わせて15人以上の大家族での暮らし。
毎日の食事すらもままならないような生活をしています。
しかしこの家族。
それを感じさせないくらいとっても明るく、
温かい家庭です。

“サフィーラ”は、
とても安定していて、
素直。
笑顔がとってもかわいい女の子です。
誰とも仲良くでき、
皆から愛されています。
そして、
とても豊かな創造、想像性があり、
人から見たらただの石ころが、
彼女にかかればある家族へと変身してしまいます。
ある日、
彼女は滑り台の上で魔法使いになりました。
呪文を唱えていると、
少しずつ子ども達が集まり始め、
次第に6、7人の子ども達が、
ごっこ遊びを始めていました。
歌い、
踊り、
話し合い、
笑顔になり…
彼女は決して人に命令しません。
集まってきた子ども達がそれぞれ、
自分の役割を見つけ、
一緒に遊んでいくのです。
彼女の感性の豊かさ、
その振る舞いは、
周囲を温かくしてくれます。

彼女と同じような境遇の女の子が今、
私たちの保育園にいるのですが、
その子は情緒不安定で、
教師に甘えていたと思ったら、
突然暴力を振るいだしたりと、
とても難しい子どもです。

この二人。
どこに違いがあるのでしょうか?
大きな違いは、
その子自身をあるがままに受け入れ、
いつも抱きしめてあげているかどうか。
けんかや怒鳴り声ではなく、
笑顔の中で育っているかどうか。
母親がきちんと、
その子を見ているかどうか。
(一人の子の親は、携帯越しにしかその子を見ていません)
他にも色々とあるかもしれません。

生まれた境遇に恵まれていなくても、
こんなにも素晴らしい子どもに育ってくれる。
どちらも望まれて生まれてきたわけではないけれど、
その後の道が、
何か違っていた。
そのわずかな“何か”こそが、
サフィーラの笑顔につながっているのかもしれない。
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乳幼児期は五感を育てる時期。
だから、
ピアノを習わさなければ!
クラシック音楽を聞かせよう!

と、
私たち大人は、
今、
身近にないものを、
子ども達に与えようとします。
でも、
五感の中の“聴覚”を育むとき、
果たしてすぐに楽器を習わせる必要があるのでしょうか?
確かに、
ある子どもがピアノに興味を持ち、
自分から触れ、
音を奏で、
そしてピアノを弾くようになる…
ということはあると思います。
でも、
例えばここ、
カノアの保育園において、
子ども達の家には楽器はありません。
近所のお店に楽器を売っているところもありません。
音楽は近所から聞こえる騒がしいものばかり。
では、
子ども達は音と触れ合っていないのでしょうか?
いいえ。
耳を澄ますと、
たくさんの音であふれています。
その音を、
自らの体で表現することもできます。

「目を閉じて。
何が聞こえるかな?」

そう私が言うと、
子ども達は静かに目を閉じ、
耳を澄まします。
そして私が聞こえない音まで、
さらには、
一つの音から物語を紡ぎだしたりします。

保育園では、
日常的に歌を歌い、
それに合わせて体を動かし、
1日の中にたくさんの音が奏でられています。
さぁ、
明日はどんな音が聞こえるかな?
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我が家には2人の女の子がいますが、
今日は二女の話を少し…

二女はただいま小学4年生。
年齢の割に夢想家で、
落ち着きがなく、
そのくせ人見知りで、
慣れると人懐っこい。
まるで犬のような娘です。
その笑顔にいつも癒される私は、
ついつい甘くなりがち。
それでも、
大きくなるにつれ、
長女ほどではないにしても、
自己主張が強くなり、
反抗的になることもしばしば。
それでも、
嬉しいことでも、
悲しいことでも、
言葉と体で表現してくれるので、
親としてはとってもわかりやすく、
安心できる存在でもあります。

そんな彼女。
いつからか、
将来の夢が“保育士”に。
私と同じ道を歩んでくれるというのは本当にうれしい話。
そして先日、
突然こんなことを言い出しました。

「ママがおばあちゃんになって、
仕事するのが疲れちゃったら、
私がママに代わって保育園の園長先生になるよ。」

目に涙がたまるほど嬉しい言葉。
しかし一つ気になることが…

“ママがおばあちゃんになって”
とは、
どのくらいの年齢を想定しているのだろうか?
すると、
先日一緒に旅をした方の中に、
80歳になる方がいたのですが、
その人を想像して言ってくれたらしい。。。
ってことは、
私が80歳過ぎないと継いでくれないのか(笑)

それでも、
娘のその言葉。
とっても嬉しかったです。
でも、
もう少し早めにお手伝いを始めてくれると嬉しいなぁ〜
というのは望みすぎですかね???
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二女は、
最近よく、
日本のことを思い出し、
先日も皆が社会科見学で色々な場所に行っていることを知ると、

「さみしいなぁ〜」

と一言。
そのことをメール交換をしている担任の先生に伝えようと、
PCで打っていると、

「寂しい」
「淋しい」

と、
両方の漢字が出てきます。
何が違うのかな?
と、
ちょっと調べてみました。

“『寂しい』と『淋しい』の違いですが、
『寂しい』は『静寂』や『侘(わ)び・寂(さ)び』といった、
状況や様子を表す時に使います。
それに対して『淋しい』は、
さんずいが“涙”を表すように、
“涙が出る位に気持ちがさびしい時”に使います。”

とのこと。
なるほど。
ということは、
今の我が娘の気持ちを表すのは、

「淋しい」

ですね。

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今日、
銀行である男の子と会った。
最後に見かけてから、
7,8年は経っているかもしれない。

彼は小学校に上がるまで、
母親と兄、義父と共に
ここ、カノアで暮らしていた。
彼の母親は躁鬱病であり、
生活が安定せず、
保育園でも、
他の保護者と話すことすらできなかった。
それでも、
なぜか私とは話をしてくれ、
よく家に呼ばれては、
話を聞いていた。

彼の名前はEzequiel。
体が小さく、
栄養失調であると言われ、
そのせいか、
小学校入学前に、
弱視であることが分かり、
眼鏡を使用することとなった。
そんな彼は母親の知人に預けられ、
いつの間にか私たちの前からいなくなってしまった。

彼が移り住んだのは、
隣村。
でも、
母親のもとに帰ってくることはなかった。
そして私たちは時々、
母親を彼のもとに連れて行き、
少し話をする時間を作ってあげていた。
それも、
小学校高学年になるとほとんどなくなり、
彼の近況を知ることは難しくなっていた。

そして今日。
高校3年生となっていた彼と、
たまたま銀行で出会った。
高等専門学校に通っており、
将来はジャーナリストを目指しているという。
私を見つけ、
声をかけ、
ぎゅっと、
とても強く抱きしめてくれたとき、
その笑顔はあの時の、
まだ4歳頃の彼の笑顔とそっくりだった。

「今でも思い出すんだ。
悲しい気持ちになった時、
こうやって抱きしめてくれた時のこと。
とっても温かかった。
もう一度抱きしめてもいい?」

そういうと、
別れ際にもう一度、
強く抱きしめてくれた。

まっすぐに、
自分の夢に向かい、
歩んでいるその姿。
久しぶりに会ったけれど、
とっても嬉しく、
今、
このblogを書きながら、
涙が出てきそうになる。

頑張って。

遠くから、
いつまでも応援しています。

私は今、
「ライフスキルトレーニング」
というのを実施しています。
以前は中学生を対象に行っていたのですが、
現在は中学校の教師を対象に講義をし、
それぞれの学校で生かしてもらうべく、
トレーニングの最中です。

学校の教師というと、
「読み書き計算」
いわゆる、
IQの高い子どもを育てることに重きを置き、
その子ども自身を観察し、
その子どもに沿った学びを提供する…
ということが、
とても不得意である…
と、
1年間一緒に学びながら私は強く感じています。

例えば、
MI論。
1983年に、ハーバード大学の心理学者ハワード・ガードナーがこのMI理論を提唱しました。
彼は、紙と鉛筆だけで測るテスト知能だけではなく、
それ以外の知能にも目を向けるべきだと主張しています。
「人は皆それぞれ一組のMultiple
Intelligences(多重知性)を持っており、
少なくとも8-9つの知的活動の特定の分野で、
才能を大いに伸ばすことが出来る。(1983)」
と言っています。
例えば言語的知能は、
言葉を使用して他人とコミュニケーションができる能力とし、
単に「読み書き、話す」ことだけをさしていません。
また、
「EQ(心の知能指数(こころのちのうしすう、英: Emotional Intelligence Quotient、EQ))は、
心の知能 (英: Emotional Intelligence、EI) を測定する指標。
心の知能とは、自己や他者の感情を知覚し、
また自分の感情をコントロールする知能を指す。(抜粋:wikipedia)」
「人の態度や物言いなどのあらゆる言動は、
その時々における自分自身の感情の状態に大きく左右されている。
したがって、
このことを意識してうまく利用することができるのは一つの能力であり、
この能力は誰もが備わっているもの。
だから、
適切な訓練によって、
その発揮能力を高めることができる。(抜粋:EQとは?)」
まとめてみると、
自分の感情と相手の感情を考え、
行動をコントロールする事がEQともいえます。

学校での生徒の様子、
家庭での生活、
様々な要因があり、
その子どもたちは生きています。
学力を高めることが最大の学校の目標だとしても、
それを達成する点には、
知識以外の部分を補うことが重要なのではないでしょうか。

そんなことを少しずつ、
トレーニング研修において、
参加している先生たちに伝えていきたいと考えています。

最後に
「生徒に「自分は何者であり、何ができるか」を理解されることが
重要である(ガードナー(1999))」

先日、
弾丸出張の際、
長い移動時間に、
カバンになぜか入っていた、
「西の魔女が死んだ 梨木香歩著」
を読みきった。
何度も読んでいる、
この本。
でも、
娘が中1になってからは、
始めて読んだと思う。

この本の主人公"まい"は中学1年生。
不登校となり、
その間、
祖母の家で暮らすことになる。
祖母はイギリス人で、
魔女。
まいは魔女見習いとしての修行を始める。
のだが、
一番始めの課題が、
早寝早起き、
食事をしっかりとり、
よく運動し、
規則正しい生活をすること。
魔女でなくても大切なこと。
そしてその後、
なぜ不登校となったのか、
その理由を祖母に話し出す。
と、
この本の概略です。

我が家の娘達は、
日本とブラジルで生まれ育ち、
なんとなく、
この本の主人公と重なる部分もある。

長女はまず、
「私は魔女見習いとしての修行は既にクリアーしてるね。
だって、今でも22時前には寝るし、朝は5時半おき。
フットサルをして、
ご飯もよく食べるし。」

その後、
不登校の理由の部分になると、

「確かにグループを作る傾向はあるよね。
でも、
行きたくないのにトイレに一緒に行くとか、
好きでもないのにスターの話しをするなんて、
私は絶対しない。
私を私として受け入れてくれる人はいつもいるし、
それが特別だとは思わない。
"お前、めんどくせーなー"
って言う男子とかもいたけど、
それだけだし。」

さすがは我長女。
芯の強さが際だっている(笑)

最近は携帯を持ち、
ブラジルにいても日本の中学の友達とやり取りをしている娘。
もしかしたらこれから、
色々な困難が待ち受けているかもしれない。
でも、

「まぁ、私は黙っていられないから、
ママは私の話につきあってもらわないと。
聞いてくれてるだけでいいからさ」

という言葉に、
確かに私ができるのは、
それくらいだろうと思う。
でもそれを彼女がきちんと分かってくれているなら、
安心だとも感じる。

思春期真っ只中。
さて、
これからどうなるかな!?

私自身、
近年の子どもに対する、
けがや安全性に関して、
過剰ではないかと感じることがありました。
例えば、
怪我をしたから、
公園から遊具を撤去する…など。
そして今回、

「環境の変化を踏まえた健康及び安全の記載の見直し」

ということが記載されています。
この中で私がとても喜ばしいと感じたのは、
ケガをすると危ないからという理由で、
消極的になっていた遊びや活動に関して、

「上手にケガをさせよう」
「大きなケガをしないために、
存分に遊ばせる」

ということが、
強調されていたことです。

ブラジルでもよく、

”そこは危ない!!”

と思うところは、
子ども達が自然に回避していたり、
高いところから落ちても、
上手に転んでいたりと、
大自然の中で、
安全に配慮されていないように見えるのに、
子ども達は、
大きなケガになることがあまりない。
それは、
幼いころから、
遊びや活動の中で、
危ないことをを経験し、
体験し、
もしくは、
そういったことを感知して、
上手く回避することができていたからではないかと考えます。

今回のこの見直し、
私は

よかったぁ〜

と、
心から胸をなでおろしました。


※参考文献:エデュカーレ 2017.3月号 no.78

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