光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

カテゴリ: 子ども

二女は、
最近よく、
日本のことを思い出し、
先日も皆が社会科見学で色々な場所に行っていることを知ると、

「さみしいなぁ〜」

と一言。
そのことをメール交換をしている担任の先生に伝えようと、
PCで打っていると、

「寂しい」
「淋しい」

と、
両方の漢字が出てきます。
何が違うのかな?
と、
ちょっと調べてみました。

“『寂しい』と『淋しい』の違いですが、
『寂しい』は『静寂』や『侘(わ)び・寂(さ)び』といった、
状況や様子を表す時に使います。
それに対して『淋しい』は、
さんずいが“涙”を表すように、
“涙が出る位に気持ちがさびしい時”に使います。”

とのこと。
なるほど。
ということは、
今の我が娘の気持ちを表すのは、

「淋しい」

ですね。

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今日、
銀行である男の子と会った。
最後に見かけてから、
7,8年は経っているかもしれない。

彼は小学校に上がるまで、
母親と兄、義父と共に
ここ、カノアで暮らしていた。
彼の母親は躁鬱病であり、
生活が安定せず、
保育園でも、
他の保護者と話すことすらできなかった。
それでも、
なぜか私とは話をしてくれ、
よく家に呼ばれては、
話を聞いていた。

彼の名前はEzequiel。
体が小さく、
栄養失調であると言われ、
そのせいか、
小学校入学前に、
弱視であることが分かり、
眼鏡を使用することとなった。
そんな彼は母親の知人に預けられ、
いつの間にか私たちの前からいなくなってしまった。

彼が移り住んだのは、
隣村。
でも、
母親のもとに帰ってくることはなかった。
そして私たちは時々、
母親を彼のもとに連れて行き、
少し話をする時間を作ってあげていた。
それも、
小学校高学年になるとほとんどなくなり、
彼の近況を知ることは難しくなっていた。

そして今日。
高校3年生となっていた彼と、
たまたま銀行で出会った。
高等専門学校に通っており、
将来はジャーナリストを目指しているという。
私を見つけ、
声をかけ、
ぎゅっと、
とても強く抱きしめてくれたとき、
その笑顔はあの時の、
まだ4歳頃の彼の笑顔とそっくりだった。

「今でも思い出すんだ。
悲しい気持ちになった時、
こうやって抱きしめてくれた時のこと。
とっても温かかった。
もう一度抱きしめてもいい?」

そういうと、
別れ際にもう一度、
強く抱きしめてくれた。

まっすぐに、
自分の夢に向かい、
歩んでいるその姿。
久しぶりに会ったけれど、
とっても嬉しく、
今、
このblogを書きながら、
涙が出てきそうになる。

頑張って。

遠くから、
いつまでも応援しています。

私は今、
「ライフスキルトレーニング」
というのを実施しています。
以前は中学生を対象に行っていたのですが、
現在は中学校の教師を対象に講義をし、
それぞれの学校で生かしてもらうべく、
トレーニングの最中です。

学校の教師というと、
「読み書き計算」
いわゆる、
IQの高い子どもを育てることに重きを置き、
その子ども自身を観察し、
その子どもに沿った学びを提供する…
ということが、
とても不得意である…
と、
1年間一緒に学びながら私は強く感じています。

例えば、
MI論。
1983年に、ハーバード大学の心理学者ハワード・ガードナーがこのMI理論を提唱しました。
彼は、紙と鉛筆だけで測るテスト知能だけではなく、
それ以外の知能にも目を向けるべきだと主張しています。
「人は皆それぞれ一組のMultiple
Intelligences(多重知性)を持っており、
少なくとも8-9つの知的活動の特定の分野で、
才能を大いに伸ばすことが出来る。(1983)」
と言っています。
例えば言語的知能は、
言葉を使用して他人とコミュニケーションができる能力とし、
単に「読み書き、話す」ことだけをさしていません。
また、
「EQ(心の知能指数(こころのちのうしすう、英: Emotional Intelligence Quotient、EQ))は、
心の知能 (英: Emotional Intelligence、EI) を測定する指標。
心の知能とは、自己や他者の感情を知覚し、
また自分の感情をコントロールする知能を指す。(抜粋:wikipedia)」
「人の態度や物言いなどのあらゆる言動は、
その時々における自分自身の感情の状態に大きく左右されている。
したがって、
このことを意識してうまく利用することができるのは一つの能力であり、
この能力は誰もが備わっているもの。
だから、
適切な訓練によって、
その発揮能力を高めることができる。(抜粋:EQとは?)」
まとめてみると、
自分の感情と相手の感情を考え、
行動をコントロールする事がEQともいえます。

学校での生徒の様子、
家庭での生活、
様々な要因があり、
その子どもたちは生きています。
学力を高めることが最大の学校の目標だとしても、
それを達成する点には、
知識以外の部分を補うことが重要なのではないでしょうか。

そんなことを少しずつ、
トレーニング研修において、
参加している先生たちに伝えていきたいと考えています。

最後に
「生徒に「自分は何者であり、何ができるか」を理解されることが
重要である(ガードナー(1999))」

先日、
弾丸出張の際、
長い移動時間に、
カバンになぜか入っていた、
「西の魔女が死んだ 梨木香歩著」
を読みきった。
何度も読んでいる、
この本。
でも、
娘が中1になってからは、
始めて読んだと思う。

この本の主人公"まい"は中学1年生。
不登校となり、
その間、
祖母の家で暮らすことになる。
祖母はイギリス人で、
魔女。
まいは魔女見習いとしての修行を始める。
のだが、
一番始めの課題が、
早寝早起き、
食事をしっかりとり、
よく運動し、
規則正しい生活をすること。
魔女でなくても大切なこと。
そしてその後、
なぜ不登校となったのか、
その理由を祖母に話し出す。
と、
この本の概略です。

我が家の娘達は、
日本とブラジルで生まれ育ち、
なんとなく、
この本の主人公と重なる部分もある。

長女はまず、
「私は魔女見習いとしての修行は既にクリアーしてるね。
だって、今でも22時前には寝るし、朝は5時半おき。
フットサルをして、
ご飯もよく食べるし。」

その後、
不登校の理由の部分になると、

「確かにグループを作る傾向はあるよね。
でも、
行きたくないのにトイレに一緒に行くとか、
好きでもないのにスターの話しをするなんて、
私は絶対しない。
私を私として受け入れてくれる人はいつもいるし、
それが特別だとは思わない。
"お前、めんどくせーなー"
って言う男子とかもいたけど、
それだけだし。」

さすがは我長女。
芯の強さが際だっている(笑)

最近は携帯を持ち、
ブラジルにいても日本の中学の友達とやり取りをしている娘。
もしかしたらこれから、
色々な困難が待ち受けているかもしれない。
でも、

「まぁ、私は黙っていられないから、
ママは私の話につきあってもらわないと。
聞いてくれてるだけでいいからさ」

という言葉に、
確かに私ができるのは、
それくらいだろうと思う。
でもそれを彼女がきちんと分かってくれているなら、
安心だとも感じる。

思春期真っ只中。
さて、
これからどうなるかな!?

私自身、
近年の子どもに対する、
けがや安全性に関して、
過剰ではないかと感じることがありました。
例えば、
怪我をしたから、
公園から遊具を撤去する…など。
そして今回、

「環境の変化を踏まえた健康及び安全の記載の見直し」

ということが記載されています。
この中で私がとても喜ばしいと感じたのは、
ケガをすると危ないからという理由で、
消極的になっていた遊びや活動に関して、

「上手にケガをさせよう」
「大きなケガをしないために、
存分に遊ばせる」

ということが、
強調されていたことです。

ブラジルでもよく、

”そこは危ない!!”

と思うところは、
子ども達が自然に回避していたり、
高いところから落ちても、
上手に転んでいたりと、
大自然の中で、
安全に配慮されていないように見えるのに、
子ども達は、
大きなケガになることがあまりない。
それは、
幼いころから、
遊びや活動の中で、
危ないことをを経験し、
体験し、
もしくは、
そういったことを感知して、
上手く回避することができていたからではないかと考えます。

今回のこの見直し、
私は

よかったぁ〜

と、
心から胸をなでおろしました。


※参考文献:エデュカーレ 2017.3月号 no.78

子どもに偏見を持たせてしまう「大人の問題発言」
https://article.auone.jp/detail/1/1/1/33_1_r_20170424_1493003331732828?ref=top

という記事を読みました。
私自身も、
生まれもった偏見などなく、
育っていく中で、
こうした大人の言動や、
環境から、
偏見が生まれていくと考えています。
特に、
そばにいる大人の家族。
こうした人の話し方、
態度、
言動は、
子どもに大きな影響を与えるのではないでしょうか。

よく話すことですが、
我が家の次女が幼稚園に通っていたとき、
偶然会ったクラスメイトに、
こんなことを言われました。

「お前の頭、
やっぱりクルクルだなぁ〜」

隣にいたその子のお母さんは

"この子、何てこと言うのかしら!"

という顔をしていましたが、
娘は腰に手をあて、
こういいました。

「そうでしょ?
可愛いでしょ?」

その男の子は

「まぁ、そうだな。
また幼稚園でな!」

と言い、
帰っていきました。

もしこのとき、
私達傍にいた大人がすかさず、
『ダメよ。
そんなことを言ったら!』
と言っていたら、
どうなっていたでしょうか?
ありのままを伝えているだけの行為が、
特別なものに変わってしまったでしょう。

誰もが過ごしやすい世の中にすることは、
難しいことかもしれません。
でも、
自分ができることを
一つずつ、
やっていきたいですね。

長女が英会話に興味を持ち、
先日体験入学に行ってきました。
なぜ、
英会話?
という質問に、

「ブラジルのいとこっていうか、
はとこがノルウェーに住んでいて、
彼女はポルトガル語が話せないし、
私は英語が話せない。
だから、
すごく仲良くなったのに、
上手くコミュニケーションがとれなくて…
だから、
彼女と話ができるようになりたいから。」

かなり具体的。
確かにブラジルにいたとき、
そんな話をしていたけど、
英会話に行きたいと思うほどだったとは…

そして、
体験入学のときに、

「日本語とポルトガル語、
どちらが得意?」

と聞かれ、
二女は
「日本語!」
と即答。
しかし長女は、

「どっちかな?」

と、
わからない様子。

その二人の姿、表情が、
とても印象的でした。

長女は頭にスイッチがあるのかと思うほど、
二つの言語を切り替えられます。
そんな、
バイリンガルの彼女だからこそ、
どちらの言語と、
断定できなかったのかもしれません。

一年ほど前、
気になる本として、
「西の魔女が死んだ」(新潮文庫)
を紹介しました。

先日、
高校の同級生と長女の話をしていたとき、

「群れないって、
いいじゃん」

って言われたとき、
昨年から心のどこかにまだあった、
長女の自分の意見に真っ直ぐ、
ぶれないところが、

『大丈夫』

と、
安心できるようになりました。
そんなときに読んだ、
この『西の魔女が死んだ』という本。
主人公のまいの声。
それが、
娘とだぶり、
グループに属さない、
無理に群れない。
自分の居場所をきちんと作っていく…
そんなことを再確認しました。

4月から中学生。
新しい場所。
今までとは異なる、
難しい人間関係。
不安もあるとは思いますが、
大丈夫。
今なら、
安心して、
そういえます。
私はいざというときに
手を差しのべられるように、
見守っていこう!

”教育”
というと、
私たちは小学校以上を思い浮かべますよね。
でも、
脳科学の発展に伴い、
また、
乳幼児の発達の研究が進んだことで、
人間の基礎となるものは、
小学校入学前、
6〜7歳までに作られるものが多くあることが
分かってきました。
しかし、
残念ながら今は家庭や地域に以前のような教育力はないと言われており、
社会として、
地域の力で子どもを育てていく必要が出てきています。
そのためには、
乳幼児を受け入れる、
保育園、
幼稚園、
認定子ども園、
これらの施設で働く保育士自身に、

「こういう力を育てていきたい」

という具体的なイメージが必要となってきます。

子どもの主体的な遊びや活動。
こうした中で育つ力が重要だと言われる中で、
子どもにとっての学び、
その意味を考え、
理解し、
実践していくことが肝心です。

小学校で行うことを幼稚園で行うことではなく、
幼稚園だからできること、
幼児期だからこそ必要なことを
考え、
理解し、
活動に取り入れていきたいですね。


※参考文献:エデュカーレ 2017.3月号 no.78

ここでは、
乳児、
0、1、2歳児について、
どう記載されているのか、
触れてみたいと思います。

幼児教育というと、
3歳児以上のイメージですよね?
残念ながら、
保育所保育指針にも、
明確な記載がありませんでした。
しかし現在、
保育園に通ってきている子どもが
50万人近くも増え、
その多くは
0、1、2歳児。
この時期の遊びの重要性。
それを
「学びの支援」
として、
考えていきます。
この時期の子どもは、
個々の育ちが大事なので、
一人ひとりの子どもの育ちに寄り添っていきたいですね。

※参考文献:エデュカーレ 3月号.2017 no.78

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