光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

カテゴリ: 教育

暑さが増す、この時期。

「涼しい」

という字を見るだけでも、
気持ちが和らいできますよね。

実はこの「涼」という漢字。
日本では

快い冷たさを感ずる。」

という意味をもちますが、
中国では、

「(気候が)はだ寒い。(水が)冷たい。(料理などが)冷めた。」

という意味なのだそうです。

同じ漢字でも、
中国から日本に伝わった後に意味が変わったものがあるようです。

漢字というのは、
知ればしるほど、
面白いものですよね。

我が家の娘たちの学校が、
再開されます。

課題やオンライン授業。
学校も、
先生達も、
少しでも学習の機会をと、
知恵を出し合い、
取り組んでくれました。

9月入学など、
世の中では色々なことが言われていますが、
私は下記の記事に大賛成です。

一部抜粋
「とにかく、今はまず目の前の子どもたちの『こんな大変な世の中だけど、それでも生きよう』という気持ちに、また子どもの家庭に向き合い、そこから見えてきた課題に取り組むこと」

「まずは子どもが『やりたい』と思うことに教員が精一杯向き合える“環境”を整えるべき」

その通り!
今、目の前にいる子ども達は、
日々成長しています。
その子ども達の声を聞くこと。
それが今、
一番大切なことなのでは?

先日、

「多職種のための発達障害の研修会」

に参加してきました。
1時間の講義が、
あっという間に終わってしまうほど、
時間が足りない。
そう思ってしまうほど、
内容の濃い研修会でした。

たくさんの学びがあったのですが、

「発達性読み書き障害:ディスレクシア(Dyslexia)
国立成育医療研究センター 小枝達也先生」

の中で、
発達障害だけでなく、
私自身が同じように興味のある、
外国籍児童に対する教育の中でも重要だと感じたこと。
それは、

会話(生活言語)と読み書き(学習言語)には大きな隔たりがあり、
会話ができても、
学習言語が学べないために、
学習障害が起こってしまう。

ということでした。
これは、
外国籍児童にも当てはまることで、
幼少期からの語彙(会話だけではないもの)が不足していることも、
原因の一つであるといわれています。

“豊かな語彙が学習を支える”

とおっしゃっていたように、
家の中の“会話”だけでは、
家の外だけでの“会話”だけでは、
補いきれないのが、
「学習言語」
であると…
この学習言語を増やすために重要なこと。
それは、

「本(絵本)の読み聞かせ」

なのだと…

昔話の中には、
日常会話で使用しない単語が出てきます。
本(絵本)を読み聞かせてもらう中で、
子ども達は、
場面を読み取り、
想像する中で、
その言葉の意味を感じ取っていきます。
少し大きくなってくると、
その言葉の意味を知りたいと、
質問してくるかもしれません。
この繰り返しの中で、
子ども達は、
語彙を豊かにするのだといいます。

私はブラジルで娘たちを育てている中で、
大切にしていたことの一つが、
寝る前の本の読み聞かせでした。
長女が小学校を卒業するまで続いたこの読み聞かせは、
私にとっても大切な時間でした。
どんな本を読もうか。
読みたいか。
そんな話をしながら、
次第に本の内容に関して感想を述べたり、
それに対する矛盾を指摘し始めたりと、
どうやって答えればよいのかと、
回答に困ることも多々ありました。
こうした時間もすべて、
とても大切であったと今、
強く感じています。

本の読み聞かせ。

今から始めてみませんか?

今日(11月26日)、
アラカチ市にある、
専門高等学校看護コースの生徒への性教育授業に参加しました。
ブラジルでは性教育はオープンで、
小学校から性に関しての授業が行われる…
というのは事実ですが、
1980年代の学校では、
性について、
十代の妊娠について、
性病とエイズに関して、
日常的に議論し、
話し合っていたと言います。
しかし2000年に入り、
学校における性教育は生物の授業で少し実施される程度となり、
以前のように生徒同士で活発に議論を交わす…
という光景を見ることが難しくなってきました。
今日、
看護コースということもあり、
既に基本的な学びを得ている生徒たちでしたが、
それでも32名の生徒の内1人は、
6月に子どもを出産し、
8月に学校に戻ってきたと言います。
彼女は自分が経験したことを赤裸々に涙を流しながら語ってくれました。
人には起こっても、
自分には起こらない。
どこかにそんな思いがあったと言います。
妊娠を信じられず。
泣き崩れ、
どうしたら子どもを堕胎できるかばかりを考えていたこと。
しかし、
セックスをしたのは自分の責任で、
お腹の子どもには責任がないことに気付いた時から、
考え方は180度変わったそうです。
ただそこに至るまで、
看護コースの先生や、
心理士によるセラピーが欠かせなかったと言います。

彼女の話を知っているクラスメイトも
この話を聞いた後、
どれだけ自分たちが悩んだときに信じられる人がいるか、
相談できる人がいるか、
両親や家族との関係、
それらを議論し続けました。

彼女は言います。
母親は、
子どもはあなたの子どもで、
私の子どもではないこと。
あなた自身が責任を持って育てる必要があること。
そのために何をするべきか、
きちんと考えることを彼女に伝えたそうです。
それが彼女にとっては、
一番の支えだったと。
今の自分があるのは、
あのとき、
自分の責任を母親が持つのではなく、
自分自身に持たせてくれたおかげであると言いました。

今、
ブラジルでは、
5人に1人の出産が、
15〜19歳だと言います。
これだけ性に関してオープンで、
性教育をしっかりやっているブラジルでも、
これだけの高い確率で10代の妊娠があるのです。

今日の授業を経た生徒たちは、
これからの人生の中で、
この話を絶対に忘れることはないだろうと、
私は確信しています。
それほど全ての生徒が参加し、
議論することのできた1日だったのです。

15歳の娘がいる私も、
親として、
きちんとそばで見守り、
話をしていかなくてはなりません。
性の話が家庭の中でタブーではなく、
話す必要があるテーマとして当たり前になることを、
強く望んでいます。
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日本でも教師の日というのがあるのを知っていますか?
日本では国民の祝日ではありませんが、
1994年にユネスコは、
10月5日を世界教師デーと定めました。
近年教師の勤務時間など、
大きく変わろうとしていますが、
2015年以降、
学校によっては、
このユネスコの定めた10月5日に、

「先生ありがとうの日」

としてお祝いすることもあるそうです。
そしてブラジルでは、
10月15日が教師の日です。
その起源はとても古く、
1827年にドン・ペドロ一世によって、
定められたようです。
その後1963年に、
ブラジルの条例にて、
10月15日を教師の日と正式に定めています。

調べてみると、
2013年より、
私が住んでいるセアラ州では、
この日は学校を休校としています。
そして、
市の全教員を招待してのパーティーが行われたりもします。

今日、
私が教師の友人、知人に送ったパウロ・フレイリのメッセージです。

Paulo Freire

学童教室には、
小学校1年生〜3年生までが通っています。
先日、
教室の中である子どもがみんなに向かって、
こんなことを言いました。

「俺は今でこそ公立の小学校に行ってるけど、
去年まではアラカチでも一番って言われる私立の学校に行ってたし、
いつもクラスではトップだったし、
家にはパソコンがあるし、
言えば親が何でも買ってくれる。
お前たちとは違うんだよ!」

それを聞いた担任教師は、
どんな言葉をかけようかと、
しばし考えていたそうです。
すると、
一人の女の子が彼に向ってこう言いました。

「私達にはモラルがあるし、
家族が与えてくれている素晴らしい教育もある。
あなたのようにたくさんの物は持っていないかもしれないけど、
人間として大切なものは、
あなたよりもたくさん持ってるつもり。
あなたもそのことに早く気づいた方がいいわ。」

その言葉を聞いた男の子は、
驚いた顔をした後、
恥ずかしげにうつむいたそうです。

その後、
子ども達は自然と輪になり、
ディスカッションを始めました。

“私たちにとって大切なものは?”
“人と一緒にいるために必要なことは?”
“私たちの良いところはどこ?”

それぞれが自分の考えを口にしながら、
話し合っている様子を、
担任教師は黙って見守り、
そしてとても嬉しく思ったそうです。

それぞれの家庭環境、
経済状況は違えども、
人として、
大切なものは同じである。
そのことをこの子ども達は、
真剣に語り合っていました。
こういう時間を私たちはこれからも大切にしていきたいと、
心に誓ったのでした。
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https://mainichi.jp/articles/20190504/k00/00m/040/098000c
上記のような記事が出た。

どこがでやっぱりか…と思ってしまう部分もある。

私が小学生の時と比べると、
娘が通っている学校でも、
外国籍児童がたくさんいると感じる。
ただ、
その対応は市区町村というよりは、
各学校によって、
大きな差があるように思う。
現に、
私の娘が通っている学校と、
他の近所の学校を比べると、
対応に差があるのは一目瞭然だ。

地域性ということもあると思うが、
これから益々増えるであろう、
こうした外国籍児童の問題に対する課題を、
自治体だけでなく、
学校や地域の人達が一体となり、
明確に持つ必要があるのではと、
私は考える。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20190318-OYT1T50149/

やっとか。
というのが、
私の本音である。

義務教育が義務化されていない外国籍の児童にとって、
義務教育期間内の学校への通学は、
行っても、
行かなくても、
問題のないもの…
であった。
それでも、
就学年齢になれば、
学校への就学を前提にすることは、
当たり前のこと。
義務化となっていないことも問題だが、
日本語教育だけでなく、
自国とは異なる環境の中での生活を送ることを考慮し、
留年制度がない義務教育期間内の就学を柔軟にとらえるということが、
ようやく実現されるらしい。

今までは、
16才となる年の4月には、
中学ではなく、
高校に行く必要があった。
今回の改正で、
必要に応じて、
中学への就学が可能となるようだ。

日本でも、
外国籍に関わらず、
子どもに対する教育の実現がもっと柔軟に行われることを、
心から願っている。

「インクルーシブ教育とは,
障害のある子どもを含むすべての子どもに対して,
子ども一人一人の教育的ニーズにあった適切な教育的支援を,
「通常の学級において」行う教育のことです。」

と、定義されています。

実は私、
この教育のことを知りませんでした。
先日中学生の娘が学校からもらてきたプリントに、
神奈川県立高校において、
インクルーシブ教育実践推進校が2020年より14校になる。
と書いてあったので、

「これは何だ?」

と、
調べてみました。

こうした動きがあることは、
とても前向きだと考えます。
ただ、
養護学校等であれば卒業後のケア(就職後の訪問等)が行われているのに対し、
こうした通常の公立校において、
そこまで細かなケアを行うことが可能なのだろうか?
と、
単純に疑問に感じてしまいます。

私が高校受験をしたころ、
県立学校は学区ごとに分かれており、
成績などに応じて入学できる学校が決まっている、
そんな状況でした。
しかし現在では、
学区も撤廃され、
様々な科が新設され、
こうした新たな取り組みを実践している学校もあります。

「我が子に合う学校とは?」

と考えた時、
子どもたちが最終的に決断するにしても、
どんな学校があり、
どのような違いがあり、
どのような学校生活となるであろうかということを、
親である私たちがきちんと理解している必要がある。
そう、強く感じています。

少しずつこうした違いを積極的に学んでいるのですが、
今回のように、
まだまだ知らない取り組みや教育方法があるのだと思います。
さて、
今一度、
勉強だ!!

今日、
10月15日は、
ブラジルで「教師の日」。
近年は私が住むアラカチ市でも、
この日は祝日となっています。
そのため、
学校はお休み。

「医者になるにも、
弁護士になるにも、
どんな仕事に就いている人でも、
"教師"
がいなければ、
その資格を得るのは難しい。」

と、
ブラジルで言われています。
そう言われるようになった背景には、
"教師"という職業に対する、
意識向上を促す役目があります。
他の専門職に比べ、
給与も安く、
待遇が良いとは言えない"教師"。
こうした意識の変化により、
少しでも待遇改善につながっていけばと、
願って止みません。
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