光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

カテゴリ: 教育

「怖い」「恐い」
どちらも、
「こわい」
と、読みます。

意味合いもほとんど同じですが、
違いは2つ。

1つは、
「怖い」は常用漢字で、
「恐い」は常用漢字ではありません。

因みに、
常用漢字とは、
一般社会における、
漢字の使用目安となる項目のことです。

2つめは、
「怖い」は主観的な恐怖のことで、
「恐い」は客観的な恐怖のこと。

「怖い」は、
自分が持っている経験や知識によって、
自分だけが恐怖を感じる主観的なもの。

自分に危害が加えられないと感じているときは、
「恐い」
を使います。

同じようにみえて、
異なる意味合いがあるもの。

日本語は、
奥深いですよね。



プログラミング
STEAM

新しく学校の教科として加わることになったものです。
それが一体何なのか。
どんなことを教えるのか。
子ども達は何を学ぶのか。
まだまだ分からないことばかりですよね。

今回STEAMについてを読んでいて、
なるほどと思ったこと。

「プロジェクトの面白さは、
結果よりも過程にあります。
ドキュメンタリー番組でもそうですが、
失敗やつまずきをどのように克服したかがやはり面白いですし、
伝わってくるものも多いです。(一部抜粋)」

失敗する体験も大事。
結果よりも、
そのプロセスに目を向けることが重要だといっていることです。
知らなくて当たり前。
教師も生徒も、
分からないからこそ、
そこから学ぼうとする。
それが大切なんですよね。

「意見や発言を求めるのは、
言葉遣いこそ変わるが、
小学校前の保育時から(一部抜粋)」

親や保育士は、
子どもが失敗する前に、
手を差し伸べようとしてしまいます。
転ばなければ、
歩くことが学べないのと同じで、
失敗してもよいのです。
知らなくてもよいのです。
それを自分で問う。
それが大切なんですよね。

「むしろ教えすぎず、
ある程度子どもたちに自由に悪戦苦闘させるのがよい(一部抜粋)」

さぁ、
今日から始めましょう!!

新型コロナウイルスの影響で、
見えてこなかった学校問題が、
世の中の大きな問題として、
捉えられるようになっています。

その中の一つに、
「2017年(高校は2018年)3月に改訂された新学習指導要領」
です。
今年度から小学校、
来年度から中学校、
2022年度入学から高校
と、
段階的に改訂された内容が授業へと組み込まれていきます。

「改訂の狙いは、グローバル化、情報化する社会の中で、子どもたちの将来のために必要な知識や力を備えさせることができる学校教育の実現だ。(一部抜粋)」

今までは、
学校で得る知識は、
社会に出てからは役に立たない。
そんな言葉をよく聞いていたのではないでしょうか。
しかし、
今はそうも言ってられません。
学校において、
知識だけでなく、

「生きる力」

を身につけさせるため、

「学びに向かう力、人間性など」
「知識及び技能」
「思考力、判断力、表現力など」

上記3つの力をバランスよく育むこと。
それが、
学校に求められていることなのです。

「意見交換や議論、発表などに欠かせない言語能力の育成、観察や実験などの科学的探究や、データ分析に必要な統計も含めた理数教育の充実、道徳教育、伝統や文化理解、18歳選挙権をきっかけに注目された主権者教育、食の安全や悪質商法被害などの社会問題に対応した消費者教育なども充実させる。(一部抜粋)」

上記を見ると、
かなり幅広いと思えますよね。
小学校など、
1人担任制では実現は困難なのではないか。
そう感じてしまいます。
だからこそ、
小学校でも専科の教員がいたり、
地域との連携も行う必要があると、
考えられています。

今、
大きく変わりゆく社会の中で、
その真っただ中で大人になっていく子ども達。
私たち大人は、
彼女たちにどんな人間に育っていってほしいと思っているのでしょうか。
私たちがビジョンを持たなければ、
子ども達は歩んでいく道を見極めることができない。
それを考慮しつつ、
見本となり、
示していかなければいけませんよね。

(参照)
https://toyokeizai.net/articles/-/361419?utm_campaign=ADict-edu&utm_source=adTKmail&utm_medium=email&utm_content=20200725&mkt_tok=eyJpIjoiWWpCak5UQmhORFV5TkRjMSIsInQiOiJlTTVNeGxGSFRVV2lkZlYzKzlkR3NrTXpobHF3SUsxTk1RcjljbkhGZm4welAyR0ViMHBRUDhoOEY1V1lYSTNVQUFOQ0JWUEVDTDRiXC9xN1dGVmtZSUIrOEpvVFJ0UU9iTHVjZFZQQkdjUVhwc2pKZTBGZGFqajhQaDdLeVVTR20ifQ%3D%3D

ブラジルで活動していると、
日本の教育水準の高さがよくわかります。

日本はこのままではいけない。
教育水準が低すぎる。
他国と比較すると○○だ。

といった指摘は、
良くあります。
それでも、
平等に子ども達に教育を受ける権利がある。
受けられることができる。

それだけで、
すごいことなのです。

日本の法律は、
日本国籍を持っていない人に対して、
かなりあいまいなものでした。
そのため、
多国籍児童は、
学校に通っていても、
通っていなくても、
どちらでもよい…
そんな状況だったのです。
それが、
多文化共生と言われる昨今、
大きく変わろうとしています。

そして、
それだけではない。
学校のシステム自体が、
大きな転換期を迎えているのです。

「これから社会がどう変化しようとも、
自ら課題を見つけて解決できるように、
何を学ぶかだけではなく、
どのように学ぶか、
何ができるようになるかを重視(一部抜粋)」

これがまさしく、
これからの教育の在り方なのです。

「一人ひとりの能力、
個性、
成長のスピードに合った多様性のある教育に変えていかなければ(一部抜粋)」

クラスに40名近い生徒がいる状態では、
教師が上記のような指導をすることは困難です。
新型コロナウイルスの影響により、
オンライン化がすすめられ、
その中で、
クラスの定員数も話題となりました。

これから日本の教育は、
大きく変化していきます。
2人の娘がいる私は、
親として、
教育者として、
注力していきたいと考えています。

参照記事:
https://toyokeizai.net/articles/-/362273?utm_campaign=ADict-edu&utm_source=adTKmail&utm_medium=email&utm_content=20200722&mkt_tok=eyJpIjoiT1RReE0yRXhNbVZrWVRNeSIsInQiOiJlcWNYXC9KWDN1TWN1WVdcL1VlTVM3eGlha1JXNElmVEt4T3RkSm1UODhYM0VtYk9sRHRZU0t5S0NuVXdGV3RSdFRzWFRuK0JoOGhuZFRWRkxTdSs3Q3QzUkZRSnRPeDFvU1RnM1I3T1BsVnF6OHZhU3Z5ZkUxaHNMQjdyKzRveG9tIn0%3D

暑さが増す、この時期。

「涼しい」

という字を見るだけでも、
気持ちが和らいできますよね。

実はこの「涼」という漢字。
日本では

快い冷たさを感ずる。」

という意味をもちますが、
中国では、

「(気候が)はだ寒い。(水が)冷たい。(料理などが)冷めた。」

という意味なのだそうです。

同じ漢字でも、
中国から日本に伝わった後に意味が変わったものがあるようです。

漢字というのは、
知ればしるほど、
面白いものですよね。

我が家の娘たちの学校が、
再開されます。

課題やオンライン授業。
学校も、
先生達も、
少しでも学習の機会をと、
知恵を出し合い、
取り組んでくれました。

9月入学など、
世の中では色々なことが言われていますが、
私は下記の記事に大賛成です。

一部抜粋
「とにかく、今はまず目の前の子どもたちの『こんな大変な世の中だけど、それでも生きよう』という気持ちに、また子どもの家庭に向き合い、そこから見えてきた課題に取り組むこと」

「まずは子どもが『やりたい』と思うことに教員が精一杯向き合える“環境”を整えるべき」

その通り!
今、目の前にいる子ども達は、
日々成長しています。
その子ども達の声を聞くこと。
それが今、
一番大切なことなのでは?

先日、

「多職種のための発達障害の研修会」

に参加してきました。
1時間の講義が、
あっという間に終わってしまうほど、
時間が足りない。
そう思ってしまうほど、
内容の濃い研修会でした。

たくさんの学びがあったのですが、

「発達性読み書き障害:ディスレクシア(Dyslexia)
国立成育医療研究センター 小枝達也先生」

の中で、
発達障害だけでなく、
私自身が同じように興味のある、
外国籍児童に対する教育の中でも重要だと感じたこと。
それは、

会話(生活言語)と読み書き(学習言語)には大きな隔たりがあり、
会話ができても、
学習言語が学べないために、
学習障害が起こってしまう。

ということでした。
これは、
外国籍児童にも当てはまることで、
幼少期からの語彙(会話だけではないもの)が不足していることも、
原因の一つであるといわれています。

“豊かな語彙が学習を支える”

とおっしゃっていたように、
家の中の“会話”だけでは、
家の外だけでの“会話”だけでは、
補いきれないのが、
「学習言語」
であると…
この学習言語を増やすために重要なこと。
それは、

「本(絵本)の読み聞かせ」

なのだと…

昔話の中には、
日常会話で使用しない単語が出てきます。
本(絵本)を読み聞かせてもらう中で、
子ども達は、
場面を読み取り、
想像する中で、
その言葉の意味を感じ取っていきます。
少し大きくなってくると、
その言葉の意味を知りたいと、
質問してくるかもしれません。
この繰り返しの中で、
子ども達は、
語彙を豊かにするのだといいます。

私はブラジルで娘たちを育てている中で、
大切にしていたことの一つが、
寝る前の本の読み聞かせでした。
長女が小学校を卒業するまで続いたこの読み聞かせは、
私にとっても大切な時間でした。
どんな本を読もうか。
読みたいか。
そんな話をしながら、
次第に本の内容に関して感想を述べたり、
それに対する矛盾を指摘し始めたりと、
どうやって答えればよいのかと、
回答に困ることも多々ありました。
こうした時間もすべて、
とても大切であったと今、
強く感じています。

本の読み聞かせ。

今から始めてみませんか?

今日(11月26日)、
アラカチ市にある、
専門高等学校看護コースの生徒への性教育授業に参加しました。
ブラジルでは性教育はオープンで、
小学校から性に関しての授業が行われる…
というのは事実ですが、
1980年代の学校では、
性について、
十代の妊娠について、
性病とエイズに関して、
日常的に議論し、
話し合っていたと言います。
しかし2000年に入り、
学校における性教育は生物の授業で少し実施される程度となり、
以前のように生徒同士で活発に議論を交わす…
という光景を見ることが難しくなってきました。
今日、
看護コースということもあり、
既に基本的な学びを得ている生徒たちでしたが、
それでも32名の生徒の内1人は、
6月に子どもを出産し、
8月に学校に戻ってきたと言います。
彼女は自分が経験したことを赤裸々に涙を流しながら語ってくれました。
人には起こっても、
自分には起こらない。
どこかにそんな思いがあったと言います。
妊娠を信じられず。
泣き崩れ、
どうしたら子どもを堕胎できるかばかりを考えていたこと。
しかし、
セックスをしたのは自分の責任で、
お腹の子どもには責任がないことに気付いた時から、
考え方は180度変わったそうです。
ただそこに至るまで、
看護コースの先生や、
心理士によるセラピーが欠かせなかったと言います。

彼女の話を知っているクラスメイトも
この話を聞いた後、
どれだけ自分たちが悩んだときに信じられる人がいるか、
相談できる人がいるか、
両親や家族との関係、
それらを議論し続けました。

彼女は言います。
母親は、
子どもはあなたの子どもで、
私の子どもではないこと。
あなた自身が責任を持って育てる必要があること。
そのために何をするべきか、
きちんと考えることを彼女に伝えたそうです。
それが彼女にとっては、
一番の支えだったと。
今の自分があるのは、
あのとき、
自分の責任を母親が持つのではなく、
自分自身に持たせてくれたおかげであると言いました。

今、
ブラジルでは、
5人に1人の出産が、
15〜19歳だと言います。
これだけ性に関してオープンで、
性教育をしっかりやっているブラジルでも、
これだけの高い確率で10代の妊娠があるのです。

今日の授業を経た生徒たちは、
これからの人生の中で、
この話を絶対に忘れることはないだろうと、
私は確信しています。
それほど全ての生徒が参加し、
議論することのできた1日だったのです。

15歳の娘がいる私も、
親として、
きちんとそばで見守り、
話をしていかなくてはなりません。
性の話が家庭の中でタブーではなく、
話す必要があるテーマとして当たり前になることを、
強く望んでいます。
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日本でも教師の日というのがあるのを知っていますか?
日本では国民の祝日ではありませんが、
1994年にユネスコは、
10月5日を世界教師デーと定めました。
近年教師の勤務時間など、
大きく変わろうとしていますが、
2015年以降、
学校によっては、
このユネスコの定めた10月5日に、

「先生ありがとうの日」

としてお祝いすることもあるそうです。
そしてブラジルでは、
10月15日が教師の日です。
その起源はとても古く、
1827年にドン・ペドロ一世によって、
定められたようです。
その後1963年に、
ブラジルの条例にて、
10月15日を教師の日と正式に定めています。

調べてみると、
2013年より、
私が住んでいるセアラ州では、
この日は学校を休校としています。
そして、
市の全教員を招待してのパーティーが行われたりもします。

今日、
私が教師の友人、知人に送ったパウロ・フレイリのメッセージです。

Paulo Freire

学童教室には、
小学校1年生〜3年生までが通っています。
先日、
教室の中である子どもがみんなに向かって、
こんなことを言いました。

「俺は今でこそ公立の小学校に行ってるけど、
去年まではアラカチでも一番って言われる私立の学校に行ってたし、
いつもクラスではトップだったし、
家にはパソコンがあるし、
言えば親が何でも買ってくれる。
お前たちとは違うんだよ!」

それを聞いた担任教師は、
どんな言葉をかけようかと、
しばし考えていたそうです。
すると、
一人の女の子が彼に向ってこう言いました。

「私達にはモラルがあるし、
家族が与えてくれている素晴らしい教育もある。
あなたのようにたくさんの物は持っていないかもしれないけど、
人間として大切なものは、
あなたよりもたくさん持ってるつもり。
あなたもそのことに早く気づいた方がいいわ。」

その言葉を聞いた男の子は、
驚いた顔をした後、
恥ずかしげにうつむいたそうです。

その後、
子ども達は自然と輪になり、
ディスカッションを始めました。

“私たちにとって大切なものは?”
“人と一緒にいるために必要なことは?”
“私たちの良いところはどこ?”

それぞれが自分の考えを口にしながら、
話し合っている様子を、
担任教師は黙って見守り、
そしてとても嬉しく思ったそうです。

それぞれの家庭環境、
経済状況は違えども、
人として、
大切なものは同じである。
そのことをこの子ども達は、
真剣に語り合っていました。
こういう時間を私たちはこれからも大切にしていきたいと、
心に誓ったのでした。
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