光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

タグ:保育

先日、
「こども環境学会」が調査した中間報告書が発表され、
それを受けた形で、
玉川大学教授の大豆生田先生の記事が掲載されていました。

ブラジルでは、
州によって対応の差はあるものの、
カノア保育園のあるセアラ州は、
2020年度における、
学校再開を見送りました。
現在実施している、
リモート授業を継続して行うことになっています。
その中で、
幼児教育を担っている施設では、
多くの退園者が出ており、
在籍している児童に対しても、
どのようにオンラインで関係を作っていくか、
難しい局面に来ています。

そんな中、
日本では、
保育園を閉めることはなく、
必要な人たちには緊急事態宣言の中においても、
開いていました。
そして今、
ほとんどの児童が戻ってきている中、
2つのことが見えてきています。

―犬泙蠅虜造衒を変える
∋劼匹發悗離好ンシップは必要に応じて対応

「コロナ対策の中で安全に配慮しながらも、
子どもの姿に即しながら、
この時期に必要な経験を保障するような対応をしていることが読み取れます。(一部抜粋)」

大豆生田先生がおっしゃる通り、
この柔軟な対応こそが、
私たち保育士の、
専門性と言えるのです。

まだまだ難しい局面も多くあると思いますが、
私達ができること。
それに対処していくことが、
保育士としてできることなのではないでしょうか。

先日からお知らせしていますが、
本日、
8月20日に、
著書である、
「ブラジル 天使が舞い降りる村」
が発売されます!!

既にネットで予約してくださっている方、
メールにてご注文いただいた方、
私に個人的に連絡くれた方、

ありがとうございます!!

そして、
ぜひ、
多くの方に読んでいただきたいと、
心より願っております。

昨日、
娘たちの母校(小学校)に、
寄贈してきました。

当時の担任の先生、
現校長先生とお話しすることができ、
改めて、
娘たちの成長に、
感謝の気持ちでいっぱいです。

まだ読んでいない方、
ご興味のある方はぜひ、
手に取ってみてください。
そして、
感想もお聞かせください。

本のお問い合わせ、お申込みはこちらから


プログラミング
STEAM

新しく学校の教科として加わることになったものです。
それが一体何なのか。
どんなことを教えるのか。
子ども達は何を学ぶのか。
まだまだ分からないことばかりですよね。

今回STEAMについてを読んでいて、
なるほどと思ったこと。

「プロジェクトの面白さは、
結果よりも過程にあります。
ドキュメンタリー番組でもそうですが、
失敗やつまずきをどのように克服したかがやはり面白いですし、
伝わってくるものも多いです。(一部抜粋)」

失敗する体験も大事。
結果よりも、
そのプロセスに目を向けることが重要だといっていることです。
知らなくて当たり前。
教師も生徒も、
分からないからこそ、
そこから学ぼうとする。
それが大切なんですよね。

「意見や発言を求めるのは、
言葉遣いこそ変わるが、
小学校前の保育時から(一部抜粋)」

親や保育士は、
子どもが失敗する前に、
手を差し伸べようとしてしまいます。
転ばなければ、
歩くことが学べないのと同じで、
失敗してもよいのです。
知らなくてもよいのです。
それを自分で問う。
それが大切なんですよね。

「むしろ教えすぎず、
ある程度子どもたちに自由に悪戦苦闘させるのがよい(一部抜粋)」

さぁ、
今日から始めましょう!!

最近「自己肯定感」という言葉をよく耳にしますよね。
保育を行っていく中でも、

「子どもが自己肯定感を持てるように」

と言われます。

自己肯定感とは、
簡単に言うと、
自分に自信があるということです。
逆に、
自己肯定感が低い人ほど自分に自信が持てないといえます。
自己肯定感が低いと、
どうなるのでしょうか?

「自分対相手との比較において、
自分が劣っていると感じやすい傾向がある」

のです。

自己肯定感が高い人は、
自分の考えや行動に自信を持てます。
他人にとやかく言われても、
その考えや行動はゆらぎません。
相手と自分をいちいち比較することがないからかもしれませんね。

我が娘、
特に長女は、
稀にみるほどの
自己肯定感の高い子どもです。
そのため、
私自身も、
彼女を信頼できるし、
信じて見守ることができます。

自己肯定感。
どうやったら伸ばしてあげることができるのでしょうか?

いちばんの近道は、
「自分を褒める」
ということです。
子どもに対しては、
良いところを伸ばしてあげる。
褒めてあげることが大切ですよね。
ネガティブなことを言わないようにする。
それだけでも、
大きな一歩かもしれませんね。

以前、
保育の「保」という漢字は、
「大人が乳児を大事に抱きかかえているさま」
を表しているということを、
お伝えしました。

そして、
この「保」という漢字から、
「褒」
という漢字が生まれてきたそうです。

「褒」
という漢字は、
「保」
「衣」
を上下に分けて、
挟み込んでいるのが分かりますか?

「子どもを懐に抱いて、
衣服げふくらんださまを表している」
のだそうです。

“褒める”
という言葉は、
愛情あふれる人の姿が原点になっているのだそうです。

「保育」
を考えたとき、
「褒める」という大切さを痛感することがたくさんあります。

人の良いところを見つけ、
褒めてあげる。

悪いことの方が目につきやすい。
でも、
人には必ず、
良いところがあるはず。
だからこそ、
私たちは人と接するとき、
怒るよりも、
褒めたい。
そう、
感じます。
これは子どもに対してだけではなく、
全ての人間に対して言えることですよね。

「褒める」
ということ。
今、私たちにはとても大切なことかもしれません。

私は保育士です。
保育をすることが、
仕事です。

“育”

という漢字は、
育てるという、
その意味からもよく分かりますが、
なぜ、

“保育”

というのか?

実は、

“保”

という漢字は、
「人」「呆」
に分けられる。
この

「呆」

という漢字。
赤ちゃんがおむつをしたようすを示すのだそう。
そのため、

「保」

とは、
大人が乳児を大事に抱きかかえているさまを表すのだそう。

まさしく、
この

「保」

こそが、
私達の保育につながっているのですよね。

漢字の成り立ち。
面白いです。

昨日知人の投稿を見ていたら、
確かにとても大切なことだと感じ、
書き残そうと思ったので、
少しここで。

「保育」
という言葉。
私たち日本人は、
当たり前のように使っていますが、
他の国では基本、
「幼児教育」
という言葉しかありません。

そもそも保育とは、

「教育+保護」

という2つの言葉から作られた造語です。
こうした概念は今、
世界の中では

「Early Childhood Education and Care」

として、
乳幼児期には、
教育だけではない…
ということが広まってきています。

ブラジルでは、

「Educacao Infantil」

とだけ言われており、
実践を見ていても、
まだ乳幼児期の教育に関してはきちんと確立できていないと感じずにはいられません。

長きにわたり、
「保育」
という言葉を使ってきている日本。
この言葉は、
子どもを
「人間が育つうえでとっても大切な時期の教育」
であるということを示していると、
私は考えています。

私は保育が大好きです。
保育士であることを誇りに思っています。
だからこそ、
この
「保育」
という言葉を、
これからも大切にしていきたいですね。
ぜひ皆さんも今一度この言葉の意味を、
考え直してみませんか?

6月8、9日。
私は久しぶりに、
清里の清泉寮に行きました。

10年近く前、
この場所で行われた同じ集まり、
「エデュカーレ全国読者交流会」のために、
私はこの地を、
小さな長女とともに訪れました。
そして今年。
この時期に日本にいることが珍しい私は、
嬉しさのあまり、
募集と同時に参加希望のメールを出していました。
そして今回は、
小学6年生となる次女とともに訪れました。

2日目。
「ぐうたら村」
と名付けられた保育者のための場所で、
娘と共に森や田畑を散策。
霧雨が降り、
視界は数メートル先が見えないほどの霧。
そんな中でも、
娘もうきうきと楽しそうに、
生物や植物の話を聞いていました。

そこで聞いた汐見先生の話。
『レイバーとは、
人が生きるために必要な行為。
ワーク = 作品とは、
より価値のある、より良いものにしていく行為。
アクションとは、
行動を実際に行うこと。
昔、
小さな村を出て、
より良いものを作ろうと集まった人たちは、
都市(city)を作った。
自分達で、
皆のために必要なものを議論し、
作っていく場所。
今までの、
半年間閉ざされても生きていける場(community)とは異なる、
知らない人たちが集まり、
目的のために創り出していく。
それこそが、
アクションである。
そして、
今の私達には、
このすべて、
レイバー、ワーク、そしてアクションが必要なのだと。
社会とは、
知らない人と生きなければいけない場所と定義できる。
その中で豊かな社会を保てるのは、
せいぜい人口最大6万人程度であるだろう。
とすると、
今の社会は、
とっても生きづらく、
困難が多い社会であるといえるのだ。』

私たちは今、
どんな世界を子どもたちに残していきたいと考えているのだろう?
次女のわくわくしたその好奇心の塊を、
興味津々のその目を、
失わずにいられるように。
62161940_10216704667982040_1962902287378546688_n
62502530_10216704668582055_1540721811228983296_n

私が購読している、
「エデュカーレ」という冊子があるのですが、
そこに記載されていて、
編集長でもある、
汐見先生の言葉に大きくうなずいてしまった。

私はよく、

「子どもを信頼し、
見守ることが大切だ」

と、
遊びなどの場での親や保育者の在り方として話すことが多い。
しかし、
勘違いしてはいけないのは、
見守るということは、
何かあった時にすぐに助けられる場所、
声をかけられる場所に、
私たちがいるということであり、
自分たちが主体で指導しているときよりももっと、
五感を全て、
するどく、
研ぎ澄ましておく必要があるということだ。
ただ見守っているだけで、
子どもが必要な時に動かない、
それは、
ただの放任であって、

「見守る保育」

ではない。

ただ見ているだけなんて、
なんて簡単なんだ!!
と思っている人、
それは違います。
子どもの主体に任せているからこそ、
私たちは神経を10倍も、100倍も使うのです。
その子どもたちの吐息に耳を澄ましながら。

先に紹介した汐見先生の言葉に、
「保育は、あくまでも、
子どものそばで
「あなたは何がしたいの?」
そして
「あなたは何をしてほしいの?」、
この二つについて心の中で聞き、
観察することです。」
とあります。

「見守る保育」

それがどんな保育なのか。
ぜひ皆さん、
もう一度、
問い直してみてください。

あけましておめでとうございます。
旧年中は格別のご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
「光の子どもたちの会」として任意団体として立ち上げたのが2006年。
おかげさまで14年目を迎えます。
現地での活動においては、長く中心となり支えてくれていたスタッフが旅立ちを迎え、
新たな形として歩き始める本年。
「子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに過ごすためには?」という基本精神を今一度思い出し、
地道に、ひとつずつ、目の前のできることから取り組んで参りたいと存じます。
本年も変わらぬお引き立ての程よろしくお願い申し上げます。
皆様のご健勝とご発展をお祈り申し上げます。

2019年1月
特定非営利活動法人 光の子どもたちの会
代表 鈴木真由美
http://criancasdeluz.org
IMG-20180913-WA0002

このページのトップヘ