光の子どもたち in Canoa

ブラジル東北部にある小さな漁村から発信する報告日記。大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

タグ:学校教育

日本とブラジルを行き来する私たちにとって、
娘たちの学校問題はかなり重要です。
ただ、
日本でも、
ブラジルでも、
いつも変わらず受け入れてくれ、
あたかもずっと、みんなと一緒にいるように接してくれるおかげで、
2人の娘は今まで、

「学校に行きたくない!!」

ということは一度もありませんでした。
しかし今年。
ブラジルに戻り、
いつも通っている学校に行ってみると、
次女が通っていたクラスは定員オーバーのため、
受け入れはできないとのこと。
ブラジルは三部制のため、
午前、午後、夜間とクラスがあるのですが、
次女はいつも午前のクラスに通っていたのです。

慣れ親しんだ友達と一緒のクラスに戻れない。

次女は学校には行かないと言い、
泣いて拒否しました。
2日間休み、
3日目。
私は次女と一緒に登校し、
午後のクラスを見学することにしました。
先生たちはとても親身になってくれ、
本当にやさしかった。
それでも次女はかたくなに教室に入ることを拒否し、
廊下にい続けました。
翌日。
私が一緒に行くことを約束し、
また学校に行くことにしていました。
午前中。
11時前に私の携帯電話が鳴りました。
それは、
学校の事務の人からで、
明日から午前のクラスに通っていいとの連絡でした。
その理由を聞いた私は、
感動して、
次女と一緒に涙を流しました。

6年生の午前のクラスの子ども達は、
次女を自分たちのクラスに受け入れるため、
協議を重ねていました。
そして、
校長先生に直談判。
教室の狭さ、
椅子の置けるスペースがないことも承知の上で、
クラスみんなが少しずつ席を詰めることで、
なんとか次女を自分たちと一緒に学ばせてほしいとお願いしたのです。

子どもたち自身が話し合い、
出した結論。
校長先生はそれに対しいて“NO”ということはありませんでした。

小学6年生。
11〜12歳の彼らが、
幼い時から一緒に学んでいた次女と学び続けたいと、
考え、
話し合い、
決断してくれた。
本当にうれしかったです。

子ども達の心がこんなにも素敵に育ってくれたこと。
そんな友達に囲まれている次女。
私は感謝せずにはいられませんでした。
心から、
本当に、
ありがとう。

昨夜。
それまでとは異なり、
時間割をし、
学校に行く準備をしていた我が家の次女。
彼女の顔に笑顔が戻ったこと。
その笑顔はとても輝いていました。

86b39574.jpg先日、
20年近くこの地域を訪れている
フランス在住の夫妻と話をしました。
彼女自身は大学の教授で、
私たちの活動に興味を持ってくれ、
わざわざ足を運んできてくれたのです。

彼女と話している中で
とても興味深かったのは

「ここの子どもたちが学校を卒業しても
本も読めず、
文字も書けないって知ってる?
アルファベットがわからないんじゃないの。
コピーはできるのよ。
でも、
私が何か言うでしょ。
書いてみてって言っても、
書けないのよ。
本すら読めない。
これってどうしてなのか、
私には理解できないわ。」


そうなのです。
カノアでは、
小学校5年生でも
やっと自分の名前が書けるようになった
という子どもがいるほど。

本を読み聞かせても、
意味が汲み取れない。
アルファベットの羅列はできる。
でも、
それを単語として、
文章として、
理解できないのです。

「教育方法やカリキュラムは
フランスとさほど変わりはない。
原因は
教師の技量だと思うわ」


その言葉に思わずうなずいてしまいました。
ただ教えればいいのではない。
子どもたちが理解できるように
教えることができるか。
知っているから教えられるわけではない。
教えるからには
その準備が必要なのです。
子どもの前に立つために・・・

d583faf1.JPG数年前から
私達の活動は
市の教育局の協力を得て行われています。
現地における資金調達。
その一環としてプロジェクトを提出し、
教材、食材支援を受けることができるようになったのが4年前。
村の小学校分校と連携することで、
給食を作る職員の派遣も行われました。
そして2008年。
ようやく用務員を派遣してくれることとなりました。
しかし、
毎年起こるのが
その支援が遅れるということ。
ブラジルは1月が年度始めです。
今年はカーニバルの影響で、
2月11日から授業が開始されました。
そこから今日まで、
まだ一つも教材が届いておらず、
食材はその一部(野菜がたまに届く)のみ。
私達は食材費を確保しているので、
それでも毎日給食を出していますが、
他の小・中学校は
昨年の食材の余りで
何とかしのいでいました。
現在、
食材が底を尽き、
給食がない状況が続いています。

活動を継続していくためには
市との連携は欠かせません。
こういった問題に対して
どのように対応していくのか。
私達の今後の課題の一つです。

子ども達が幸せであるために・・・

ブラジルでは毎年のように教育改革が行われており、
その中の一つとして、
留年制度の廃止というものがありました。
今までは年末が近づくと、
試験や担任教師の評価があり、
それによって進学及び留年が決定されていました。
三年ほど前、
留年制度廃止により、
すべての児童が進学できるようになりました。
その結果、
ここ数年で
識字率が低下、
学校への通学率減少など、
様々な問題が起こり、
昨年末、
ここアラカチ市では
留年制度の再度見直しが試みられ、
今年に入り、
エステーヴァン村の小・中学生をみてみると、
なんと、
80%が留年したことが分かりました。

留年制度は悪いことばかりではなく、
個々の発達によって進学することができるという
メリットもあります。
ただそれを実現させるためには
教師の力量が問われる事になるでしょう。
80%留年となった今年、
その子ども達が来年進学できるように
学校では取り組みが行われているのでしょうか?

留年制度の再度見直し。
今後どのようなことが起こるのか、
見守っていきたいと思います。

df59fecc.JPG年末が近づき、
年度末が12月であるブラジルは
子ども達が進級できるかどうかの判断が下される
大切な時期でもあります。
留年制度が廃止されたブラジルでは、
基本的にすべての子ども達が進級するのですが、
基準に満たないと判断された子ども達は
大体2週間ほどの補習授業があり、
すべての授業に出席すると、
進級という事になります。

私自身はブラジルの留年制度に賛成していただけに、
廃止されてからの子どもの常態を見ると、
小学校5年生になっても
やっと自分の名前が書ける程度という子ども達がいる中、
どうしても疑問を持たずにはいられません。
留年制度があったときは
その子どもの発達あわせて
進級していく事が出来るため、
小・中学校を卒業する頃には
基本的な教育を身につけることが出来ていました。
しかし現在では
それも叶わなくなっており、
難しい状況に立たされています。

そしてエステーヴァン村の小学校分校。
本来ならば12月7日で終了式となるはずが、
教職員のストのために一ヶ月の休校期間があったため、
15日まで引き伸ばされました。
しかし、
補習授業を受ける子ども達は
その後1週間の通学、
翌週の自宅学習、
さらに一週間の通学が必要となっており、
結果的には
年末年始を挟み、
1月まで学校に通う必要があります。
さらに、
現状では25名いる生徒全員が
補習授業に参加する必要があるのです!!!

今日ある生徒が言っていました。

『今日学校行かなかったの。
だって、好きじゃないんだもん。
黒板に書いてあることも分からないし、
それをノートに写したって自習なんて出来ないし、
だったら行かない方がいいと思うの。』


子どもにとって、
果たして何が一番いいのだろうか?
頭を抱えている私です。

11歳のある男の子。
父親が誰だか知らず、
出産は砂丘の上だったという。
生まれたときに砂にまみれていたことが、
今日では村の笑い話にまでされている。

そんな彼が始めて保育園を訪れたとき、
余りの乱暴さに
私達は驚きを隠せませんでした。
眉間にしわを寄せ、
誰をも信頼できないといっているかのようなオーラを放ち、
傍による人を皆殴り、
蹴り、
突き飛ばす。
まだ3歳。
それでも、
その力強さにびっくりした。
エヴァさんは、
毎日のように彼を抱きしめ、
嫌がる彼に物怖じもせず、
『大好きだよ』
と、声をかけていた。

数年がたち、
彼は見違えるようになった。
それでも幼い頃の影は消えず、
何度も大変な思いもした。
でも、あの笑顔。
それを見ただけで心が温かくなった。

そんな彼が、
学校を追放されるというはなしを聞いた。
教師を殴ったために、
今、
アラカチ市教育委員会との諮問中で、
近々、
アラカチ市内のどの学校に入ることも出来ないという、
通知が渡されるという。

驚いた。
怒りがこみ上げてきた。

11歳の子ども。
確かに彼は難しい子どもだ。
昨年は先生が彼をクラスに入れたがらず、
午前、午後と5回もクラスを変更させられていた。
手の掛かる子ども、
自分と合わない子どもをクラスから追い出す。
教師としてあるまじき行為。
でも、
カノアの小学校ではよくその話を聞く。
子どもがよりよく育つために・・・
そんな言葉は小学校教員にはないらしい。

11歳で学校を追放されてしまう彼。
もちろん働くことも出来ない。
一体何をすればいいのか?
こういった子どもが行き場を失い、
ストリートチルドレンとなって行く事が、
なぜ分からないのだろうか。

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