光の子どもたち in Canoa

日本とブラジル、2つの国の中から感じたこと、気づいたことを発信するなんでも日記。ブラジルからは、大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

広大な海

ブラジル、サンパウロのファヴェーラ(貧民街)での一年間が始まった。
言葉も分からず、右も左も分からない・・・
でも、何だか意欲だけは十分な私。
ここに来た本当の目的。
それは、
『日本の子ども達に光を取り戻すためには?』
と言うことでした。
大きな事を言っているようで恐縮ですが、とにかく、保育士として、子どもと日々接している私にとっては子ども達が元気じゃないというのは世界の終わりのようなものなのです。
20歳そこそこの私に一体何が出来るのか。
それは分かりませんが、とにかく信じたものに取り組んでいこう。
ただそれだけでした。

一年なんてあっという間。
気づけばもう日本への帰国が迫っていました。
“私は何をしにここに来たのだろうか?”
日本の文化を紹介し、日本という国を見つめるいい機会ではあった。
ただ、私がここに来た目的に指先すら触れずに一年が過ぎてしまったと言う事実が目の前にあるのです。
このままではいけない。
このまま日本に帰るわけには行かない。
そう思った私は、私が参加していた社会活動の創始者である『ウテ・クレーマー』さんに相談をしました。
ドイツ人である彼女は、ブラジルのサンパウロにあるファヴェーラで現在(1999年当時)保育所、幼稚園、乳児園、学童教室に家具工房、織物工房、障害児施設に訓練所などなど文化や芸術に至るまでを地域住民と共に作り上げてきた人でした。
心から尊敬する彼女への相談。
そして・・・
「あなたはサンパウロでこのままいてもあなたの目的、目指すものを見つけることは出来ないのではないか?同じブラジルでももっと違う土地に行ってみたらどうだろう?」
サンパウロなどの大都市のファヴェーラ住民のほとんどはブラジル東北部からの国内移民である。夢を求めて、一攫千金を目指して故郷を捨ててまでやってきた。そこに待っていたものは厳しい現実。
昔以上に貧しい生活、多くの子どもはストリートチルドレンになってしまう。
それでも未だに大都市への国内移民は耐えない。
“なぜ皆故郷を捨ててまで?”
理由は様々であるが、ブラジル国内でも最も貧しい地域である東北部の教育、保健医療などの元でこれ以上暮らしていけないと言うのが本音なのではないだろうか。
東北部での暮らしが向上すれば、大自然の中で夢や希望の持てる暮らしが出来ればわざわざ大都市に行き、ファヴェーラを形成して昔以上に貧しい暮らしをすることはないのではないか?
そんな思いを乗せて、私はブラジル東北部へと旅立って行ったのでした。
ー続くー

d091b135.JPGやっとブログを始めました。
自分が感じたこと、思っていること、そして、学んだことや伝えたいこと・・・
どんなことができるか分かりませんが、とにかくどんどん書いていきたいと思います。
私の住む小さな村。
ブラジルの片田舎にある小さな漁村。
そこで繰り広げられる事を皆さんにお伝えしていけたらと思っています。
まずは自己紹介。

私がブラジルに行くことになったキッカケは知人の一言でした。
保育士である私は、学生のときだからこそ、海外の保育も見てみたいと強く願っていたため、どこかで受け入れてくれるところはないかと探していたのです。
そんなときに出会った知人が
『ブラジルなんてこんな機会がなければ行かないでしょ?』
その通り。
休みを利用して3週間ブラジルに行くことになりました。
紹介された保育園はブラジル、サンパウロのファヴェーラと呼ばれる貧民街の中にある保育園。
そんなことは露知らず、足を踏み入れた私が始めて出会ったのはボロボロの服を身に纏い、鼻水をたらしたキラキラと輝く目を持つ子ども達でした。
ひょろりと長い手足。
しかし、なんともエネルギッシュでダイナミックな遊びを繰り広げることか!!!
日本の子ども達に足りないもの、失われてしまったものがここにあるのではないか?
その疑問を解き明かすべく(ってそんなかっこいいものではないですが)、この保育園で働きたいと思ったのでした。
しかし、言葉も分からず、保育の経験にも乏しい私をすぐに受け入れてもらえることは出来ず、2年間足らずを日本の保育園で過ごし、再びブラジルへと旅立ったのでした。
ー続くー

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