光の子どもたち in Canoa

日本とブラジル、2つの国の中から感じたこと、気づいたことを発信するなんでも日記。ブラジルからは、大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

2012年05月

ブラジルでは、
7歳から小学校入学だったのが、
6歳からの入学へと変更になり、
2012年からは本格的な導入となりました。
2010年より問題となっていたのは、
既にプレ・スクールに通学していた子ども達の一部が
入学の年齢制限により、
小学校への入学を一年遅らせなければならない子どもが出てくるからです。
というのも、
ブラジルは1月が始業なのですが、
昨今まで満6歳入学ではなく、
セアラ州を例に挙げると、
(州によって異なるので)
その年の5月31日までに6歳になる児童が、
小学校入学となっていました。
しかし、
満6歳に近づけようと、
2012年からは全国的にその年の3月31日までに6歳となる児童までが
小学校入学となると法律で定められたのです。

日本では、
4月入学なので、
4月2日までに生まれた児童となっており、
入学式のときには全員が満6歳となっています。

1月が始業にもかかわらず、
5月だの3月だの…ということで、
「わが子は4月1日生まれだから今年から入学できない。
ということは、
プレ・スクールをもう一度やるということか?
留年と言うことになるのか?」
と、
結構な騒ぎでした。

カノアの小学校のプレ・スクールに通学していて、
私たちの“保育園”に通っている子どもがいました。
この子は5月23日が誕生日。
ということで、
プレ・スクール(5歳児クラス)にも通えないにもかかわらず、
そこに通っていたのです。
そこで、
学校の事務局と話をすると、
なんと、
この法律制限の確かな月日(3月31日)を知らないのです!!
学校関係者が知らないなんて。
そりゃぁ、
保護者も騒ぎ出すはず…
と、
ある意味納得してしまった私。
こうしたことをきちんと徹底しなければ、
保護者との信頼関係も脆弱になってしまいます。
教育に携わっている私たちが一番、
こうした変更や修正に敏感にならなければいけない。
そうでなければ、
保護者や地域の人々は、
誰を頼りにしたらいいのでしょうか?
常に学びの姿勢を忘れないようにしたいと感じた出来事でした。

先日、
モッソロ市の日本語教室に行った時のこと。
皆で大縄跳びをして遊びました。

♪郵便屋さん、手紙が10枚落ちました。
拾ってあげましょ、
1枚、2枚、3枚、・・・10枚、ありがとさん。♪

???

実は、教えていた日本人教師の方が京都出身だったんです。
私が知っているのは、

♪郵便屋さん、落とし物、拾ってあげましょ、
1枚、2枚、3枚・・・・・♪

と、どこまで跳べるかっていう遊びでした。
似ているようで似ていない。
こういう遊びって、
地方によって少しずつ違うんですよね。
こういうの、
結構面白いです。

週末、
私はおなじみの偏頭痛に襲われ、
バタッと、
起き上がれない程になった。
そして、
日曜日はほぼ、
寝て過ごしていました。

こういうこと、
たまにあるんです。

というのも、
自分の限界
(体力や精神的なもの)
がやってくると、
自動的にこうやって

“休め“

の状態になるのです。
母曰く、

『自分でも分かっているんだから調整しなさいよ』

でも、
勢いで色々とやっていくうちに、
頭も体も疲れるまで動き、
そして、
この状態になってしまうのです。

でも、
今回は厳しかった。
週末が丸々つぶれ、
月曜の午後、
やっと調子が戻りました。

そろそろちゃんとコントロールできるようにならないと…
と思う私なのです。

2010年10月まで、
エステーヴァン村の一人の少年が、
プロのサッカー選手を目指して頑張っていました。
結局、
州選抜以上にはなれず、
プロチームとの契約も、
州内の三流チームどまりでした。

それから1年以上。
我が家にこんなチラシを持った人がやってきました。

スキャン0001

二人のプロチームのスカウトマンがアラカチ市にやってくるので、
マルシアーノ率いるカノアの少年チームからも
何人かテストを受けに来ないかというのです。
1994年〜1999年生まれの少年達。
そこで、
保護者に話をして、
エステーヴァン村からは5人がテストを受けに行くことになりました。
そのうち最年長だった一人はテストを受けに行かなかったのですが、
Daniel,Lucas,Tomaz e Leonardo
の4人がテストを受け行きました。
このうちの一人、
Danielがテストを突破し、
今度はブラジル東北部の合格者が集まる会場へ行くそうです。
さて、
彼はどこまで頑張るのでしょうか?

スカウトマン達は、
来年も来ると彼らに約束したとのこと。
テスト不合格だった3人も、
負けていられるかとまた来年も受けるといっています。
この後の経過も、
追ってお知らせしていきますね!!!

こうご期待!!

私には2人の娘がいます。
一人目の妊娠が分かった時、
正直、
このままブラジルにいるかどうか迷いました。

”出産まで日本にいた方がいいのではないか?”

という考えが頭をよぎったからです。
しかし当時、
私の住むアラカチ市の病院は、
『光のプロジェクト』と呼ばれるJICAの出産プロジェクトの対象病院だった場所があり、
既にプロジェクトは終了していたものの、
そこで研修をした医師、看護師がいました。
リラクゼーションルームが設置されていたりと、
自然分娩のためのケアが整っていたのです。
さらに、
そこにひとりの助産師がいました。

”Ilma. Faustina(ファウスチーナ)”

彼女は助産師であり、
この病院の産科の改革者でもありました。
彼女は温もりがあり、
傍にいるだけで心が安らげます。
出産が分かった時点で彼女を訪ね、
迷いを話したところ、

『私が一緒にいるわ』

と微笑んでくれました。
これが決め手となり、
私はブラジルでの出産に決意がついたのです。

妊娠中から出産まで。
彼女はいつも一緒にいてくれました。
そして、
長女は彼女の介助で産まれてきました。
初めての、しかも異国でのお産。
それでも、
私は穏やかな気持ちでいることができました。
その一年後、
彼女は別の病院へと移動となり、
二人目の出産のときは彼女はいませんでした。
彼女無き後の病院は殺風景で、
まったく別の場所のようでした。

そして今年、
彼女がまた、
アラカチ市の病院に戻ってきました。
『真由美に会いたい』
という伝言をカノアの住民中にしたようで、
日本から戻ると、
あちらこちらから
「ilma Faustinaに会いに行った?」
と聞かれるほどでした。

彼女と再び再会し、
手を握った瞬間のこと。
光と温もりが体をめぐった瞬間。
それは一生忘れることがないでしょう。
来週にでも、
娘を連れて会いに行こうと思っています。

素晴らしい出会いと再会のために・・・

先週の木曜日、
最近あまり見かけなくなっていた男の子の母親が
我が家を訪ねてきました。
実はその子、
何週間も前からお腹の痛みや発熱があり、
家で寝ていたそうです。
貧しい家で、
村のイベントにもあまり顔を出さない家族なのですが、
子ども達は私たちの保育園を卒園し、
一番下の女の子は今、
学童教室に通ってきています。
その男の子。
ついには歩くこともできなくなり、

「これは本当に何かあるのでは?」

と、
重い腰を上げた両親が我が家に来たのです。
というのも、
彼はサッカー教室の生徒であり、
欠席するようになり心配したマルシアーノがその理由を聞いて、
病院に行った方がいいと再三忠告していたのです。

あわてて病院に連れていくと、
翌日にはフォルタレーザの病院に救急搬送。
急いで手術しなければ命にかかわるほど危険な状態だというのです。
日曜日に無事手術が行われ、
最悪の事態には至りませんでした。

彼の病名は
”急性虫垂炎”

もっと早くに病院に行っていれば・・・
そう思わずにはいられません。
今、
周りの子ども達は
『病気になったらちゃんと病院に行かないと』
と言っています。
医療が不安定な地域なので、
医師や看護師がいないこともしばしばの状況の中、
診療所にさえもなかなか足を運ばないことが多いのですが、
それでも、
気付いた人が手を差し伸べる。
そのおかげで助かる命もあるのだということを
強く感じた出来事でした。

日曜日、
私たちが活動するセアラ州アラカチ市との境にある、
リオ・グランジ・ド・ノルチ州モッソロ市に行ってきました。
実は、
ここには日系人の家族が営むメロン農園が数軒あり、
私たちも子ども達を連れて社会科見学に伺ったことがあります。
また、
以前関西大学の学生がボランティアとして滞在していた際には、
研修生として受け入れてくださったこともあるのです。

縁があってこの地で、
フォルタレーザに滞在していた
JICA日系社会青年ボランティアの日本語教師の方が、
日本語教室を開くようになりました。
私たちが受け入れているボランティアも
この方を引き継ぐ形で
7月より、日本語教室を行う事となりました。
私自身も1年以上ぶりにお会いになった、
『大谷さん』ですが、
相変わらずお元気で、
日系移民としてブラジルに暮らしているからこそ持っている、
子どもや孫たちへの思いを語っていらっしゃいました。
今回はこの引継ぎにあたり、
期間や日数、
どのような形式で行われるのかと言ったことを
話し合いに行ったのですが、
私の娘二人は
一緒に教室に参加し、
本当に楽しんで帰ってきました。
その時の作品です↓
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私たちが日系社会青年ボランティアを受け入れた大きな理由の一つが、
周辺地域で点在している日系人をつなぐ役目でした。
こうした活動を通じて、
お互いを知り、
交流を続けていくことができたらと思っています。

5月18日(金)
遅ればせながら、
母の日のお祝いをしました。

子ども達は歌や詩を発表し、
手作りのプレゼントを渡しました。
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準備をしている最中に
アクシデントがありました。
実は学童教室を行っている学校には
”アラプア”と呼ばれている蜂が住んでおり、
何もしなければ大人しいのですが、
その日、
飾りをつけようと柱に釘を打ちつけようとしたら・・・
実はその柱の裏に巣があったらしく、
アラプアは怒りだしてしまいました。
そこで、
仕方なく会場を庭の木の下に変更。
しかしそれがまた、
とても良い環境となりました。

研修生として頑張っているマリエッタも、
(写真左側)
子どもたちや活動にも慣れてきた様子。
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子どもたちの発表に感極まるお母さん方。
素敵な母の日となりました。


※この青少年研修事業はかながわ国際交流財団の『かながわ民際協力基金』の支援を受けて行っております。

ブログネタ
人前で泣けますか? に参加中!
私はブラジルに長期で滞在することになる以前は、
人前で泣くというのは、
・感動した映画やドラマを観て泣く
・本を読んで泣く
・嬉しくて泣く
ということがほとんどでした。

本当に悲しい時こそ、
あまり人前では泣けないものなんですよね。

それが、
ブラジルで滞在するようになり、
感情を表に出すことが
あまり怖くなりました。
泣いて、わめいて、
怒って、喜んで、
楽しんで…
色々な面があるからこそ、
人っていいものだ。
そんな雰囲気が、
周りを包んでいるからかもしれません。

それでもいまだに、
人前で泣くことには躊躇することが多々あります。
皆さんはどうですか?

5月13日は母の日。
これって、
世界共通だと思っていたのですが、
ベリースと言う中米の国にいる知人が、
『中米は5月10日が母の日です』
と教えてくれました。
父の日同様、
母の日も世界共通で同じ日…ではないのですね。

さて、
エステーヴァン村では5月12日(土)にお祝いしました。
教会のミサを終えた人々が、
20時ごろからぞろぞろとやってきて、
まずは食事。
ブラジルでは会議でもなんでも、
最低でも軽食程度はなくては始まりません。
そこからはダンスに歌、ゲームなど大盛り上がり。

”村で一番孫がいる人は?”

という質問に、

『最低35人はいる』

と元気に答えているおばあさん。
本当は何人いるのか、
まだみんなで数えているほどです(笑)

皆さんはどんな母の日を過ごしたでしょうか?
全ての『母』に愛と幸せを。

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