光の子どもたち in Canoa

日本とブラジル、2つの国の中から感じたこと、気づいたことを発信するなんでも日記。ブラジルからは、大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

2012年11月

ご存知の方もいるかと思いますが、
12月6日から開催される、
「トヨタ・FIFAクラブワールドカップ・ジャパン」に
ブラジルから
「CORINTHIAS(コリンチャス)」が参戦します。
このコリンチャスファン。
ブラジル国内で有名なほどの過激サポーター。
しかも、
今回の来日のために、
全財産叩いている人も大勢いるとか。
そして、
すごいのが、
4万人ものサポーターが観戦のために来日するということ!!

ブラジルでは毎日のように、
この話題がニュースで流れますが、
面白いのがこのポスター。
caritilha

日本滞在における注意事項が、
図柄とともに表示されていて、
全ての来日サポーターに配布されているようです。

私の実家の近く、
横浜のスタジアムで決勝が行われる予定。
もしコリンチャスが勝ち残ったら、
新横浜周辺には4万人のブラジル人で溢れかえるでしょう。

ブラジルで生活していると、
本当に
「本」
というものが縁遠いものとなってしまいます。
日本では、
電車の中などの移動中、
本を読んでいる人をよく見かけますし、
(本離れと言われてはいますが)
駅ビルなどにも、
必ずと言っていいほど本屋さんが入っています。

ブラジルはというと、
街中に本屋さんが並んでいる・・・
という現象は見ることがありませんし、
私が住んでいる市の中心街に行っても、
本屋さんはありません。
なので、
私は本を買うために、
州都まで(車で約2時間半、バスで4時間)足を運ばなくてはいけません。

しかし、
不思議なのが、
ブラジル人は日常的に“詩”をよく用いる点です。
自宅に本があることすら珍しいにもかかわらず、
手紙やカード、
職員会議の場でも、
必ずメッセージとして「詩」が朗読されます。
私たちの保育園も例外ではありません。

先日私は、
教職員会議の場で、
「友情」
という詩を朗読しました。
私が日本に一時帰国することもあり、
このメッセージを選んだのですが、
こうした気持ちを「詩」を朗読することで伝えようとする。
そんな習慣が、
私はとても気に入っています。

ブログネタ
誰かに「お疲れさま」と言うとしたら? に参加中!
弟の婚約記念の会食の席で、
お相手のご両親が、

「やっぱり孫は目に入れても痛くないというのは本当ですか?」

という質問に対し、
私の母は、

「私にとっては自分の子どもの方が可愛いですけどね」

と言っているのを聞いて、
既に30歳を過ぎている子ども達なのに???
と、思っていたのですが、

もうすぐ日本に帰るというこの時期、
家族が一段と恋しくなり、
いつもよりも頻繁に両親と話したくなてしまいます。
母親も、
いつもは「はいはい」程度の会話しかしないインターネットで、
「あれが好きだから準備しとくわね。
あれも必要かしら?」
と、
まるで小さな子どもが帰ってくるかのように甲斐甲斐しく世話をしてくれます。

私も親となり、
少しずつ両親への感謝が身に沁みてきていることもあり、
いくつになっても、
親にとっては子どもなんだなぁ〜と実感しています。
親になると、
一生親であり続けなければならない。
30年以上も親として、
いつも支えてくれている両親に、

「お疲れ様。ありがとう。
そして、これからもよろしく」

と伝えたいです。

今日、
来年度からの市長と局長たちとの会談がありました。
主に話したのは、
市長の奥様(新:社会福祉局長)と、教育局長補佐の二人。
奥様には初めて会うと思っていたのですが、
私の顔を見て、

「あなたがまゆみ?」
ーそうですけど。
「覚えてないわよね。私、あなたの初めての出産に立ち会った助産師なのよ」
ーえぇ〜!!!!!!!
「素敵なお産だったわ。みんながあんなお産してくれるといいのにね」

そうなのです。
彼女は、
長女を出産した時の助産師、ファウスチーナさんの補助として手伝ってくれていた人だったのです。
本当に世の中は狭い。
そう感じた今日この頃です(笑)

それもあってかどうか、
その後の話し合いは予想よりも大きな成果を得ることができました。
来年への不安は少し軽減したと、
ほっと一安心です。

小学6年国語の教科書のために書き下ろしたという、
司馬遼太郎の
「21世紀に生きる君たちへ」

片付けていたら出てきたので、
読んでみた。
そして、
なんとも考えさせられた。
その一部をご紹介。

“むかしも今も、また未来にも変わらないことがある。
そこに空気と水、それに土などという自然があって、
人間やほかの動植物、さらには微生物にいたるまでが、
それに依存しつつ生きているということである。”

“「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」
この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、
君たちへの期待でもある。”

“ー自分には厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
そしてすなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、
君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、
よい方向に持っていってほしいのである。”

“人間は、助け合って生きているのである。
私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。
斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、
人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。”

“自然物の人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。”

“「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていければ、
他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、
21世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。”

“君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、
たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地を踏みしめつつ歩かねばならない。”

本日、
吉報が届きました。

Music for Canoaという音楽プロジェクトがあるのですが、
そこのメンバーの内2名が、
来年度より、
「アラカチ市交響楽団」へ入団することが決まりました!!!

すったもんだと、
何度も指揮者が変わり、
プロジェクトも途絶えてしまった時期もあったのですが、
少しずつですが、
確実に前に進んできた証とも言えると思います。

実はこの交響楽団、
昨年末に廃団が決定し、
今年度、アラカチ市に交響楽団はありませんでした。
財政不足によるものだったようですが、
来年度から新しい市長となることもあり、
交響楽団が復活することになったそうです。
そこでメンバーの選考会が行われ、
本日、
発表となりました。

プロジェクト内部はまだまだ難しく、
資金不足、
物品不足も然ることながら、
指導者がうまく統制を取れていないこともあり、
発表会前後のみが盛り上がる・・・という状況が続いています。
それでも、
今回の吉報により、
他のメンバーが今まで以上に努力し、
あとに続いていってくれることを期待しています。

アラカチ市交響楽団のメンバーとなった、
IMG_7555

Eduardo、
IMG_7553

Isabel、
本当におめでとう!!!!!!!!!!!!

先入観なしに人と接する。
外見だけではなく、
その為人も含めて。

例えば、
ある少女は、
外国に住みたいという夢を持っている。
その夢を叶えるためにどうするか?
勉強する、
働く・・・
自分の力でその夢を叶えようとするならば、
そのために多くのことをしなければならない。
でも、
彼女は外国人と見ればいいより、
売春まがいのことをして、
なんとか外国行きを実現しようとする。
夢の実現のために、
何度でも。
そんな少女が外国人といる。
それを見ている周囲の人たちは、
「またあの子」
と言って、
それが単なる友情だけだとは露ほども思わない。
でも、
本当は自分の悩みや心配事、
心の内を吐き出せる唯一の友人が、
外国人だったとしたら?
その外国人も、
異国に住み、
その少女が唯一、
なんでも相談できる相手だとしたら?

私たちは、
前例が何度もあれば尚更、
一度不信感を抱いてしまうと、
それを拭い去るのはとても難しい。
好き嫌いの問題ではなく、
信頼の問題。
どんなにその友情が真実であることがわかっていても、
色眼鏡でしか見ることができなくなる。
掛値なしに人を見ること。
大切だとは分かっていても、
難しい。

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