先日、
保育園の保護者と話をしていたところ、
とても興味深い話を聞きました。
その保護者はエジプト人で、
長らくイタリアで仕事をしていました。
ブラジル人女性との間に2人の子どもをおり、
その子ども達をどうやって育てていくか、
どんな教育、環境の中で育てたいか、
いつも話をしていたそうです。
いつかはブラジルで住みたいという希望もありました。
でも、
仕事はあるか?
生活はできるのか?
そんな不安もありました。
朝から晩まで働き、
子どもたちの笑顔しか見れない日々を送る中、
ある日突然、
ふと、
思いついたのだそうです。
「これだけお金を稼いでも、
この子ども達と過ごす一瞬すらない。
日に日に大きくなっていく子ども達の寝顔しか知らないで、
本当にいいのだろうか?」
何度も話し合い、
そして、
決意しました。
「仕事をやめよう。
イタリアを出て、ブラジルに行こう。
今、
この瞬間は、
物が豊かにあるよりも、
子ども達との時間の方がはるかに貴重な宝だ。」
と。
そしてここ、
カノアにたどりつきました。
「大企業でマーケティング専門でやってきたが、
ここではそれは全く役に立たない。
でも、
知人と小さな食堂を始め、
その宣伝、
告知など、
自分の経験を生かして進めているんだ。
いつか、
ここでの生活にもう少しゆとりができたら、
村の子ども達に対して、
何かできるのではないか。
例えばパソコン教室とか。
そんなことも考えているんだ。」
そう語ったその父親の顔。
たった一度の人生。
その人生を
お金(物欲)と子どもとの時間(環境)の天秤にかけた時、
何が本当に大切なのか分かったという話、
すごく心を打たれました。
ここでの生活は確かにイタリアほど金銭的に必要ではないですが、
それでも、
生活していくためのお金は欠かせません。
その最低限の物を確保できれば、
それだけでいいと言い切る、
その言葉の強さに驚きました。
本当の豊かさってなんだろう?
私がこの村に来た時に自分に問いかけたものです。
人によってものこの答えは違うかもしれません。
でも、
そのひとつの答えは、
この父親の決断の中にある、
と言えるかもしれません。
保育園の保護者と話をしていたところ、
とても興味深い話を聞きました。
その保護者はエジプト人で、
長らくイタリアで仕事をしていました。
ブラジル人女性との間に2人の子どもをおり、
その子ども達をどうやって育てていくか、
どんな教育、環境の中で育てたいか、
いつも話をしていたそうです。
いつかはブラジルで住みたいという希望もありました。
でも、
仕事はあるか?
生活はできるのか?
そんな不安もありました。
朝から晩まで働き、
子どもたちの笑顔しか見れない日々を送る中、
ある日突然、
ふと、
思いついたのだそうです。
「これだけお金を稼いでも、
この子ども達と過ごす一瞬すらない。
日に日に大きくなっていく子ども達の寝顔しか知らないで、
本当にいいのだろうか?」
何度も話し合い、
そして、
決意しました。
「仕事をやめよう。
イタリアを出て、ブラジルに行こう。
今、
この瞬間は、
物が豊かにあるよりも、
子ども達との時間の方がはるかに貴重な宝だ。」
と。
そしてここ、
カノアにたどりつきました。
「大企業でマーケティング専門でやってきたが、
ここではそれは全く役に立たない。
でも、
知人と小さな食堂を始め、
その宣伝、
告知など、
自分の経験を生かして進めているんだ。
いつか、
ここでの生活にもう少しゆとりができたら、
村の子ども達に対して、
何かできるのではないか。
例えばパソコン教室とか。
そんなことも考えているんだ。」
そう語ったその父親の顔。
たった一度の人生。
その人生を
お金(物欲)と子どもとの時間(環境)の天秤にかけた時、
何が本当に大切なのか分かったという話、
すごく心を打たれました。
ここでの生活は確かにイタリアほど金銭的に必要ではないですが、
それでも、
生活していくためのお金は欠かせません。
その最低限の物を確保できれば、
それだけでいいと言い切る、
その言葉の強さに驚きました。
本当の豊かさってなんだろう?
私がこの村に来た時に自分に問いかけたものです。
人によってものこの答えは違うかもしれません。
でも、
そのひとつの答えは、
この父親の決断の中にある、
と言えるかもしれません。