光の子どもたち in Canoa

日本とブラジル、2つの国の中から感じたこと、気づいたことを発信するなんでも日記。ブラジルからは、大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

2014年09月

先日、
保育園の保護者と話をしていたところ、
とても興味深い話を聞きました。

その保護者はエジプト人で、
長らくイタリアで仕事をしていました。
ブラジル人女性との間に2人の子どもをおり、
その子ども達をどうやって育てていくか、
どんな教育、環境の中で育てたいか、
いつも話をしていたそうです。
いつかはブラジルで住みたいという希望もありました。
でも、
仕事はあるか?
生活はできるのか?
そんな不安もありました。
朝から晩まで働き、
子どもたちの笑顔しか見れない日々を送る中、
ある日突然、
ふと、
思いついたのだそうです。

「これだけお金を稼いでも、
この子ども達と過ごす一瞬すらない。
日に日に大きくなっていく子ども達の寝顔しか知らないで、
本当にいいのだろうか?」

何度も話し合い、
そして、
決意しました。

「仕事をやめよう。
イタリアを出て、ブラジルに行こう。
今、
この瞬間は、
物が豊かにあるよりも、
子ども達との時間の方がはるかに貴重な宝だ。」
と。

そしてここ、
カノアにたどりつきました。

「大企業でマーケティング専門でやってきたが、
ここではそれは全く役に立たない。
でも、
知人と小さな食堂を始め、
その宣伝、
告知など、
自分の経験を生かして進めているんだ。
いつか、
ここでの生活にもう少しゆとりができたら、
村の子ども達に対して、
何かできるのではないか。
例えばパソコン教室とか。
そんなことも考えているんだ。」

そう語ったその父親の顔。
たった一度の人生。
その人生を
お金(物欲)と子どもとの時間(環境)の天秤にかけた時、
何が本当に大切なのか分かったという話、
すごく心を打たれました。
ここでの生活は確かにイタリアほど金銭的に必要ではないですが、
それでも、
生活していくためのお金は欠かせません。
その最低限の物を確保できれば、
それだけでいいと言い切る、
その言葉の強さに驚きました。

本当の豊かさってなんだろう?

私がこの村に来た時に自分に問いかけたものです。
人によってものこの答えは違うかもしれません。
でも、
そのひとつの答えは、
この父親の決断の中にある、
と言えるかもしれません。

先日のブラジリア出張で、
おもしろい植物(種)を発見しました。
ポルトガル語では、
「Pajeu(パジェウ)」というのですが、

下記参照(ポルトガル語です)↓
http://www.floradoceara.com.br/index.php?option=com_k2&view=item&id=177:paje%C3%BA&Itemid=8

これが何とも面白い!!

ただ高いところから下に落とすだけなのですが、
くるくるとプロペラのように回り、
回転しながら落ちていきます。
子ども達にとっては見ているだけでも楽しいものらしく、
たくさん集めては、
下に落としていました。
自然の中には本当にたくさんのおもしろい“遊び”が隠れているのですね。

我が家で娘達が遊んでいる様子↓
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今私は週に2回、
保育園に補佐として入っている。
主に、
自閉症“かもしれない”男の子のサポートのためだ。
残念ながらまだ、
診断が出ていないので、
私達も具体的なサポートができていない状況だが、
それでも、
2ヶ月弱の中で、
彼の成長は著しい・・・と私は思う。

今年に入るまで、
家の中で家族(主に父親)と過ごしてきた彼。
それが、
同じくらいの年齢の子ども達と接し始め、
「一緒にいる事」を学んだ。
まだ一つの事に5分ほどの集中しかできないが、
部屋にも入れなかった時と比べると、
大きな成長だ。
しかも、
歌を歌ったり、
踊ったりしているときに真似をするようにもなった。
そして、
今週の大きな出来事は、
部屋から外に出ていくときに

「先生、ちょっと出てきます。
でも、すぐに戻ってきます。」

と一言。
これには驚くと同時に、
とても嬉しかった。
(すぐには戻ってこなかったが(笑))

一歩一歩。
その幅は小さく見えるかもしれない。
でも、
確実に、
一歩ずつ進んでいる。
その姿に、
少しずつ母親も変わってきているという。
今まで怒鳴る、殴ることしかしなかった母親。
それが、
抱きしめ、
話をするようになった・・・と。
毎回ではなくても、
少しずつ、
変わってきている。
一つの家族の成長だ。

9月9日から5日間、
国内出張に行ってきました。
サンパウロでは分刻みのスケジュール、
ブラジリアでは、
丸一日を仕事に充て、
翌日は友人・知人を訪ねてきました。
その中で、
私の念願でもあった、
「イチゴ農家」訪問がありました。
日本で知り合った友人が、
実はブラジリアのイチゴ農家の親戚で、
その噂のおいしいイチゴをぜひ食べたい!!
と、
行ってきたのでした。
そこで出会ったのは、
日系2世の家族の皆さん。
福島さんは、
イチゴの事を語らすと止まらないらしく、
その話し方や考え方が、
漁師である義父にそっくりなの事に驚きました(笑)

「私が作るイチゴは無農薬だ。
だけどそれを信じるのも信じないのもその人の勝手。」

「家族を路頭に迷わす寸前のときもあった。
それを救ってくれたのは、
“愛と感謝”という言葉。
苦しい時にはいつも、
この言葉を漢字で書くんだ。
一番いいのは習字だね。
隅には自然のエネルギーがあるからね。
そしてその言葉をペットボトルに貼って、
その水を飲むんだ。
驚くほど落ち着くよ。
苦しい時こそ、
深呼吸さ。」

話の端々から伺える言葉。
これこそ、人生の英知。
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イチゴは本当に甘くておいしく、
さらに、
こんな素敵なお話まで聞かせてもらいました。
今度はゆっくりと、
お伺いしますね!!

「爪」のことって、
確かに勉強したこともないし、
知らないことも多い。
しかも、
特に“学ぼう!!”と思ったことがある人も少ないのではないだろうか…
でも、
「爪」ってこんなに大切だったんだ!!
と感動したので、
皆さんと共有したいと思います。

まず、
Q.「爪」って何からできているのか?
A:
爪は毛髪と同じで、変形した皮膚。
成分は主にケラチンというタンパク質。
見えている部分は既に死んでしまった細胞。
根元に隠れている生きた細胞(爪母と言います)が新陳代謝して死んだ細胞を押し上げるため、伸びるように見える。
Q。「爪」の正しい切り方
A:
巻き爪や陥入爪は「足の生活習慣病」。
おしゃれのために窮屈な靴を履き、好ましくない爪の切り方(爪を丸く切るのはNGです)をすることで、爪の両端が丸まり、爪の端が皮膚に食い込む環境を作ってしまう。
正しい切り方は、四角!!(スクエアオフと言うらしい)
Q.「爪」ってどんな役割があるの?
A:
「爪」は指先を保護しているだけでなく、物から指が作用・反作用で受ける力を受け止め、骨がない指先の腹にまで力をしっかり伝えている。
足の爪は、歩く時に重要な役割を果たす。
足を上げる直前、必ず爪先が地面を蹴る。この時、体重を支えているのも、この“爪先”。
「爪」がなければ、地面を蹴ることができず、地面からの力も十分に受け止めることができない。

ということは、
「爪」があるからこそ、私達は歩けるのです!!
皆さん、
「爪」されど「爪」。
でも、
大事にしましょう!!

子どもは、
大人が想像もしないような事を
考えていたりする。
ふと出るその一言が、
あまりに確信を得ていて考えさせられたり、
どうしてそうなるのか分からないような、
おもしろい事を言ったり…
こうした言葉を聞くのも、
私の生きがいの一つかもしれない(笑)

今日のおやつのとき。
手作りのパンを売りに来たオランダ人から総菜パンを買った。
パン屋で買うよりも、
とても美味しいパン。
娘たちの大好物ということもあり、
最近よく買うのだ。
一人一つずつ味を選び、
パンを買って、
おやつの時間に食べることにした。
そのパンを食べていた時のこと。

長女:「ママ、人もパンも一緒だね」
私:「なんで?」
長女:「だって、一つ一つ違うでしょ?」
私:「味が違うってこと?」
長女:「それもあるけど、その味に合うような生地にするでしょ?」
私:「そうだね。その方がおいしいもんね。」
長女:「そう。どれでもいいってわけじゃなくて、そのパンに合ったものじゃないとおいしくないんだよね」
長女:「だから、作るときにちゃんと、そのパンの事を知らないといけないと思うんだよね」
長女:「人だって、みんな違うでしょ?ママから生まれたって私と妹は違うもん」
私:「そうだね。」
長女:「だから、それぞれの個性を生かさないとダメなんだよ。おもしろいね。パンが人に見えてきた(笑)」

10歳になったばかりの長女。
でも、
笑ってしまうようなこの会話の最中に、
どこかで
“深いなぁ〜”
と思っている私がいました。
パン職人の皆さん。
こんなところに教育者(保護者?)との共通点があるとは。
これからもおいしいパンを作ってくださいね。

初めて私達が保育園を設立した当時の子ども達は全部で12人。
その子ども達は18歳となり、
それぞれの人生を歩んでいます。
高校に行くことが珍しかった当時。
今では、
ほとんどの子どもが高校に通うようになりました。
そんな中、
小学校6年を何度も留年し、
その内に大麻→麻薬と手を出し、
学校に通わなくなった男の子がいました。
幼いころから
強がって見せても、
心の優しい、
とても素直な男の子でした。
ただ、
家庭に恵まれず、
いつもどこか物足りない、
愛情に飢えているところがありました。
母親は17歳のときにこの子を産み、
祖父母の家で育てました。
母親は夜な夜な出かけては、
異なる男性と関係を持っていたため、
子どもの父親が誰か、
分からずにいました。
その後この母親は、
父親の異なる子どもを7人産み、
そのうち一人は養子に出しました。
そんな家庭で育った彼。
今年初めに転機が訪れました。
あるスイス人の男性が、
約20年ぶりにこの地を訪れ、
その際に、
「もしかしたら自分の子どもではないか?」
という子どもと出会ったのです。
それがこの男の子でした。
すぐに母親と話をし、
DNA鑑定をしました。
結果は、
親子であるというものでした。
麻薬におぼれている彼と話をし、
自分と一緒に、
スイスに行くように説得しました。
父親といっても、
見ず知らずの他人。
一緒に暮らすということに同意はできなかった彼も、
今の自分の暮らしから逃げ出したい気持ちもあり、
スイスへとついていく事にしました。
そして、
先週、
この男の子はスイスから戻ってきました。
その顔を見て、
私は涙が出そうになりました。
あんなにやせ細り、
目がくぼみ、
暗い顔をしていた彼が、
12歳くらいのときの顔、
優しく、
笑顔の素敵な男の子へと変わっていたからです。
一番の変化はやはり、
くすんでいた目が輝いていたことでしょうか。
彼の父親には男の子が一人いました。
彼よりも2歳年下の兄弟と父親とのスイスでの生活。
それが、
何の違和感もなく、
とても自然だったといい、
彼はスイスで暮らすことを決意したのです。

この村から遠く離れなければ、
新しい人生を歩むことができないというのは、
とても悲しいことです。
ただ、
仲間から離れ、
一人孤独に新しい道を見つけることは
確かに困難なことでしょう。
本来なら、
この村にいながら、
新しい道を見つけて歩み出すことができるのが一番ですが、
それが難しい事はこの村に住んでいるとよく分かります。
なので、
スイスにて新たな生活を歩んでいく決意した彼を、
私は心から応援したいと思っています。
輝きを取り戻した彼を。

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