2010年。
私が活動するここカノアに、
3人の学生がやってきました。
彼女たちは自分たちでプロジェクトを立案し、
それを実現させるためにやってきたのです。

エステーヴァン村は、
小さな漁村です。
と言っても現在は既に、
漁師として働いている人は3割にも満たなくなっています。
そしてもっと深刻なのは、
漁師の要、
漁船です。
この村では伝統的に
“Jangada(ジャンガーダ)”
という帆船で漁に出るのですが、
この村にはもう、
3人しかこの“Jangada”を造れる人がいなくなっているのです。
今後高齢化が進む中、
少しでも若者たちにこの伝統文化を継承させたい。
彼女たちはこの帆船、
「Jangadaの作り方の継承」
というプロジェクトを実施しました。

結果は散々でした。
始めは面白半分で集まってきていた若者たちも、
「俺の背中を見て学べ!」
スタイルに反発し、
次第に意欲を失くし、
最後には1名残るかどうかといった具合でした。

『このプロジェクトはこの村に本当に必要だったのだろうか?』

それが彼女たちが持った、
最終的な大きな疑問でした。

それでも1艘の帆船が完成し、
“KAZE(風)”
と名付けられ、
若者の一人がその船を受け取ることとなりました。

その船。
受け取った若者が今でも自分で修理をしながら、
漁に出、
Regataという、
帆船のレースにも毎年出ています。

今日、
この帆船のレースがあったのですが、
私の横で見ていた若者たちがこんなことを言っていました。

「あいつは強いよなぁ〜。
だって、自分の船を自分で整備できるんだから。
やっぱり作れる腕があると、
漁に出てても、
レースに出てても、
船が自分の一部のように走る。」

私は以前、
自問しながら、
自信の活動を継続すべきかどうか、
悩んだことがありました。

『20人の子どもが卒園して、
そのうちの2人が麻薬の売人になる。
私のやっていることの意味はあるのだろうか?』

その時ある人がこう助言してくれました。
「20人の内、
1人でも、2人でもいい。
自分の道を見つけ、
歩んでいくことができるようになっているのなら、
あなたのやっている意味は大きい。」

今日、
若者たちの言葉を聞きながら、
ふと思ったのです。

あの時、
私たちはプロジェクトが失敗したと感じ、
もっと村のためになることがあったのではないかと、
反省しました。
しかし、
本当にそうなのだろうか?
あの時にプロジェクトをやったことで、
1人の若者が船を持ち、
漁に出、
レースで勝負し、
自分で船を直す技術を身に付けた。
それは彼の人生をより豊かなものにすることができた。
そう考えると、
あの時のプロジェクトがあったことに、
感謝すべきなのではないか…と。
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