光の子どもたち in Canoa

日本とブラジル、2つの国の中から感じたこと、気づいたことを発信するなんでも日記。ブラジルからは、大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

カテゴリ: 保育

「セレンディピティ」とは?

セレンディピティ(Serendipity)とは、
何かを探している最中に、
予想外の別の価値あるものを偶然に発見する能力や、
その幸運な現象のこと。

と言われています。
この言葉は、
イギリスの政治家にして小説家である、
ホレス・ウォルポールが生み出した造語です。
彼がこの造語を生むきっかけとなった物語があるそうです。

「『セレンディップの3人の王子』という童話を読んだことがあるのですが、
そのお話において、
王子たちは旅の途中、
いつも意外な出来事と遭遇し、
彼らの聡明さによって、
彼らがもともと探していなかった何かを発見するのです。
(造語を発見したときの書簡の原文(日本語訳)の一部)」

保育園で働いていると、

「これって何だろう?」

という、
子どもとの話から、
公園などで、

「先生、見てみて!
これじゃない?」

と偶然見つけるような場面に遭遇する。
それは、
単なる偶然ではなく、
自分の中に残っていた、
モヤモヤとしていたことなどがあるからこそ、
見つけることができる、
その価値に気づく、
「能力・才能」
とも言えるのではないでしょうか。

ビジネスの世界においても大切だと言われている、
「セレンディピティ」

こうした発想、
疑問に感じ、
それを心に留めておく"余白"を
ぜひ持っておきたいものです。

この度、
PriPri2025年11・12月号の
「海外の日本人保育者に聞く・知りたい!世界の保育「ブラジル」」
にて、
私のブラジルでの生活、
主にカノア保育園での1日が掲載されました!!

もし本屋さんに行くことがあったらぜひ、
手に取ってみてください。



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やなせたかしって、
アンパンマンだけではなく、
素敵な詩も書いているんですよね。
ということで、
最近はささったものをご紹介。

「なにかをひとつ」

なにかをひとつ
しるたびに
なにかひとつの
よろこびがある
なにかをひとつ
まなぶたび
なにかがひとつ
わかってくる
もっとしりたい
まなびたい
無限の道を
すすみたい


先日、
勤務先の保育園で、
子どもたちが歌っていた、


「きみイロ」


皆さんは聞いたことがありますか?
お恥ずかしいながら、
私は初めて聞きました。
歌を聞いていると、
"深いなー"
と感じ、
歌詞を改めてみていると、


「世界に一つだけの花」


を聞いたときと同じ気持ちになりました。
みんなが、
それぞれでいい。
集まったら、
もっと素敵なイロになる…


ぜひ皆さんも一度、
聞いてみてください!



==========
<きみイロ>


まっかなたいよう おはようさん
きょうも せかいがイロもって
あおいおそらに しろいくも
みどりがゆれる

イロイロ とりどりのイロ
みんながイロイロな イロもって
あんなイロ こんなイロ どんなイロ
たったひとつ きみイロ

ひとりひとりは イロちがい
きみだけのイロをさがすんだ
7つよりそいあえば
きらきらのにじ


イロイロ とりどりのイロ
みんながイロイロな イロもって
あんなイロ こんなイロ どんなイロ
たったひとつ きみイロ

たのしそうにきみが うたいわらうこえも
イロづいてきれいな ねイロになる

ちいさな きみがね
これからであうイロ どんなイロ
たくさんあつまって イロどり イロイロ イロ

私は長くブラジルでの活動を行ってきているからか、
日本でも、
ブラジルにつながる人達がどのように暮らし、
何に不安を感じ、
どんなことに幸せを感じているのか…
ということにアンテナをはっている。

保育分野でも、
多文化保育という言葉をよく耳にするようになり、
群馬県大泉町、
茨城県、
愛知県、
広島県
などなど、
私の住む神奈川県も含め、
多くのブラジルとつながりのある人達が日本で生活している。

そんな中、
日本保育学会の中部ブロック研究集会において、
福井県越前市における取り組みが紹介された。
福井県にも今、
こんなにもたくさんのブラジルにつながりのある人達がいるのかと、
驚いて話を聞いていた。
今回学会誌を読み、
改めて、
私たちにできることは何だろうかと、
考えるきっかけとなった。

今日キャリアアップ研修を受講したのですが、
テーマは「現代における家族と子育て」。

家族ってなに?

その定義は、
現在は明記されていません。
なぜか?
それは、
多様な家族形態があり、
その人それぞれにとっての「家族」があるから。

ブラジルでは、
祖父母に育てられる子、
近所の人に育てられる子、
おばさんに育てられる子などなど、
血縁であるなしにかかわらず、
様々な家族形態があります。
だからこそ、

「その子どもがだれを家族と思うのか?」
「その子どもにとっての母親は誰なのか?」

ということを入園児に確認することもあります。

家族というものが多様化する中、
文化や習慣も多様化しており、
保育をするうえでも、

「正しい家族もなければ、間違った家族もない」

そのことを認識し、
受け入れていく必要があるのだということ。
改めて考えさせられました。


多文化共生とは、
異なる人たちが一緒に暮らす社会である。
そんなことをここ数日考えていたので、
考えがすとんとまとまる、
そんな瞬間でした。
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保育士という仕事は、
昨今、
多岐にわたってきています。
そのどれもが、
命にかかわるものであったり、
生活に密にかかわるものであったりと、
なくてはならない仕事の1つといえるのではないでしょうか。

私自身も「保育士」ですが、
今回のご指摘のように、
「高度な専門職」
という認識を、
果たして世間に皆様は感じているでしょうか?
こうした声を私たち保育士自身も、
そして、
周囲にいる人たちも上げていくことで、
少しでもよりよい保育、
質の高い保育を子ども達に提供できるようにしていきたいですよね。

詳細はこちらから

私が愛読している、
「エデュカーレ」。
そこにはいくつものヒントやアイデア、
それだけでなく、
ふと思い出させてくれるものに出会うことがあります。

「保育において方法は大事なものだが、
それが特徴となれば、
目標や理念が失われる」

本当にその通りだと思いました。

アリストテレスは言いました。
「方法は、
目標・理念の実現に接近するための手法で、
ほかにもあることが本質である」

方法は目標到達のための材料で、
目標自体もまた、
今それが一番大切であるかを考えなければいけません。

私がカノア保育園の話をすると、

「原点を思い出させてもらえる」

とよく言って頂くのですが、
そのための対話を、
ぜひたくさんしていきたい。
そう感じている今日この頃です。
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近年私たちは、
様々な教育方法を実践している幼稚園、保育園、認定こども園と出会うことができます。
モンテッソーリ教育、
シュタイナー教育、
レッジョ・エミリア教育などなど。
それぞれの教育方法には利点と欠点があり、
その教育方法が誕生した国や地域との関係や、
宗教など、
どこでも簡単に実践できる…
というわけではありません。
例えばモンテッソーリ教育やシュタイナー教育は、
その教育方法を学び、
習得した人が教員資格を得られ、
教えることができます。

多様性と主体性を大切にしている現代では、
それぞれの環境の中で、
目の前にいる子どもにとって、
どのような教育方法が良いのか。
悩みは尽きません。
それでも、
私は思うのです。

何もないと思っているところにこそ、
子どもは楽しみや可能性を見つけ出すのではないでしょうか?
森の中、
街の中、
公園、
園庭…
子どもの興味、
観察の中に、
私たちは必要とされている学びを届けることができるのではないでしょうか。

3年ぶりにブラジルに帰ってきて思うこと。
それは、
子どもが持っている“力”です。
今、
子どもたちは何を観ていますか?
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保育士として、
日々子どもと接している私たちにとって、
人としての基盤、
土台となるものは乳幼児期に育まれるということは、
当たり前のように根付いていることである。
が、
その根拠をその後の人生まで考慮して、
エビデンスを確保するということは、
実は今までしてこなかったのだ。
私自身も現在、
神奈川県内の外国につながる未就学児の実態調査をしようと準備しているところだか、
今後はこうした動きが活発化しそうな予感である。


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