光の子どもたち in Canoa

日本とブラジル、2つの国の中から感じたこと、気づいたことを発信するなんでも日記。ブラジルからは、大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

カテゴリ: 学校

新型コロナウイルスの影響で、
見えてこなかった学校問題が、
世の中の大きな問題として、
捉えられるようになっています。

その中の一つに、
「2017年(高校は2018年)3月に改訂された新学習指導要領」
です。
今年度から小学校、
来年度から中学校、
2022年度入学から高校
と、
段階的に改訂された内容が授業へと組み込まれていきます。

「改訂の狙いは、グローバル化、情報化する社会の中で、子どもたちの将来のために必要な知識や力を備えさせることができる学校教育の実現だ。(一部抜粋)」

今までは、
学校で得る知識は、
社会に出てからは役に立たない。
そんな言葉をよく聞いていたのではないでしょうか。
しかし、
今はそうも言ってられません。
学校において、
知識だけでなく、

「生きる力」

を身につけさせるため、

「学びに向かう力、人間性など」
「知識及び技能」
「思考力、判断力、表現力など」

上記3つの力をバランスよく育むこと。
それが、
学校に求められていることなのです。

「意見交換や議論、発表などに欠かせない言語能力の育成、観察や実験などの科学的探究や、データ分析に必要な統計も含めた理数教育の充実、道徳教育、伝統や文化理解、18歳選挙権をきっかけに注目された主権者教育、食の安全や悪質商法被害などの社会問題に対応した消費者教育なども充実させる。(一部抜粋)」

上記を見ると、
かなり幅広いと思えますよね。
小学校など、
1人担任制では実現は困難なのではないか。
そう感じてしまいます。
だからこそ、
小学校でも専科の教員がいたり、
地域との連携も行う必要があると、
考えられています。

今、
大きく変わりゆく社会の中で、
その真っただ中で大人になっていく子ども達。
私たち大人は、
彼女たちにどんな人間に育っていってほしいと思っているのでしょうか。
私たちがビジョンを持たなければ、
子ども達は歩んでいく道を見極めることができない。
それを考慮しつつ、
見本となり、
示していかなければいけませんよね。

(参照)
https://toyokeizai.net/articles/-/361419?utm_campaign=ADict-edu&utm_source=adTKmail&utm_medium=email&utm_content=20200725&mkt_tok=eyJpIjoiWWpCak5UQmhORFV5TkRjMSIsInQiOiJlTTVNeGxGSFRVV2lkZlYzKzlkR3NrTXpobHF3SUsxTk1RcjljbkhGZm4welAyR0ViMHBRUDhoOEY1V1lYSTNVQUFOQ0JWUEVDTDRiXC9xN1dGVmtZSUIrOEpvVFJ0UU9iTHVjZFZQQkdjUVhwc2pKZTBGZGFqajhQaDdLeVVTR20ifQ%3D%3D

ブラジルで活動していると、
日本の教育水準の高さがよくわかります。

日本はこのままではいけない。
教育水準が低すぎる。
他国と比較すると○○だ。

といった指摘は、
良くあります。
それでも、
平等に子ども達に教育を受ける権利がある。
受けられることができる。

それだけで、
すごいことなのです。

日本の法律は、
日本国籍を持っていない人に対して、
かなりあいまいなものでした。
そのため、
多国籍児童は、
学校に通っていても、
通っていなくても、
どちらでもよい…
そんな状況だったのです。
それが、
多文化共生と言われる昨今、
大きく変わろうとしています。

そして、
それだけではない。
学校のシステム自体が、
大きな転換期を迎えているのです。

「これから社会がどう変化しようとも、
自ら課題を見つけて解決できるように、
何を学ぶかだけではなく、
どのように学ぶか、
何ができるようになるかを重視(一部抜粋)」

これがまさしく、
これからの教育の在り方なのです。

「一人ひとりの能力、
個性、
成長のスピードに合った多様性のある教育に変えていかなければ(一部抜粋)」

クラスに40名近い生徒がいる状態では、
教師が上記のような指導をすることは困難です。
新型コロナウイルスの影響により、
オンライン化がすすめられ、
その中で、
クラスの定員数も話題となりました。

これから日本の教育は、
大きく変化していきます。
2人の娘がいる私は、
親として、
教育者として、
注力していきたいと考えています。

参照記事:
https://toyokeizai.net/articles/-/362273?utm_campaign=ADict-edu&utm_source=adTKmail&utm_medium=email&utm_content=20200722&mkt_tok=eyJpIjoiT1RReE0yRXhNbVZrWVRNeSIsInQiOiJlcWNYXC9KWDN1TWN1WVdcL1VlTVM3eGlha1JXNElmVEt4T3RkSm1UODhYM0VtYk9sRHRZU0t5S0NuVXdGV3RSdFRzWFRuK0JoOGhuZFRWRkxTdSs3Q3QzUkZRSnRPeDFvU1RnM1I3T1BsVnF6OHZhU3Z5ZkUxaHNMQjdyKzRveG9tIn0%3D

長女は中学3年生。
受験生。

昔から、
高校になったときに、
日本とブラジル、
どちらの国の学校に行きたいのか、
考えないといけないよ。

と、
言い聞かせてきました。

小学校高学年になると、
彼女はきっぱりと、
きちんと理由をつけ、
日本の高校に行くことを選びました。

私が高校受験したときは、
成績によって、
公立高校だったらどこの学校か、
そうすると、
私立ならどこか…
というのが、
ある意味簡単に決められていたと思う。
その事に、
疑問を感じることもなかった。

今、
高校受験は大きく変わっていて、
公立高校は学区が撤廃され、
特性を打ち出し、
それぞれが個性を表に出している…
そんな風に感じます。
学力の壁はもちろんあるけど、
それだけではない、
選択が、
あるような気がします。
となると、
受験生は自ずと、
自分と向き合い、
自己を知った上で、
選ぶ必要が出てきます。
これが実は、
すごく大変なのではないか?
と、
周りをみていて感じるのです。

我が家の娘は?
というと、
その部分はかなりはっきりしていて、
彼女に合った学校探し…ということになります。

先日は、
高校見学に行ってきました。
さて、
どうなるやら…
娘よりも緊張している、
私なのでした。

次女の小学校からのお便りに、

「挨拶は、
心と心を通わせる、
“はじめの一歩”です。」

と書いてありました。
校長先生の言葉です。

ありがとうとは、
漢字で書くと、
“有り難う”。
「めったにないこと」
という意味です。

こんなによくしてもらえることなんて、
めったにないことだわ。
だから、
ありがとう!
と伝えないと。

という風に考えると、
分かりやすいかもしれません。

挨拶の言葉には、
それぞれに大切な意味があります。
こうした“意味”を考えながら、
挨拶の大切さを学ぶというのも、
一つの方法かもしれません。

皆さんもぜひ、
いつも何気なく使っている挨拶の言葉、
その意味を考えてみてください!

https://mainichi.jp/articles/20190504/k00/00m/040/098000c
上記のような記事が出た。

どこがでやっぱりか…と思ってしまう部分もある。

私が小学生の時と比べると、
娘が通っている学校でも、
外国籍児童がたくさんいると感じる。
ただ、
その対応は市区町村というよりは、
各学校によって、
大きな差があるように思う。
現に、
私の娘が通っている学校と、
他の近所の学校を比べると、
対応に差があるのは一目瞭然だ。

地域性ということもあると思うが、
これから益々増えるであろう、
こうした外国籍児童の問題に対する課題を、
自治体だけでなく、
学校や地域の人達が一体となり、
明確に持つ必要があるのではと、
私は考える。

2019年2月19日の読売新聞朝刊で、
気になる記事がありました。

「6〜7歳男子の半数
行動に落ち着きない」

「いつもそわそわと落ち着きない子どもが増え、
6〜7歳男子の半数に上ることが、
研究者や学校教諭らで作る
「子どものからだと心・連絡会議」の調査で分かった。
(中小略)
前頭葉機能が不活発なタイプは、
物事に集中するのに必要な興奮の強さと、
気持ちを抑えるのに必要な抑制の強さの両方が十分に育たず、
(中小略)
興奮の強さが育つと、
それに伴って抑制の強さが育つ。
興奮の強さを育てるには体を動かして遊ぶことが必要だが、
夢中になって遊び込むことがなくなったため、
興奮が育たず、
抑制も育たなくなったのではないか」

遊びが大切。
体を動かすことは重要。
昨今は乳幼児期の子ども達と接する上で、
大切なこととして認識されていることです。
それでも、
自由に体を動かす時間や空間、
夢中になって遊び込むことのできる時間と空間というのは、
まだまだ足りないと言わざるを得ません。
幼稚園や保育園ではもっと積極的に、
家庭でも週末などに時間を取って、
ぜひ少しでも乳幼児期にこうした時間を取り、
就学年齢に備えることができればと、
願ってやみません。

JICA草の根技術協力事業として、
2013年から始めた活動の一つ、
「ライフスキルトレーニング」
今では、
アラカチ市内13校にて実施されています。
全ての学校が同じように導入される…という素晴らしい状況には及ばず、
指導力の差もあり、
難しいこともまだまだたくさんあります。
それでも、
トレーナーとして、
指導教員として、
生徒に授業を行う場を定期的に設け、
子ども達の意見を聞き、
少しでも彼らの将来がより良いものとなっていくことを
願うばかりです。

そして2019年。
今年度の授業が開始され、
ライフスキルトレーニングの授業風景が届きました!
こうして教師自身が自主的に行っている様子を見ることができ、
本当に嬉しい!
この学校では、
学校長との話し合いの中で、
週に一度の導入を決めたらしい。

テーマにしたいこともたくさんあると思うので、
これからを楽しみにしています。IMG-20190215-WA0002
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私たちは今、
JICA草の根技術協力事業を実施しているのですが、
先日、
その最終評価として、
JICAブラジルによる、
現地視察が行われました。

イベントだけではなく、
実際の授業を観ていただいたり、
参加してくれた人たちにインタビューをしたりしたのですが、
ある学校に行った時のこと。
トレーニングに参加した先生がこんなことを言いました。

「私は教師として、
いつもやかましい、
うるさい、
そう生徒たちに言われ続けてきました。
授業以外で私と話そうとする生徒はまずいませんでした。
それが、
ライフスキル授業のトレーニングを受け、
実施していく中で、
生徒たちをよく観察し、
耳を傾けることを覚えたのです。
すると不思議なことに、
授業終了後、
生徒たちから
『先生、聞いてもらいたい話があるんだけど』
と、
話しかけてもらえるようになりました。
生徒からの信頼を勝ち取ることができたのです。」

私たちはライフスキル授業を通じて、
主に中学生に対して、
アイデンティティの確立、
あらゆる疑問に答えていく専門家との繋がりなど、
生徒たちの変化に注目してきました。
しかし実際は、
生徒だけではなく、
トレーニングを受けた教師にも変化が現れたのです。

学校とは勉強するところ。
授業を受けるだけのところ。
それが今では、
学校は私の居場所。
信頼する大人がいる場所へと変わっていったのです。

こうした2次的効果を知ることができたことは、
私にとってとても嬉しく、
もっと広く、
多くの学校、教師の皆さんに知ってもらいたい。
そんな思いを強くしたのでした。
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私たちは現在、
“ライフスキル教育”というものを学校内で実施してもらうため、
教員向けのトレーニングを行っています。
2013年から2年半、
中学生を対象とした事業を実施。
彼らの強い要望から、
2016年より学校の先生に対するトレーニングを開始しました。
そして現在、
ブラジルのセアラ州アラカチ市内の学校を回りながら、
ライフスキル教育を取り入れた後の話を聞きながら、
今後の計画を立てているところです。

近年、
私の住むブラジルのセアラ州アラカチ市では、
中学生の子ども達の悲痛な叫びを耳にすることが多くなりました。
家庭内暴力、
性犯罪、
若年妊娠、
自殺未遂、
などなど。
それは減少するどころか、
どんどん膨れ上がっているように見受けられます。
麻薬がらみの未成年の死亡数も増加の一途をたどり、
10代の子ども達の現状が、
心を痛める以上に、
何かしなければならないと強く感じるほどにまでなっています。

先日、
ライフスキル教育を取り入れた学校を訪問し、
先生たちと話をしました。
その中で聞かれたのは、
家庭崩壊、
親子関係の悪化。
子ども達は問題があると、
親や家族ではなく、
学校の先生に相談するということ。

「先生は話を聞いてくれる」

「先生はこの後どうしたらいいか相談に乗ってくれる」

「先生は私という個人を受け止めそうとしてくれる」

全ての先生というわけではありません。
でも、
多くの学校で、
教師という職業は、
一部カウンセラーの要素を持つようになっていました。
そして、
こうした先生のいる学校では、
不登校や留年・中退をする生徒が減少してきているという、
現実があります。

多くの場合、

「ただ話を聞いてほしかった」

という子ども達。

ただ授業をするだけではなく、
その前に、
生徒たちに耳を傾ける時間を設ける。
生徒たちが必要としている問題や疑問、
それらの課題を一緒に学んでいく。
こうした姿勢は、
今の学校において、
重要な要素となっている。
そう強く感じています。

まだ言いたいことがあったので、
同じテーマでもう少し…

不登校というと、
なぜか悪いイメージはありませんか?
学校に行くべき年齢に行っていない子ども。
正しい行いのできない子ども。
(まぁ、正しいとは何なのか?ということも大切な議論ポイントですが)

今回の講演の中で印象に残った話の中の一つに、
不登校になった子ども達はほとんど、
というか全員、
その理由が分からないということ。

私自身はその事実を知っていたけれど、
確かに自分の娘が突然不登校となった時。
ちゃんと、

「いいよ。だいじょうぶだよ」
と言えるだろうか?

自分の意見が言えず、
自分に自信がない。
そんな子どもがたくさんいる現在。
自分の意見を言え、
自己主張できる、
我が娘は、
どれだけ恵まれているのだろうか。
そして、
なんと周囲に恵まれていることか。
そんな娘たちを周囲の人たちは丸ごと、
受け止めてくれているのだから。

そういった環境とそうでない環境。
何が違うのだろうか?

それはやっぱり人。
その人たちの感情、心。

フリースペースなど、
そういった場所に足を向けられる子どもは、
どれだけ救われているのだろうか。
不登校であっても、
その場所に行く、
外に出ることを許容できる、
そんな保護者でなければいけない。
それは実は、
簡単なことのようで、
難しいのかもしれない。

こうした”場”づくりをしている人達がいる。
そこを必要としている子ども達がいる。
そこに行けることを許せる大人がいる。

これからは多様な教育、
多様な生き方をしていく必要があります。
だからこそ、
今、
私たちは、
自分自身を見つめなおさなければいけないのかもしれません。

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