光の子どもたち in Canoa

日本とブラジル、2つの国の中から感じたこと、気づいたことを発信するなんでも日記。ブラジルからは、大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

カテゴリ: シュタイナー教育

657dd4f0.jpg先日行われた講座の中で、
“子どもたちの絵の観察”
というテーマがありました。

私たちの保育園では
登園時に
自由にお絵描きができるスペースを
用意しています。
必ず絵を描かなければならないわけではないですが、
ほとんどの子どもが
部屋に入り、
まずは絵を描いてから
自由遊びをします。
私たち大人は
頭の中でどんな絵にするか
考えることがほとんどです。
しかし幼児は、
心の中を
絵として映し出します。
そのため、
絵を観察していると
おのずとその子の状態が
わかってくるのです。

『うそでしょ?』

と思われる方も多いかもしれません。
でも、
試しに行ってみてください。
子どもというのは本当に正直。
その日の気分、
健康状態、
すべてが絵に表れてきます。
面白いものです。

すべての幼稚園、保育園で
こういった取り組みが
行われることを願っている私です。

fbdc5a3f.jpg先日行った教育者養成講座。
話の中でふと思い出したことがありました。

以前、
私と教師2人で街を歩いていた時のこと。
観光で訪れていたイタリア人に
話しかけられました。
そして、
何とも面白いことを言われたのです。

「あなたたちは
3人で一つだね。
一人は頭脳、
一人は愛情、
一人は頑強。
それが一人一人豊かにあって、
混ざり合っているようだ。」

その後、
何かを成し遂げるときに
これら3つは基本になるものだという話を聞きました。

私たちはお互いに異なる存在で、
だからこそ意見がぶつかることも多々あります。
それでも、
異なる目線から出される意見は
どれ一つとってみても
大切なものばかりなのです。
お互いを受け入れ、
それを生かしながら
活動を行っていく。
簡単なことではないかもしれませんが、
私たちがここで一緒にいるということは
偶然ではないような気がしてなりません。

私たちは皆、
これら3つを持ち合わせていますが、
それをバランスよく生かすこと。
人間としてのバランスを
考えさせられる言葉でした。

12月2日(日)。
教員養成講座に参加しているアラカチ市の教職員の内、
参加希望者15名とともに、
フォルタレーザのシュタイナー学校、
Escola Waldorf Micaelのバザーに行ってきました。
アラカチ市教育局がバスを提供してくれ、
実現した
“交流会”
です。

公立の学校で働く教職員がほとんどの中、
生徒や保護者が中心となって行っている
バザーに参加することは
今まで持っていた視野を広くする意味でも、
とてもいい機会となりました。

参加した教師の一人がこんな事を言っていました。

『子ども達の発表を見て、
洋服や靴はばらばらだし、
ドレスで着飾っている子どもなんて一人もいない。
それでも、
歌に楽器の演奏、
その内容の充実さに
圧倒されてしまった。
見た目がどうのよりも、
子ども達が一生懸命、
発表しているその姿に
感動してしまった。
家庭の食費を切り詰めてでも
たった一日の発表会にドレスを着せる保護者が多い中、
子どもにとって本当に大切なことは何なのか。
改めて気づかされたようなきがする・・・』

こうした機会を得れたことで、
一人一人の教職員が
何かしら心に残るものがあったのならば
本当に嬉しいです。

01c9b930.JPG先週末、
3日間に渡り、
教員養成講座が開かれました。
公立学校の教職員も招いた今回。
果たして私達の伝えたいことはきちんと伝わるのだろうか?
受け入れてもらえるのだろうか?
不安な部分もたくさんありました。
初めのうちは
“シュタイナー教育”
という事から不信感を抱き、
参加者の中には
距離を推し量っているような顔をしている人もいました。
しかし3日間を終え、
すべてに参加した教職員からは
『昔からあること、
私達が思い出そうともしなかったような事を
今、
思い出させてくれた』
と、
感謝の言葉が述べられました。


早期教育への取り組み。
一年でも早く、
子ども達に読み書き計算を教えたい。
そんな想いが一転、
どんなに頭がよくなっても、
テストの点数が良くても、
人として、
人間として生きる力が備わっていなければ
教育とはいえないのではないか。
教師として、
自分自身を見つめ直し、
子どもの前に立つという意識を深め、
常に学び続けること。
子ども一人一人に目を向けることは確かに難しいかもしれない。
それでも、
一人一人を知っているからこそできる、
教師としての対応がある。
教育とは、
勉強を教えるだけではなく、
生き方を教えるものなのではないか。


第一回として私達が伝えたかったこと。
それを十分に
受け止めてもらえたような気がします。


追伸:
本事業は日本郵政公社ボランティア貯金より助成を頂き、
カノアで行われているものです。
(当団体『光の子どもたちの会』は協力団体として本事業を応援しています)

5d8e2314.jpg私たちが活動するエステーヴァン村は
ブラジル東北部に位置するセアラ州内にある。
ブラジル国内においても貧しい地域とされる東北部。
その中にあって、
人材育成に関しては
本当に難しい問題が山積みである。

サンパウロなどの都心では、
様々な分野の講座やセミナーが定期的に催されており、
周辺地域の団体などとのつながりも
こういった場を通して輪を広げていく事が出来る。
そのため、
必要ならば研修や、
見学、
実習など、
実践を学ぶ機会も数多くあるのだ。
一方、
私達が活動する東北部では
それぞれが活動を継続させていくことすら大変であり、
お互いが出会い、
共に学べる機会というのは
皆無に等しい。

そんな中、
ブラジル東北部内でも
講座やセミナーなど、
同じ関心をもつもの同士が集い、
学びあう機会を積極的に作っていこうという動きが
起き始めている。

先週末、
教師2名と私は
ブラジル東北部幼児教育セミナーに参加してきた。
3州からの参加ではあったが、
それでも
同じく『シュタイナー教育』を基盤としているもの同士、
意見を交換したり、
開催された数々の講座を通して、
学びを深めることが出来た。

こういった機会が今後も増えていき、
常に意識を高く、
学び続ける姿勢を持ち続けたいと
思っている。

昨今、
カノアに来るボランティアの半分は
モンチ・アズールですでにボランティア経験を積んだ人たちである。
日本人のみならず、
ドイツ人やイギリス人、
本当に様々な人たちが私達の活動を支え、
力を貸してくれていることが分かる。

そして先週、
イギリス人女性で、
幼稚園教諭でもあり、
イギリスでシュタイナー幼児教育教員養成コースで働いている人が
ボランティアとしてカノアにやってきた。
残念ながらポルトガル語が余り分からないため、
私の拙い英語と、
ドイツ人ボランティアによって、
何とか意思の疎通を図っているという状態である。

通常は、
保育園へのボランティアは受け付けていない。
小さな子ども達には、
突然知らない人がやってきて、
一ヶ月でいなくなるというのは
余りに大きなショックであり、
子どものみならず、
クラス中が手におえない事態になりかねない。

しかし、
幼稚園教諭でもあり、
教員コースでも働いている彼女は、
園の生活リズムをすぐに掴み、
少しずつ子ども達もなれてきているようだ。
今日、
子どもがハンモックに揺られながら、
彼女の歌声を聞き、
寝入ってしまっていたほど(笑)

今保育園には
4人の多動傾向の子ども達がいる。
担任教師は、
この子達に目を向けていると、
他の子ども達が目に入らなくなってしまい、
最後には子どもをきちんと見ることができないという
自体になってしまっていた。

そんなときにやってきた救世主。
このイギリス人女性、『Roxana』は、
そのうちの2人の子ども達の担当となり、
一ヶ月を過ごすこととなる。

誰かがいてくれれば・・・
そう思っていた矢先の
彼女の到着。
まるで何かがここに彼女を呼び寄せたよう。。。

一ヶ月。
それで何が変わるか分からないが、
彼女の対応を見て、
そして、
子ども達の様子を見ながら
私達も共に学んでいきたいと思う。

6229b52e.JPG前期・後期として行っている、
現地スタッフに対する
教職員講座。
前期のテーマは
“バイオグラフィー”
自分の伝記という意味のバイオグラフィーは
過去を思い返し、
未来を見つめなおしていく事により、
現在の自分を受け入れ、
未来に向けての自分の決断や目標を
見出す手助けをしてくれます。

私達一人一人にとって、
その人生とは貴重なものであり、
それは、
誰とも重なることのないものです。
自分だけの自分の人生。
それを意識的に、
明確に捉えていく事によって、
自分自身の人生の道を見出す
手助けとなることは間違いないでしょう。

子どもやその家族と活動していくには
まず私たち自身を知らなければいけません。
自分の人生を受け止め、
受け入れる事によって、
他者との関係がより良く育んでいくけるものとなるのではないでしょうか。

私は最後の3回をワークショップ形式で行う事にしました。
一人一人が
7年周期で自分の人生を思い返し、
それを水彩画で表現していきます。
その中で、
スタッフの2人が
本当によく似た水彩画を仕上げました。
それは2人共に14〜20歳の第3七年期。
この二人は10代のときに妊娠し、
一人で子どもを産みました。
その2人に共通していたのは、
妊娠した事が分かったとたんに、
友達が離れていき、
家族からも孤立し、
一人ぼっちであると感じていたという事実です。
一番友人と一緒に居ることが楽しい持期。
自由の中で伸び伸びと遊べる時期。
その時期に妊娠したことで、
彼女達は未だに孤独を感じることがあるといいます。

10代の妊娠というのは、
その事実だけではなく、
本人達にとっても
辛い時期を過ごす結果となってしまいました。
2人の言葉が、
私の心に刺さり、
その事実に胸を痛めたのでした。

3d29c43d.JPG先日、
ある家族のことで、
共に働いているスタッフの何名かが激しい憤りを見せました。
自分達が確かに正しい事をしている時でも、
常に相手の立場を考えて
行動したり、
言動したりする必要があります。
しかし、
彼らにはそんな事を考える余裕も、
意志もなく、
ただただ怒りを表していました。
その日の夕方、
ある村人と話していたとき、
こんな事を言っていました。
『この村に住んでいる多くの人は、
この村を出たこともなく、
旅行といっても、
同じ気候、
同じ文化、
同じ生活様式を持った人々との交流が
唯一の経験だろう。
貧しくても、
何とか寝る場所があり、
食べるものがあり、
今まで生きてこられた彼らには
その根本が揺らぐという事が
どんなに辛いことで、
不安なことであるのかという事が
分からないのだろう』

この日、
私はバイオグラフィーの講演録を手に取りました。
そして、
20代での経験が、
その後、
どれだけ重要となってくるのか、
改めて感じたのでした。
その一部をご紹介させて下さい。

*****************************************************************************
21歳のときに訪れる重要な問いは、
「私は誰なのか」
という問いです。
この年齢は様々な事を体験する年齢です。
私達は経験を通じて、
自分を発見していきます。
小さな子どもが口にものを入れたり、
しゃぶったりして、
自分で確かめて世界を体験するように。

世界を体験するためには
インターネットなどのバーチャルな体験ではなく、
実際にそれを体験する、
生きてみるという事が大切です。
よその国、よその場所を知るとき、
同時に自分の持っている、
自分の国の事を深く知ります。
様々な価値観の違いという体験をします。

何でも欲しいと思います。
色んな勉強をしたり、
色んな仕事を体験してみたい、
いろんな人に会いたいと思うようになります。

若い人たちにとって、
世界を体験すること、
やってみること、
失敗することはとても重要なことです。
小さな子どもが歩けるようになるまで何回も転び、立ち上がるように、
そういう様々な経験、
失敗、
成功の経験を経たことのない若い人は
自分で生きる、
自分の独立した人生を歩くことが出来なくなってしまうのです。

自分で自分を評価することができない、
傷つきやすい、
浮き沈みが激しい、
そういう年齢です。

この時期が終わりに近づくと、
それまでの経験を秩序立てて置き直す作業をするときがやってきます。
それまでに様々な事を体験してあればあるほど、
豊富な財産を持っている事になります。
それまでに得た経験が少なければ、
どの体験が自分と本当に関係のあることなのか、
本当の自分とは何なのかを探すチャンスも減ってしまいます。

若いときに様々な体験をするという事は、
私達の魂、心にとって、
とても大切な栄養なのです。
私達はそれを材料として人生を生きていく事になります。

e2cea3cc.JPG12月8日。
私は新たに一歳、年を重ね、
新たな人生に足を踏み入れた。
シュタイナー教育の中では、
人生を7年おきに区切っており、
21〜28歳までは“世界を知るための旅の時期”であるという。
私がブラジルを訪れ、
その土地に住み、
活動を始めたのがまさしくこの時期だった。
そして、
28歳が近づくにつれ、
内的に自分を振り返るようになるという。
人生ってこれだけなのか。
もっと何かあるのか。
様々な体験の中から選んでいくのである。
そして28歳は『様々な才能の危機』とも言われ、
決断の時期である。
才能を生かして何をすべきなのか。
持って生まれた能力を埋もれさせてしまったり、
そのまま育てずにおいたり、
花開かせることもできる。
昨年、
私はまさしくこの時期であったと思う。
人生の崖っぷちにたたされ、
人生の選択を迫られた。
今も尚、
この危機は脱していないような気がするが、
それでも、
ブラジルで活動し続けていく事を決断し、
ひとつ大きな山を越えたような気持ちであることは確かだ。
広げていた羽が次第に閉じ、
地に足が着く。
一人で歩いていかなくてはならないのだ。
これからは、
自分の決断を通してのみ働く。

そして28〜35歳。
私はこの時期に入った。
重要な出会いがたくさんある時期。
心と知性の年齢である。
感情と理性がうまく結びつく努力をしないといけないのである。
世界の秩序の中で、自分をどう当てはめていくのか。
その努力が必要となるのである。
ルール、決まりなど、
これまで受け入れてきた事を見つめなおす時期でもある。
これからは常に人生と対話しながら
どう変えていくかを考え話し合う時期なのである。

この時期に人生を振り返ること。
自分の運命を受け入れること。
人生の真ん中まで来た今、
初めて後ろを振り返り、
また同時に前を見通す必要がある。
何をしてきたのか、
何が要らないのか、
幻想を捨て、
残りで何をするのか選択しなければならない。

今、自分の人生の意味を考え、
これから何を選んでいくのか。
冒険の時代は終わった。
さぁ、
今戦う相手は自分自身なのだ。

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