光の子どもたち in Canoa

日本とブラジル、2つの国の中から感じたこと、気づいたことを発信するなんでも日記。ブラジルからは、大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

タグ:教員

我が家の長女は高校1年生。
学校の授業が楽しくて、
家に帰ってきて詳細に話してくれることもある。
彼女いわく、

「日常生活と、
学んでいることがつながっていると、
楽しくて仕方ない」

のだそうだ。
話を聞いていると、
自分が高校生だった時とは異なる、

自分たちで考える。
自分たちでプレゼンする。
(ポスターなどの場合もある)
分からないことはとことん教えてもらう。

ことがほぼすべての授業で行われているのだ。
今何が起こっているのか。
学んでいることはどんなことに役立つのか。
この教科とのつながりは何か。
他の教科との交差点はどこにあるのか。
など、
教科を超えた学びのことも多い。

学校で学ぶことは、
学生にとっては重要な学びの時間となる。
その中で、
一方通行ではなく、
様々な角度から、
専門家などにもお願いして、
学びを深めていく取り組みは、
これからも広がっていくだろう。

(下記一部抜粋)
「数学の教員が
「僕が教えていることは社会では全然役に立ちませんよ」
と自虐的なコメントをしたところ、
大手企業でマーケティングを担当する女性が
「そんなことはありません。
私は高校の数学が、
今マーケティングにすごく役立っていますよ」
と返した」

そう。
何がどこにつながっていくのか。
それは社会に出てからしか分からないことかもしれない。
それでも、
楽しく学ぶ場を、
学生だけでなく、
教師にも持ってもらいたい。


今、
学校教育というのは大きな転換期を迎えている。
わたしが中高生だった時と今では、
学びというものの捉え方が変わってきていると感じる。
例えば、
期末テストで良い点を取れば、
授業態度や、
課題等の提出ができていない
ということがあっても、
そこそこ良い成績が取れた。
逆に言えば、
テストの点数が悪ければ、
対話ができ、
コミュニケーション能力が高い
といった素晴らしい点があっても、
評価されなかったのだ。

「そのポイントは、学びのスタイルを一律にしないことにあるという。読み書きの学びが得意な子どももいれば、聞いて話す学びのほうが得意な子どももいる。そうした自分の得意を伸ばす、あるいは補完するためにICTを“文房具のように”扱うことが重要なのだ。(一部抜粋)」

これは本当にその通りだと、
わたしも大賛成だ。
ただ、
自分の弱みを理解するためにも、
体験すべきこともあると個人的には感じている。

「宿題廃止、定期テスト廃止、固定担任制廃止(一部抜粋)」

これらをすべて廃止にすることには、
私自身、
まだ抵抗がある。
そのためには、
準備することがあるのではないか?
それだけを実施していては、
本来の目的を失ってしまうのではないかという危惧があるからだ。

「世の中のスタイルは、何でも対話が基本で双方向であるはずです。(一部抜粋)」

これを目標として掲げるのならば、
自分の地域では、
目の前にいる子どもに対しては、
どうするべきか。

それを私たちは、
考えていかなければならないのではないか。

※参考記事


子ども達が
元気良く学校に通っていきます。
今日もまた、
いつものように元気な声が響いていました。

本当ならばすでに長期休暇に入っている時期。
しかし、
4、5月の約6週間、
教員のストライキのために
公立学校が閉鎖となり、
その分の授業を補うために
子ども達はこの時期に
通学しなければならなくなりました。

そんな中、

「マユミ、明日からお休みになったよ。
やったぁ〜!!!」

と、
子どもたちが喜びの雄たけびを上げているではありませんか。
“もう休み!?”
私は不思議に思いました。
約6週間の学校閉鎖。
それが、
たった一週間長く通っただけで
(実質は4日間)
その分がまかなえたってこと???
私の頭には
???
マークが並んでいました。

学校で学べるべきことを
きちんと学べる環境にあるのか?
疑問を持たずにはいられません。
学校としての
最低限の学びを保障してほしいと
願わずにはいられません。

このページのトップヘ