光の子どもたち in Canoa

日本とブラジル、2つの国の中から感じたこと、気づいたことを発信するなんでも日記。ブラジルからは、大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

タグ:日本人ボランティア

カノア保育園では、
日本からのボランティアだけでなく、
大学のスタディツアーとして
東海大学、
関西大学、
学生を受け入れていました。
そして今回、
私がたった1週間ほどカノアに滞在するのと同じタイミングで、
13年前にカノアにやってきた学生が社会人となり、
訪れてくれました。

昔の写真を見せながら、
「この子はどこにいるの?」
当時保育園や学童教室に通っていた子ども達は、
親となり、
子どもがいる人も多く、
驚いたと言います。
村を飛び立って、
外国にいる人もいて、
その時間の経過にびっくりしたことでしょう。

こうしてまたこの土地に戻って来てくれること、
本当に嬉しい限りです。
いつまでも忘れず、
心に留めてくれていたこと、
その思い出が温かく、
懐かしいものであること、
感謝せずにはいられません。

今度は誰が来るかな?
今から楽しみです!Messenger_creation_31372dde-1690-473f-b451-4ad24b24d12b

0ef45c8d.jpg1月8日朝。
初めての長期ボランティアである、
日本人の
タシくんが
カノアを発った。

カノアでボランティアを受け入れるようになって
4年になるが、
初めて1年間という、
長期滞在者だった。

ポルトガル語もままならず、
受け入れ当初は
どうなるかと心配な面もあったが、
最後には、

「こんなに素晴らしいボランティアはほかには現れないだろう」

と住民たちが言うほど、
みんなに惜しまれながらの旅立ちだった。

手先が器用で、
なんでも手作りしてしまう。
力仕事でも、
楽しそうに頑張る姿には
感銘さえ受けてしまう。
本当ならば、
彼の姿を見て、
もっとたくさんの村の若者たちが
村のために働くことを期待していたのだが、
残念ながら
その期待は大きな課題となって残ってしまった。

ギター教室を開き、
必要とあらば、
ギター一つで
どこででも演奏してくれた。

彼のいないこの村は
なんだか本当にさみしく感じられる。

頼ってばかりで、
本当に申し訳なかったが、
エステーヴァン村のことを
忘れないでください。
いつかまたこの地に戻ってきてくれることを願って・・・

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