光の子どもたち in Canoa

日本とブラジル、2つの国の中から感じたこと、気づいたことを発信するなんでも日記。ブラジルからは、大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

タグ:母語

私は長くブラジルでの活動を行ってきているからか、
日本でも、
ブラジルにつながる人達がどのように暮らし、
何に不安を感じ、
どんなことに幸せを感じているのか…
ということにアンテナをはっている。

保育分野でも、
多文化保育という言葉をよく耳にするようになり、
群馬県大泉町、
茨城県、
愛知県、
広島県
などなど、
私の住む神奈川県も含め、
多くのブラジルとつながりのある人達が日本で生活している。

そんな中、
日本保育学会の中部ブロック研究集会において、
福井県越前市における取り組みが紹介された。
福井県にも今、
こんなにもたくさんのブラジルにつながりのある人達がいるのかと、
驚いて話を聞いていた。
今回学会誌を読み、
改めて、
私たちにできることは何だろうかと、
考えるきっかけとなった。

我が家の娘たちは、
幼いときから日本語とポルトガル語の世界で生きており、
二つの国を行き来していたからか、
両方の文化にも触れながら、
バイリンガルとして育ってきた。
しかし、
日本で生まれ育った外国につながる子どもたちにとって、
保育園として、
幼稚園として、
こども園として、
どんなことができるのか?
保育士の私は、
最近良く考える。

日本保育学会の「保育学研究」第62巻第1号の中に、
「ハワイ幼稚園教育の公立化過程における教育内容に関する検討」(鳴門教育大学大学院幼児教育学、塩路晶子氏)
という論文があり、
その中で示されている、
(2)公立幼稚園における英語の「読み」
という項目の中に、
第二言語を学ぶときの重要な視点が書かれている。

英語の読みの学びでは、
幼稚園において、
家庭では経験することのできない、
集団における学びがある。
ここで重要なのは、
英語の読みといっても、
単に英語の本を読むことができるというのではなく、
友達との口頭でのコミュニケーションとして、
書き文字の表記として、
必要だからという点である。
幼稚園において、
集団の中で過ごす生活体験と、
手紙のやり取りなどを通じた文字の習得、
これにより、
小学校に入学してからのつまずきがなくなり、
スムーズに学習へと歩むことができるというのである。

それぞれの子どもの発達に応じることで、
小学校へのレディネスを養うことができる。

ならば、
多文化社会の今、
日本においても、
言語を教えるというのではなく、
幼児期において、
遊びの中から体験的に学べるようにしていくことが、
大切だといえる。

先日参加した国際フォーラム。
私自身、
国際結婚をし、
2つの国籍を持つ娘2人を育てているということ。
日本とブラジルにおいて、
外国とつながりのある家族と接する機会が多いこともあり、
興味深い内容の報告がたくさんありました。

その中で、

「母語とはどんな言葉なのか?」

ということを、
深く考えることとなりました。

母語と言うと、
自分の国籍のある国の言葉。
ルーツのある国の言葉のような気がしますが、
実際には、

「自分が自信をもって使える言葉」

なのだそうです。
自分の気持ちを、
想いを、
考えを伝えられる言葉。
それが、
母語であると。

子どもを育てるとき、
自国ではない場所に住む、
夫婦間の言語が異なる、
など、
多様な言語の中で子育てをする必要があるとき、
親または保護者は、
自分が自信をもって使える言葉で、
子どもを育てるべきである。
そのことを知っている人は、
どれだけいるだろうか?

私自身、
ブラジルで娘を産み、
ブラジルで子どもを育てている中で、
「子どもが混乱してしまうのではないか?」
という気持ちがあり、
日本語で話しかけることを躊躇していた時期がありました。
そのために長女は、
言葉を覚え始めた際、
体を壊すほどの体調不良に陥りました。

今、
「母語で話しかけることは大切ですよ」
と伝えることは、
とても大切なことだと思います。
ただ、
母語とはいったいどの言葉のことなのか。
それをきちんと知ったうえで、
理解したうえで、
伝えてほしい。

そう思うのです。

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