光の子どもたち in Canoa

日本とブラジル、2つの国の中から感じたこと、気づいたことを発信するなんでも日記。ブラジルからは、大自然を今に残す“カノア”における奮闘の日々をお伝えします。 『本当の豊かさってなんだろう?』キラキラ輝く子ども達の目に惹かれてやってきたこの村。『子どもが子どもらしく子ども時代を幸せに生きるためには?』という疑問を探す旅は今も続く・・・

タグ:親子関係

親であればなおさら、
私のように保育士であったり、
教員の方も、
常に考えていることかもしれません。

「どんな子どもに育てたい?」

人それぞれ、
異なることはあれど、
誰でもが

『幸せになってほしい』

と、
思っているのではないでしょうか。

読売新聞朝刊(2018年10月16日付)に、
現皇后さまのお言葉が載っていました。
「幸せな子を育てるのではなく、
どんな環境に置かれても
幸せになれる子を育てたい」

目から鱗とは、
こういうときに使う言葉だろうと、
思いました。

私自身も、
こうした思いを胸に、
これからも子どもたちと関わっていきたいと思います。

cebcbc01.JPG日本に一時帰国して早2週間。
慌しく日々が過ぎていっているのですが、
日常生活の中で、
ふと気づくびっくりすること。
それが、
年々増えていっているような気がしている私。
それは、
私自身が日本の習慣に不慣れになってきているのか、
それとも、
どこか別の問題があるのか・・・
それはさておき、
いくつか驚いた事をご紹介したいと思います。

まず、
子どもと親の関係。
確かに一緒に居るのに、
隣に座っているのに、
まるでそこに子どもが存在しないかのように振舞う親達。
子どもが座っているのに、
目を向けることも、
語りかけることも、
触れ合うこともなく、
親は親で携帯や本に夢中になり、
子どもは黙って座っているか、
走り回っているか・・・
“これが今の日本で日常的に起こっていることなのだろうか???”
と、
考えずにはいられません。

何歳になってもベビーカーにのり、
オムツをしている子ども達。

親が親として、
子どもを育てていくということ。
それがもはや自然に行えなくなってきているという事実。
それをこの短期間で、
何度も目にすることとなりました。

『子育て支援』
という言葉をよく耳にするようになった今日この頃。
確かに、
ふとした疑問を口に出し、
それに答えてくれる人と出会うことが
困難な時代を迎えているのだということは
想像に難しくありません。
こういった光景を目にすればするほど、
カノアでの、
親子関係や、
人間関係が
とても貴重で、
大切なものに思えて仕方がないのです。

貧しくても、
教養がなくても、
人間として確かなものがある。
そんな場所で、
学び得た事を
もっともっと日本において
伝えていく事が出来るようになればと
願っている私なのです。

1949fdb6.JPG私は教職員に、
『一人一人の子どもをじっくり観察する。
それをきちんと行っていきましょう』
といいます。
そして、
私達教師は、
一週間に一人、
ある子どもを観察し、
身体、
動き、
生活リズム、
家庭環境、
家庭の問題、
精神状態、
などなどを
話し合います。
一人の子どもを観察するといっても、
その他の子どもをおざなりにするのではなく、
ある一人の子どもを
いつもより少し気にかける、
観察する、
という姿勢が大切なのです。

子どもは一人一人違う。
その子をその子として、
丸ごと受けとめてあげる。
こういったことが、
私たちには必要であり、
子どもにとっても大切なことなのではないかと思います。

子どもを見守り、
じっくりその子と向き合う。
言葉でいうのは簡単ですが、
実際には難しいと感じることが多いのではないでしょうか。
私も、
料理のとき、
洗濯のとき、
仕事をしているとき、
娘と一緒にいても、
傍で遊んでいるだけで、
我が子と向き合っているのかと聞かれれば
そうではないと答えるしかないでしょう。
では、
子どもとどのくらい向き合ってますか?
と聞かれれば、
一日の内、
ほんの数時間であったりします。

時間だけの問題ではなく、
心のゆとりといった事が原因で
子どもを見守り、
じっくりと向き合うことができないこともあります。

それでもやはり、
一日数分でもいい。
子どもとじっくり遊ぶ、
向き合う、
笑う、
そんな瞬間が重要なのではないかと思うのです。

子どもを見つめる大切さ

これを心に留めて、
明日から子ども達と接してみませんか?

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